第67回 百聞は一見に如かず――NYCのおもひで


 「ことわざ」というのは誰がどのようにして生み出すのでしょうか。誰かが言ったことは間違いないのでしょうが、偉大なその人の名前は既に歴史の奔流に飲まれて、彼方へ沈んでいます。幸運にも名前が残っている場合、それは「名言」か「故事成語」となるわけで「ことわざ」になるには匿名性が十分条件になるのではないかと思います。


 では、この言い回しは凄い、よく考えたもんだ、という称賛の気持ちはどこに向ければいいのでしょうか。面と向かって褒めるのは恥ずかしくて苦手なのですが、このIT技術の発展に伴った広大な匿名空間では、恥も気にすることなく褒められるのに褒める対象が分からない、という何ともむず痒さを感じる今日この頃です。


 さて、『成就した恋ほど語るに値しないものはない』(※1)というように、見知らぬ人々の楽しかった旅の思い出などを文章にしても、特に仕事をされていた読者諸賢は面白くないと思うので、失敗したエピソードを語ります。みなさんもそうならないようにお気を付けください。


 国内旅行だと往復3万円くらいで行けちゃうNYCなのですが、日本からこの時期にくると大変です。第20回(※2)でも書きましたが、チケットを取ったのが2月前半で、それでも高かったことを考えると「来たからには楽しんで帰ってもらう」ことが僕に与えられた最大の使命のように感じました。だから、色んな人に話を聞きました。


 すると口を揃えていうのです。「NYCは高い、その上、みんなフォーマルだ」と。ジャケットが無いと入店を拒否される店もある。ドレスを忘れて相当浮いた。などの話は枚挙にいとまがありませんでした。そのため、僕も友人には忠告しておきました。


 到着して二日目、昼には超有名ステーキハウス、夜はおしゃれなフランス料理店、その後にブロードウェイとがっちり詰まった日で、男はジャケパン、女性は軽いドレスにヒールと気合を入れました。


 ……その期待が裏目に出たのは言うまでもありません。結果から言うと、全てめちゃくちゃカジュアルでOKでした。

 

 午前中ブルックリンブリッジを歩いて渡ったのですが、途中から木を打ち付けた歩道に変わるので、何度ヒールが隙間に挟まったでしょうか。挟まった瞬間歩いてきたおばさまが品よく笑っていたことが思い出されます。その上、晩御飯のレストランが、買い物客で賑わうSOHO地区に近いというので、そこでも歩き回りましたが何せヒール。かなり辛かったに違いありません。というか、痛いって言ってましたね。


 残念ながら、僕たちにはその友人を持ち上げる膂力も度量もありません。何の励ましにもならない言葉を掛け続け、ゆっくり歩くのが関の山でした。悪いことしたなぁ、と思います。NYCは観光しようとするとめちゃくちゃ歩きますね。ナイアガラでは一日で20㎞近く、NYCでも毎日10㎞程歩きました。弾丸旅行の場合、ぜひ向こうでスニーカーを買うか、持って行ってください。多分、男どもが困ります。


 また、移動は地下鉄ときどきバスを使いましたが、乗車に必要な磁気カード(通称メトロカード)を手に入れるのも一苦労でした。「駅に行けば自動販売機があるから簡単簡単♪」と高をくくっていましたが、駅についても券売機も窓口もありません。あれー、おかしいな。あ、わかった、反対側のホームにあるんだな。……ありません。なぜだ。


 しょうがないので、インターホンで話を聞くと「上のMarshalls (服とかコスメとか売っているディスカウントストア)で聞け!」と言われたので素直に従います。――ほうほう、割引券みたいなものが買えるのかな? という可能性も考えて聞きました。


「あの、メトロカードってどうやって買うんですか?」

「は? ここでメトロカード? 買えないよ、駅で買うんだ」


 そう言われました。

 さも不思議そうな顔をしていましたが、不思議そうな顔をしていたのは僕たちも一緒です。


 頭の中ははてなで溢れかえっていました。いやいや、買い方は知っているんだ、と知識を得ただけでのたまうカタブツになりかけましたが、オーケーオーケー、想定外だけど想定内だ。

 

 一応、礼を言って、その場を去ります。ほかのお客も不思議そうな顔で僕たちを見ていました。


 そして、離れたところの違う店員さんに話を聞くと教えてくれました。

「メトロカードはそこじゃなくて、あっちの改札だよ! ダンキンドーナツのところ!」


 謎がやっと解けました。


 6つある改札のうち、最寄りの2つには販売機が置いてなかったのです。駅の入り口も数十m先にあり、夜も更けていたので見えていませんでした。あれほど安堵したことはありません。雨が降っているうえに、晩御飯のお店の閉店時間が迫っていましたからね。状況の説明が英語で流暢に出来たら話も早かったのでしょうが、電車に乗るだけで一苦労でした。


 いろいろと調べたつもりでしたが、やはり想定外の事態は色々と発生するようです。

 

 百聞は一見に如かず


 その通りだなぁ、と名も知らぬ人に称賛を送ります。(※3)


 友人の前であたふたと恥をかきましたが、これで次からNYCは怖いものなしです。任せてください。体験しているから言えますね。


「NYCは毎日10㎞も歩いているのに、全く痩せないんだ。むしろ、太る。 怖い街だよ」

 (毎日ステーキにバーガーにパンケーキをたらふく食べちゃう)


「あと、前情報を聞く相手は注意した方がいい。違うことが多いから」

 (社長とか課長クラスだと行く店のレベルが違う)






「それと、いいか、乗車券は駅で買うんだ」




 また行きたいと思いました。

 




 

 ※1 森見登美彦 角川文庫 四畳半神話大系 94P

 ※2 第20回 「同調」の価値

    https://kakuyomu.jp/works/1177354054888425664/episodes/1177354054888502913

 ※3 ちなみに「百聞は一見に如かず」自体は「漢書―趙充国」に出てくる故事成語みたいです。しかし、英語にも「Seeing is believing」という言葉があるので、日本語の言い回しだけは故事成語で、意味合い自体はどの文化にもあるようですね。

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