第4話

 彼の誘いに乗り、抱えられながら家へと向かったが、残念なことにお茶の約束は果たされなかった。茶葉を切らしていたとか、天災の影響で食器がすべて割れていたとかのどうにか解決できそうな問題が原因というわけではなく、彼の家でお茶をする上で一番必要とされる、家そのものが無くなっていたことが理由である。ついでに言えばご近所さんの家もなくなっていた。私が知る数年前から閑静なことで知られる場所ではあったが、家がなくなると気疎い土地と言い換えたほうが適切だった。

 道を間違えた可能性を信じて彼の魔法を頼るも、数歩離れた場所に移動するだけで現実は変わらない。彦君は落ち込むどころか感心した様子で更地を眺めていたから、それだけは希望的と言えた。

「あの、どうしようか」

「何軒も消すってのは上等な仕事だよな」

 楽観的だった。

 しかし眠る場所がなくては不便だろう。楽観的であれたとしても、解決すべき問題を先送りにしておくわけにはいかないのだ。私の家は……彦君は両親と不仲であったかな。ならば宿屋さんにお願いするのが一番だろうか。彦君は一軒の建築に二日も必要としないだろうから、三日も予約すればお昼寝をするだけの時間が余分となる。今すぐに予約しておくべきか……いや、彼に確認しておくか。

「あの、彦君……」

「おいおい、心配そうな面をするなよ。適当な場所で眠ってりゃどうにかなるもんだ。ただ、せっかくのお前との時間にまったりできないのは残念だ」

「えっと、なら、付き合ってほしいな。まったりできるかはわからないけど、一緒に行きたい場所があるの」

 彼は私に拳を、親指を空のほうに向けた。太陽よりも眩しく、青空もより気持ちの良い笑顔だった。無理に明るく振る舞っているような気がしないでもないが、彼の意思を尊重したいと思った。

 そして家の跡地から黙々と歩くこと二十分ほど、森に隠すように建てられた、とても高い時計塔を目の前にしていた。十年ほど前に管理者さんが亡くなってからは、私以外に足を運ぶ人などいない、いわゆる秘密の場所である。塔内部の螺旋階段を登りきると、金で作られた美しい砂時計を拝めるため時計塔――砂時計塔と呼ばれている。何十年か前には大きな時計が外壁にかけられていたらしいので、元時計塔で現砂時計塔と言えるかもしれない。無沙汰であったけれど、昔は心の奥の方が苦しくなるたびに訪れ、最上部の小窓から外を眺めていた。

 誰かと訪れたことがなかったから、彼は初めて見るかもしれない。彦君は不思議そうに、

「こんな所に建物があるとは知らなかった」

「うん」

 それは生前の管理者さんが、外界からの接触がないよう土地を呪ったからだ。呪ったものを特定の人間以外の認識からはずす強力な呪いだ。管理者さんが親しかった人は私以外にいなかったから、私だけが自由に行き来できる特別な場所となっている。自然なままにあり続ける場所には自然と笑みがこぼれるもので、今はだらしない笑顔を浮かべているだろうし、ここに到着するまでの歩幅はいつもより広かったように思う。

「ここの管理者さんがすごく人当たりがよくてね、私なんかのことを愛してくれたんだ。何て言うんだろう。月のような人って言えばいいのかな」

「空の月か」

 私は頷くが、我ながら何が言いたいのかわからなかった。月のような人とはなんだろうか。管理者さんの名字は月に関連するものであったけれど、空に浮かんでいるわけではないし、魔法は不得手だったようなので、空を飛べるわけでもなかった。また、多くに慈愛の光を注ぐ月のように器用だったわけでもない。

 言ってしまえば人間らしい人というわけで、空のものとは決して重ならない、人間らしさが魅力の人である。けれども彼女を例えるならば月である。私が知る誰よりも月が似合う女性だ。彼女の最期となった日が、落ちそうなほどに大きな満月の夜だったことが理由かもしれない。あの日の赤く染まった月は忘れられない。

 そういえば、今日は満月の日だったかな。

 滴る血のように美しい月が拝めるかもしれない。

「管理者さんは土地と塔に呪いをかけたんだけど、塔の呪いがなかなか厄介なものでね、満月の日に塔の最上部にある砂時計を逆さにすると、過去に戻ってしまうらしいんだ。戻る場所も時もわからないから、絶対に砂時計を触っちゃいけないよ」

 言って、遠慮もなく塔に入る。正面に螺旋の階段、右手側には寝室、左手側には大量の机が積み重ねられていた。寝室と机には用事がないので、何も言わずに階段の一段に足を乗せた。

「なあ、お前が大切にしているらしい場所にこんなこと言いたくないんだけどさ、ここ、変じゃないかな。お前が踏んでるそれの……蹴上げって言えばいいのか、それ異常に低くないか。それにしては机が僕らに使いやすい大きさだけど」

 彦君は積まれた机を眺めていた。

 七つ積まれた机の塊が十ほどあるが、どれも似たような見た目で、私に使いやすそうな大きさだった。つまりどれも小さいわけだけれど、しかし階段ほど極端に小さくつくられているわけではない。他のものの大きさはどうかと塔内の扉を見ると、驚くことに彦君の背丈の五倍ほどあった。彼は人の生活に馴染める程度の大きさである私よりも、圧倒的に高い身長であるから、その五倍の扉となると人の生活には必要以上のように感じる。どこかが歪で、誰のためかわからないつくりである。

 なにを普通とするかは人によるのだろうが、部屋中にある様々な物の大きさがまちまちであるのは、何人に質問しようと満場一致で異常と答えるのではないだろうか。かくいう私は彼が話題としなければ気にしなかっただろうが、言われてみれば変であると思う。

「……ずっと前から階段は低かったかな。うん。きっと」

 昔からそういう塔であった気がするし、そうでない気もした。

 頬が痛みだした。

 首を傾げる程度に歪んでいて、しかし指をさして歪みを指摘するほどには捻じれていない空間は、なにか悪いものを発しているのかもしれない。これといった理由があるわけではないが、この話は続けたくなかった。

 彼の手を取り、

「上、行こう」

 彦君は昔の塔を知らないから、階段が低い理由をわざわざ調べはしないだろう。

 私が手を引いてしまえば、目を閉じたままでいられるのだ。

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