北の海の星の楽園

高秀恵子

星の海の北の楽園

 それはヨシエさんが12才のときでした。

 一そうの丸木で作った舟が、ま夜中の小さなひみつのみなとから船出しようとしています。

 船主のパクルジンおじさんは、まほうつかいで、いろいろなかみさまのことばや、けものや魚のことばを聞くことができると言われています。

 パクルジンおじさんは言いました。

「今からふなたびに出る。いっしょに行きたいものは、女の人も子どももこの舟に乗っていい。今から行くのはここよりはるか北の島だ。この島も北の島だが、それよりもっともっと北には、せんそうのない、しずかでゆたかな島がある。この島よりも大きな魚がいる。冬になると犬ぞりやトナカイそりでじゆうに行き来できるのだ」

 9月の風がふく、星がきれいな、ま夜中のできごとでした。

 丸木でできた舟はりっぱで、木のふちには、みごとなちょうこくがほどこされています。どこでその丸木を手に入れたのでしょうか、とても大きく、何人でも乗りこめそうな大きさでした。舟には、魚のひものや黒パンなどの食べものに、けもののかわで作ったふくろがつみこまれていました。かわぶくろには、たびにこまらないよう、ま水がたくさん入っていたのです。

 あつまった人々はそうだんしました。舟に乗る人。パクルジンおじさんの言葉を信じられなくて今いる島にのこる人。南の国へ行くことをきめた人。

 ヨシエさんは「パクルジンおじさんのいうとおりなのだろうか」と心配しましました。

 それには深いりゆうがありました。


「おーい。大きなさめがとれたよ」

 パクルジンおじさんは、コンクリートでできた、りっぱなみなとでさけびました。見れば大人の男の人の二ばいも大きさのある人くいザメです。

「これは大漁だ。サメがいなくなってあんしんだし、サメじしん、食料にもどうぐのざいりょうにもなる」

 みなとの長の、南の国の人もかんしんしました。

 8才だったヨシエさんは、パクルジンおじさんのところへ、おかあさんにたのまれた、おにぎりをもって行きました。

「ほんとうに、にぎやかなみなとだわ」

 ヨシエさんはそう言いました。しかしパクルジンおじさんはさびしそうです。

「本当はぼくたちは、もっと北のほうの豊かな海のあるところですんでいたんだ」

 パクルジンおじさんの口ぐせです。

 ヨシエさんやパクルジンおじさんは、南の国から来た人には「土人」と言われています。パクルジンおじさんやヨシエさんのそせんは、大むかしから、この北の島にくらしていました。

「島の北のほうには大きな河があってな……このみなとの近くの大きな河とかわらない大きさの河だ」

「そんな大きな河が2つもこの島にあるの!」

 小さなヨシエさんはおどろきました。

「ぼくたちのそせんは、海近くの河のそばでくらしていたんだ。海はいつでもぼくたちに、ゆたかなおくりものをくれたよ。春の花がさくころにはたくさんのマスを、野イチゴがみのりはじめる夏にはカラフトマスを、そして秋には大きなサケをめぐんでくれたんだ」

 海は冬になっても人間を見すてることはしなかったと、パクルジンおじさんは話を続けました。冬はほぞんした、ほし魚をおもに食べますが、こおった海にあなを開けてつり糸をたらすと、魚やカニもとれました。そして春のはじめにはニシンが海からわき上がるほどやって来て、そのニシンをおってアザラシもやって来ます。アザラシの毛がわは冬の間のあたたかいきものやくつになりました。とりわけアザラシのあぶらは、あかりやくすりになりました。

 その生活は今でもかわりません。南の国の人が大きな鉄の船でサケやマスをとるようになっても、そばの河では、わなをおくと、食べるのにひつような魚はとれます。アザラシもやって来ます。

 パクルジンおじさんは話を続けます。

「サケやマスの皮は、干すとじょうぶなぬののかわりになって、きものやくつやふくろのざいりょうになったんだ。はまべには食べられる草がはえていて、ことにハマナスは白いきれいな花がさいて赤い実がなるんだよ。

その赤い実を河の上のほうにくらす人がとった、きいろいくだものとこうかんしたんだ。……でも今はじゆうにこっきょうをこえて、行き来ができなくなってしまった」

 むかしは冬になると犬ぞりで島を自由に行き来したとパクルジンおじさんは言います。その島には、トナカイを飼っている人もすんでいました。

 パクルジンおじさんはさびしそうにためいきをつきます。パクルジンおじさんも、ヨシエさんのおとうさんやおかあさんも、いぜんは島の北のほうでくらしていました。そのころはこっきょうせんがあってもじゆうに行き来ができたのです。大きな河はとても太くて長くて流れがゆるやかなので、舟で自由に上り下りができました。とちゅうのしめった草原は舟を引っぱっていくと、もう1つの大きな河を下れば島の南のほうへ行けたのでした。

