第3話 噂の先輩

「お、落ち着いた?」


 彼女は僕にそう言ってきた。

 僕は彼女が来てから、嘔吐を数回繰り返した。流石に彼女も僕に対して何か申し訳ないと思ったのか、僕に近づいて来ようとしたが、僕は必死になって来ないで欲しいとたのんだ。


 彼女は結局僕に近づくことはなかったが、その場から立ち去ることもなかった。

 20分くらいしてからだろうか、僕の症状が収まったことで、ある程度会話できるようになったとは思う。


「はぁ……はぁ……す、すみませんお見苦しいところを」

「いや、あ、その…君は大丈夫なのかい?」

「はい……ケホッケホッ……だいぶ、症状は収まったので」

 うむ。我ながら、咳き込みながらそれを言うかと突っ込んでしまった。


 それはさておき、僕はやってしまった訳だ。高校生活が始まって早1ヶ月。絶対にまわりに性嫌悪のことがバレないようにと思っていたのだが、そんなことはできないようであった。

 

 今僕の目の前にいる女生徒は正直、美人である。それもかなりの。そして、この東条学院の有名人だ。彼女のことをあまり考えないようにしている僕でさえ名前を知っている。


 矢内綾絵やうちあやえ


 それが、僕の目の前にいる女の子の名前である。

 なぜ有名か。それは、高校入学当初から広まっていた噂のせいだ。その噂というのが『二年生の矢内綾絵は犯罪者の娘である』というものだ。

 根も葉もない噂である。というのが僕とその他の一年生の見解だ。でも、そういう噂のある人に近づきたいと思う奴などいない、だから、自然とその話は誰もしなくなっていた。


 ある日、僕は校内で矢内綾絵と呼ばれる女生徒を見た。彼女自身も噂を知っているのだろうが、そんなことを感じさせないくらい堂々としていた。そして彼女はあまりにも、綺麗な女の子だった。


 そんな、女性が今僕の目の前にいる。そして、僕のある意味で弱味を握られているのだ。


 僕はうずくまっていた体勢から、彼女に向き直った。ついさっき、説明すると言った手前である。もちろん僕の症状のことを説明するつもりだ。


「ゴホッゴホッ……あの、せ、先輩」


「…なにかな?」

 一応、彼女は二年生、僕は一年生。あまり親しげに名前や名字で呼ぶのも変かと思ったので、無難に先輩と声をかけた。彼女は先ほどのことがあったからか、緊張したように返事をした。


「すぅ……はぁ。まず、先輩に謝ります。すみませんでした」

 僕は頭を下げた。

 当然の行動である。心配してくれた彼女を理由はあれど、無下にあつかってしまったのだから。


「え? あ、うん」

「……それでなんですが、僕がああなった理由を話した方がいいですよね……」

「えーと、その、無理はしなくていいけど、教えてくれるなら」

 彼女は少し首を右に傾けて言った。その首の動きになんの意味があるのかはわからない。


「長い話?」

「まぁ、そうかもです」

「じゃあ、ベンチ座んない?」

 彼女がベンチを指さして、言ってくる。だが、彼女とあのベンチに座れば間違いなく、また発作が出てしまうのは容易に想像できた。

「いえ、僕はここでいいです」


「…そう」

 少し寂しそうな顔をしてベンチに座る彼女。申し訳ない気分になった。


 彼女はゆっくりとベンチに腰を据えると、口を開いた。

「それで、君。さっきのは何?」


 さっきのとはつまり、僕が吐いたことだ。正直に話さねばならないとしても、なんだが、凄く嫌だった。それでも覚悟を決める。


「性嫌悪って知ってますか?」

「性嫌悪? 知らないけど……病気か何か?」

 彼女が首を傾げて言ってくる。その首の動きで、後ろで束ねている髪が、フラッと揺れるのが少し気になった。


「病気……なのかな? 多分違うようなそうでもないようなって感じですね」

「煮え切らない感じだね」

「ははは、まぁ」

「で、どんなものなの?」


 彼女は興味深々といった感じだ。もちろんここまで話したのだから、全て話す。

「簡単にいいますと、性的な意味合いのもの全般が苦手なんです」

「…説明になってはいないよ」

「ははは……なんて、説明しましょうか……えーと、下ネタとか、恋愛的な意味合いでの好き嫌いの感情とか、そういうものが凄く気持ち悪いんです。それで、そういうのがあると、吐いちゃったり、気絶しちゃったりして」


