第2話 京成 プロローグ

 頭ひとつは飛び抜けている。

 でかい。

 縦にも横にも、その質量に圧倒される。

 が、群衆の中を粛々と歩いてくる。

 取り囲む群衆達も、あからさまに距離をとったりはしていない。

 緩い川の流れの中を逆らわずに進んでいると言ったらよいか。

 頭にターバンのように麻布を巻き、僧が着るような黒衣に身を包んでいる。

 群衆達は一様に質素な、かぶりもののような麻服を着て、腰の辺りを色とりどりの紐で結んでいる。

 この平原のいたるところで見られる着衣でしかない。

 それらが川の流れとなって、ゆっくりとこちらに向っている。

 と、破裂音がした。

 爆破音のあまりの大きさにたちまち耳がバカになる。

 群衆の一部分がまるで幻でもあったかのように消えている。

 烈火弾だ。

 男は背に担いでいた大刀を右手に持つ。

 と、同時に飛んだ。

 その体躯からは想像もつかない俊敏さだ。

 わたしのすぐ側まで跳躍してくると、わたしの背後に向って刀を薙いだ。

 鈍い音がした。

 背後を振り返る。

 かつで人であったものが、見事に潰れている。

 男は刀の刃ではなく、背の部分で攻撃したのだろう。

 ふたたび男に視線を向ける。

 「えらい歓迎の仕方でありまするな。公子さま」

 耳はバカになっているはずなのに、はっきりと男の言葉が聞き取れる。

 男は笑っている。

 だぶん。

 口だけが異様に大きくゆがんでいるのだが、そこだけが別の生き物のように蠢いて見えた。

「公子とはどういうことでございましょうや」わたしは訊いた。

「なんのことを申されておるのか、とんとわかりませんな」男は、首を、大げさにひねりながら答える。

「今、あなた様がわたしのことを公子と呼ばれたではありませんか」

「なんと。そなたのような、今にも剥がれ落ちそうなぼろ切れで身を包んでいるような男が、公子であるわけがあるまい。それとも、そなたのいう公子とは、乞食のことであろうか。それにわしは瞬時に決したといえども、まさに今死闘を繰り広げたばかりじゃ。口を利く余裕もなかったわ。ほれほれ乞食なのか、そなたは」

「この国の公子様は、赤子の折に、白い大鷹に連れ去られたという話は、爺婆から洟を垂らした子供まで、この国の者ならば誰もが知っております。もちろんわたしは公子などではありません。ただあなたがそう呼ばれように思いました。失礼なことを申しました。余計なことかもしれませぬが、わたしは乞食ではありません。いや、乞食以下の者という意味でございます」

「ほう。そのような者がこの国にはおるのか? それを話せ」

 のんきに会話をしているような場面ではない。

 だが、ふたりは見つめ合ったまま動かない。

 烈火弾を撃ち込んだ者たちは殺したが、ここはその者たちの一味が支配する地である。

 イナゴの大群が押し寄せるがごとく、殺した者の仲間の兵達が集まってくる。みるみる二人は囲まれていく。

 大男の周りを固めていた群衆とは、ひとつ、またひとつと剥がされていく。

 それほどの危機が身に迫っているというのに、大男とわたしはみつめあったまま動かない。

 我ながら、この状況に恐怖を感じないのが、嘘のように思える。

「で、乞食殿。ここから逃れられるか」

 大男が訊いてきた。

「逃れるだけならば、なんとかなりましょう」

「ならば、今はそのことだけを考えられよ。いずれしかるべき場所でお目にかかる。さらば」

 大男はそう言い放つと、頭上で長刀を振り回しながら、取り囲んだ兵の一団に向って駆けていく。その後を群衆達が追う。

「皆の者、遅れるでないぞ。この平原を救う者が確かに居り申した。伝説は真実ということじゃ。命を捨てるでないぞ、生きて我に続け。この平原の未来に向って力の限り駆けよ」

 大男を先頭にして駆けだした群衆の波の中に、わたしは紛れ込んだ。

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三十六国記 銭屋龍一 @zeniyaryuichi

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