2. ポーンの往訪⑧

次の日、私は昨日と同じ時間にいのりさんのところへ出向いた。今度は、老舗の柏餅を手に持った。

ノックして入ると、いのりさんと立花春斗がいた。立花春斗は私の顔を見るなり、部屋から出ていこうと立ち上がった。


「せっかくなら三人で食べましょう」


私は手に持っていた袋を突き出した。

いのりさんは柔らかく微笑む。その笑顔に負けたようで、立花春斗は浮かせた腰を下ろした。

白い箱を開けると、柏の匂いが鼻を掠めた。雑誌で特集が組まれるくらいの店だ。ただの柏餅ではなかった 。


「……草餅?」


箱の中をちらりと横目で見た立花春斗は言った。

いのりさんは鼻を葉っぱに近づけて、くすくすと笑った。


「これは柏餅だよ、ハルちゃん」


私は立花春斗の顔をじっと見つめた。

そう。これは柏餅だ。ただ、この柏餅は、餅の部分が薄い桃色をしている。多くの場合は、白色だが、ここの老舗のは違う。


「そうなんだ」


立花春斗は私を横目で見て言った。美味しそうに頬張るいのりさんを見て、立花春斗は自分のやつも食べるように勧めた。幽霊はものを食べることが出来ない。迷ったようだが、いのりさんはありがとうと言って二つ目を手に取った。

私は昨日と変わらず飾ってある立花春斗の絵を見た。春に麦わら帽子は時期がずれる。そもそも春であっているのだろうか。桜が咲いているから、春。桃色の花びら。桃色の柏餅。草餅。


思わずはっとする。ひとつの仮説が組みたたった。

絡まった糸が少しだけ緩んだ気がした。




「それで、なんだよ」


いのりさんの病室を去る時に、立花春斗にメモを渡した。日も沈み始めて、人がいなくなった病院の公園で桜を眺めていた私に、立花春斗は言葉を吐いた。生ぬるい風が足元に散らばった花びらを奪い去っていく。立花春斗の赤い目を捉える。


「これは私の予想でしかないですが、立花さんは、あの絵を最後に、絵を描くことを辞めたのではないですか?」


立花春斗は私から目を逸らした。


「貴方は、色を見分けることが出来なくなってますよね」


あの絵は満開の桜の絵ではない。本当は、緑に生い茂る夏の桜の木の絵だ。花びらに見えたのは、桃色に塗られていたから。けれども、その色自体が間違っていたとしたならば。考えられるのは桃色を緑と間違えて塗ってしまったということ。立花春斗はさっきの柏餅を草餅と言った。桃色の和菓子で間違えるならば、あの場合草餅ではなく、桜餅なはず。

立花春斗は足元に散らばっている花びらを指で拾い上げた。


「緑と桃色は、全然違う色なのに。夏に満開に咲く桜なんて、見たことないだろ。でも、俺には見えるんだ。笑えない冗談だって言われたけれど」


それが冗談なら、どれほどよかったことか。そうぼやいて、立花春斗は清々しく微笑んだ。

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勿忘草を君に 雨野 結 @yui_0105

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