「……大変だね」

「ま、まぁ。もうなれましたよ。ははは」

 彼女はなんとも言えないといった表情だ。

 でも、反応なんてこんなもんだろう。というか、これでもいい方だ。

 ひどい人だと、気持ち悪いとか、面と向かっていってくる。


「気持ち悪いですよね。ごめんなさい、こんな僕で」

 また、はははと笑い飛ばしてみる。

 彼女に反応はない。黙ったまま、僕を見ている。


「……」


「あ、あのー……」

「ん? なに?」

「あ、いえなんでもないです」

 別に僕を無視しているわけではないようだ。

 ベンチの上から見られているからだろうか、見下されてる感じがして、体がこわばる。別に堂々としていればいいのだが、中学であまり、人と関わらなかったからか、挙動不審になってしまう。


「……」

 何故か、睨まれてる感じがしてきた。美人なだけあって目線が怖い。

 そう、美人である。

 

 美人。美人。

 少し気持ち悪くなってきた。

 よく考えれば、今この場でこんな美人な人と二人きりなのだ。普段の僕では考えられない。そう考えると、また吐き気がしてきた。

 

 このままではいけないと思い、僕は立ち上がった。

「どうかしたの?」

 彼女から、当然の疑問が飛んでくる。

 僕は口元を押さえながら「すみません」と言って、その場を後にしようとした。

 だが、唐突に立ち上がった彼女に腕を握られた。


「待って」

 冷静な声でそう言われるが、僕としてはこの状況だけでなく、肌が接触したという事実で、もう完全にアウトだった。

 

 強烈な生臭さを感じたと思ったら、口の中で、鉄の味がした。

 捕まれた手を振りほどいて、口元を押さえていた手をみると、真っ赤に染まっていた。どうやら、吐き気は堪えたようだが、鼻血が出たようだ。

 その事実がわかった瞬間、急に頭がくらっとして、その場に座りこむ。また、症状が出てしまったわけだ。


 ホントに情けない限りである。この体が憎たらしいことこの上ない。

 まず、落ち着いてポケットから、ティッシュを取り出そうとする。しかし、ズボンのポケットに手を突っ込んでも何も見当たらない。反対かと思ったのだが、それもなかった。

 どうやら、今日の僕は本当についていない日のようだ。

 

「はいこれ」

 僕の目の前にポケットティッシュが差し出された。もちろん、矢内さんのものである。

 困っている僕を見かねたのだろう。

「……ありがとうございます」

 素直に礼をいってから受け取ろうとするが、僕の手が真っ赤に染まっていることを思い出し、少し躊躇った。


「……気にしなくていいのに」

 彼女がボソッと口を開くと、ティッシュだけを何枚か取り出して、僕に渡してくる。

「ちょっとまってね、つっぺ作るから」

 彼女の言葉に心の中でありがとうございますと言って、差し出されたティッシュを受け取って、鼻に当てた。


 しばらく押さえていると、ティッシュを丸めたものを渡される。多分、鼻に詰めろということだろう。

 僕はそれを受け取って鼻に詰めた。

 これでひとまず、事態は収集……はしてないか。さっきよりも下手にこの場を動くことができなくなったような気がした。


 しかし、今、そんなことより気になることがあった。それが。



「……すみません、『つっぺ』って何ですか?」



「……君、北海道の人じゃないの?」

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マイノリティ・カースト 沢木圭 @sawaki15

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