 しかし戦争のため、島にむかしからくらす《土人》は、自分のくらしていた島なのに、じゆうに行き来することができなくなったのです。パクルジンおじさんもヨシエさんのおとうさんやおかあさんも、島の北のほうにくらすしんせきのことが、しんぱいでした。

「でも、今すんでいるところだって、いい所じゃない?」。ヨシエさんはそう言いました。ヨシエさんは《土人》が島を自由に行き来できなくなった後に生まれたのです。

 ヨシエさんが今くらす島には、南の国の人が作った工場やビルがたくさんあります。野イチゴがみのる野原は、さとう大根の畑になり、島にはさとう工場やおかしの工場ができました。夜になるとネオンサインの光が河にうつります。

 ヨシエさんは、今のくらししか知りませ ん。おとうさんは南の国の人にやとわれていろいろなしごとをしています。おかあさんはサケやマスのかわで作ったぬのにきれいなししゅうをして、南の国の人がよろこぶおみやげを作っています。

サチエさんやパクルジンおじさんが住んでいる村は海の近くで、それはむかし話で聞くむかしの村とおなじように野イチゴがたくさんはえています。トナカイ飼いが飼うトナカイが食べるふさふさとしたコケもたくさんそだっています。(どうしてパクルジンおじさんはさびしがるのだろう)。ヨシエさんはふしぎに思うのです。

 ヨシエさんは南の国のやくにんが作った学校に通っています。学校では国語や算数のほか に、北の島にむかしからつたわる刺しゅうやちょうこくのことも習います。南の国の人は、《土人》の神さまのための神社もたてました。南の国のりょうしは少しですがパクルジンおじさんのまほうを信じていて、パクルジンおじさんに、おまもりを作るようたのみに来ます。パクルジンおじさんはお金をとらずに、おまもり作りの仕事を引きうけていました。ヨシエさんには、パクルジンおじさんの、さびしがる気もちが分からなかったのでした。

 南の国は、あちらこちらと戦争をしていました。戦争が大きくなると女の人も子どもも年よりも、戦争ためのしごとをしました。刺しゅうやちょうこくのじゅぎょうも、へいたいさんになるための訓練や、へいたいさんの傷の手当の練習をする時間になりました。飼っていたトナカイもへいたいさんのにもつを運ぶため、やくにんによってつれていかれました。わかものたちは、南の国のへいたいになりました。

 パクルジンおじさんは、南の国が北の国とせんそうをしないかしんぱいでした。同じ島なのに、島の北のほうにくらす人々のことが分からないのです。

 ある夏、とうとう北の国がせめてきました。そして南の国はせんそうにまけてしまいました。北の国にくらすパクルジンおじさんのしんせきは、南の国のスパイのうたがいで、死刑になっていたことも分かりました。

 村にくらす人々は、もの知りの学校の先生のところへ集まりました。しかし先生は、「私を先生とよばないでおくれ。先生はまちがったことを教えない。だけどせんそうにまけた。それなのに私たちは、きみたちの魚をうばい、トナカイをうばい、わかものたちまでうばった」と悲しそうに言います「みんな、これからは自分のことは自分で考えるのだ。自分やかぞくがたすかるためにウソをつくことも、本当のことを言ってしんでしまうこともある。すべて自分の頭でかんがえてきめるのだ」先生はそう言います。

パクルジンおじさんが北の海に楽園があると言い出したのは、そのころからでした。そしてパクルジンおじさんとなかまを乗せた船はたびに出ました。


 ヨシエさんのかぞくは南の国でくらすことにしました。さいわい南の国は、そのご、せんそうをしませんでした。しかし、うちゅうの海にうかぶ、ちきゅうという島はせんそうがたえません。

 ヨシエさんはすっかりおばあさんになりましたが、はるか北の海へむかったパクルジンおじさんのことを思い出さない日はありません。

「きっと星の海のかなたに、せんそうのない楽園がある。パクルジンおじさんは自然の声を聞けるのでそれを知っていた」と、ヨシエさんは思うのです。

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北の海の星の楽園 高秀恵子 @sansango9

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