一章『長い雨の止む時は』第1話

 しとりしとりと雨が降りつける。

ポタポタと窓に打ち付けられては落ちていく雨を眺めながら、UGNT市支部支部長、壮馬艾そうま よもぎはため息をついていた。

 福岡県T市は現在雨が降り続いている。

9月も中頃、秋も深まってくるという時期だというのに、秋雨前線というやつだろうか。それにしては長く続きすぎているのではないだろうか。

雨が降り始めて二週間は経つ。そろそろ雨も止んで欲しいというものだ。


「おかーさん、てるてる坊主作れたよ!」


 彼女の裾を引くのは、彼女の息子である幸太こうたであり、片手には三匹ほど繋がっているてるてる坊主が握られている。

その様子を見れば、彼女は雨という日も悪くないのでは、と思うのだ。

彼の頭を撫でる。大切ながこうして成長していく姿を見るのは彼女にとって何にも代え難いことである。


「うんうん。幸太は偉いわね。きっとおひさまが幸太のことを見に来てくれるわよ」

「わーい!おひさま早く会いに来てくれないかなぁ!」


息子の思いとは裏腹に、外は雨。

悪くないと言いつつも、うんざりしているのは実際の話で、早く日の目が見たい限りである。

 そんな中、扉の向こう側、廊下の方からバタバタと足音が響いてくる。

この支部で廊下を走る人物といえば一人しかいない。

やれやれといったように眺めていた窓から視線を扉へと移した。

バンッという音とともに扉が開かれる。

そこに立っていたのは茶髪の青年で、艾はやっぱりと微笑をこぼした。


「しぶちょー!書類持ってきたッスよ!」

「はいはい、ご苦労様、葛城かつらぎ君」


扉は静かに開けましょうね。そんな言葉をこぼすものの、葛城と呼ばれた青年は明るく返事をしたのみで、一切の反省の色もない。

 葛城という彼は元気がよく、明るい青年だが、いささか物覚えがよくないところがある。

それは彼がノイマンの能力を有していようとも変わらない。

よく言えば元気。世間的に言えば、"おバカ"だと言われる部類なのだ、彼は。

そして彼にはもう一つ特記すべき点がある。

廊下から再びバタバタと走ってくる足音がする。

艾はもう一度視線を扉へと移した。

この支部で廊下を走る人物といえば""いない。

そう、一人しかいない、のだ。


「しぶちょー!お電話ッスよ!」

「はいはい、ご苦労様、葛城君」


廊下は走らないわよ。そんな言葉をこぼすものの、先ほど入ってきた葛城と同じ呼ばれ方をする彼は明るく返事を下のみで、一切の反省の色もなかった。

瓜二つの葛城が二人。

否、正確に言えば葛城は二人だけではない。

そこが彼の特記すべき点だと言えるだろう。

 この支部は、葛城が11人いる。

複製体として一人一人多少の個性はあるが、ほぼ同一の個体として彼は存在している。

とはいえ、彼に戦闘能力はない。

そのため、彼ができることといえば支部での補佐や事務にほかならないのだ。

それはさておき、艾は電話に出ることになる。

電話先の相手といえば、艾は想像がついていた。


「お疲れ様です、負飛蝗オンブバッタ


 電話口でお疲れ様です、という言葉とともに飛び出してきた自身のコードネーム。そしてテノールの心地よい声色を聞き安心する。

電話先の相手は自身より上司であるにも関わらず、自身にも敬語を使い、どこか微笑みかけるような、そんな柔らかい声色であるのだから、安心する以外のどういう言葉で表せば良いだろうか。

 "リヴァイアサン"霧谷雄吾きりたに ゆうご

日本全体の支部を総括する、日本支部の長。艾の上司にあたる人物だ。

柔和な顔立ちの彼が"リヴァイアサン"と呼ばれる所以は多くあるが、まるですべてを呑み込むが如く、彼は思慮深い。

穏健である艾は、他の市の支部長に下に見られがちだが、彼は違う。

彼は暖かく見守ってくれるのだ。だから艾は彼のことが好きだった。

その好きという感情は勿論、自身の亡くなった旦那に向けていたものとは少し違う。

どこか友愛的なものである。


「お疲れ様、リヴァイアサン。どうかしたのかしら…?」

「そちらは相変わらずの雨、でしょうか?」


世間話だろうか。

そう思い、艾は一言「えぇ」と答えた。


「そうですか、やはり異常ですね…」

「異常?…普通の雨のようだけれど、何か違うの?」


彼は話始める。


「実は、現在続いているその雨は、テレビなどでは普通のように報道されていますが、その地域、T市のみ雨なのです。そういう意味で異常だと表させていただきました」

「ここだけ、雨…」


一部だけ雨だといえば局地的な雨として有名な、ゲリラ豪雨などが当てはまるのだろうが、それでも確かに二週間も続いているのはおかしい。

秋雨前線の影響かと思いもしたが、どうやら違ったようだ。


「まさかレネゲイドのせい…?」

「その可能性はあると、考えています。どうやって起こしているのかはわかりませんが…」

「なるほど。じゃあそれの解決をこちらの支部で担当すればいいのね?」

「はい。そうなのですが、もう一つ」

「もう一つ?」


霧谷は彼女が行動に入ろうとするのを少し停止する。

そして彼は続けていった。


「この長雨なのですが、少し奇妙な噂がありまして」

「噂話?…それは一体…」

「なんでも、"長雨にあたっていると、血を抜かれる"だとか…」

「血を抜かれる…」


なんとも奇妙な話だと思った。

雨にあたると体は冷えるが、だからと言って貧血になるかと言われればプロセスが逆のように感じる。

だが、これがレネゲイド関連の事象であるのならば、そうなってもおかしくないといえよう。

 レネゲイド、レネゲイドウイルスは未だ完全に解明されていない。

だからこそ、これからどのようなことが起きようとも、それがレネゲイドの仕業だと言われれば納得せざるを得なくなる時も出てくるだろう。

艾はもう一度、霧谷に対して了承の旨を伝えた。

さてこれから忙しくなると、彼女は他の支部員たちへの連絡へと向かう。

 部屋に残ったのは葛城二人と、彼女の息子である幸太だけだった。

そうなれば、葛城は冷や汗をかく。

葛城にとって苦手なものはたくさんあれど、苦手な人物は案外少ない。

だが、彼女の息子、幸太だけはどうにも苦手であった。

というのも…。


「……葛城」

「はひっ」

「返事は、はいだよね?」

「は、はい。なんスか?幸太くん…」


先ほどの母親の前とは打って変わった様子の幸太に葛城たちはやはり冷や汗が伝う。

目つきは先ほどよりも幾分も鋭く、声もどことなく低い。

先ほどのてるてる坊主を作っていた純粋な子供が目の前の彼だといわれて、納得する人物がどれほどいようか。いや、きっといないだろう。

彼は、母親の前と母親がいない時とで性格が違うのだ。

性格が違うというよりも、母親がいるときは猫をかぶっている。そういう方が正しいだろうか。

 彼はとても複雑な事情を抱えている。

何故ならば、彼は、""から。

艾の本当の息子、幸太は数年前に既に他界している。

それはとあるレネゲイドビーイングに襲われて殺されたからだ。

彼女はその時、ショックのあまり自分を見失った。そしてそのレネゲイドビーイングを体に取り込んだのだ。

それが現在、幸太を名乗っている彼である。

どうやって取り込んだのか、それは彼女の能力のせいだ。

他人のレネゲイドを喰らって力にする、"ウロボロスシンドローム"。

彼女はそれを持っている。だからこそ、彼を取り込んだ。

ショックのあまりの暴走だったのかもしれない。だが、取り込まれたレネゲイドビーイングである彼が何故現在、出現しているのかと問われればそれは謎だと返すしかあるまい。

何故彼が今そこに存在しているのかは、当人たちにしかわからない。


「葛城。母さんが扉は静かに閉めろって言ってるよね?なんでいうこと聞けないのかな…?」

「は、はわ…も、申し訳ないッス…き、気を付けるッス!」

「僕に言われてから直すな。母さんに言われた段階で直せ」

「は、はひっ!」

「返事は?」

「はいッス!!」


威圧感、というものが葛城にとっては苦手なのかもしれない。

ただ苦手なのはそこだけだ。

彼は確かにレネゲイドビーイングなのかもしれないが、かなり人間の常識に詳しい。

彼が叱るときは、しっかりとした理由である場合が多いのだ。

だからこそ厄介且つ苦手なのだろう。

葛城は非常に弱気になってしまっていた。

そんな中、支部長室の扉が開いた。


「ごめんなさい葛城君、ちょっと学生の子たちに連絡入れるの手伝ってくれる?」

「あ、はいッス!」

「幸太、ごめんなさいね。もうちょっと遊んで待ってて頂戴?」

「はーい!お母さん!」


入ってきたのは艾で、その瞬間幸太がいつもの調子に戻っていった。

葛城は内心ホッとしながら艾のあとに続いて部屋を出ていく。

その際、先ほど釘を刺された扉の件を気を付けて扉を閉めるのであった。

艾が「あら」と笑いながら葛城のその様子を見た。

葛城はどことなく気疲れをしながら、仕事へと向かうのであった。

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ダブルクロス3rd小説風リプレイ 「三つの烏兎を巡る話」 京介 @tanka344

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