第9話

 新之助は親友付き合いをしていた氏家の隠された暗黒面を知り、激

しく動揺していた。

 声が震えそうになるのを懸命にこらえ、言った。「去年の文化の日

に三輪田山に登ったのを覚えているか?」

 氏家は懺悔前の修行僧のような思い詰めた眼差しで有希を見てい

たが、新之助に向き直り微笑んだ。「覚えているよ。楽しかったね」

「あのとき、おれは死ぬ一歩手前まで行った。おれを殺すつもりで

突き飛ばしたのか?」

 氏家は表情をゆがめた。大きく溜め息をつき、空を見上げた。無

言だった。新之助は待った。

 数分後、上空を覆っていた乳色の積乱雲が二つに割れ、その隙間か

ら強烈な夏の日差しが照りつけてきた。

 氏家は避けるように顔をうつむけた。

「殺すつもりはなかった。ただあのとき、山を下りながらふと思っ

たんだ。この背中を押したらどうなるだろうってね。

 そう思ったら、背中がぞくぞくしてきて、快感を感じて、射精し

そうになった。とてもあの快感に逆らうことはできなかった。

 似たようなことは中学時代にもあった。お袋とショッピングセン

ターに買い物に行き、お袋の優柔不断にしびれを切らしたおれは、

先に車に戻り、車の中で待っていた。

 そこは屋上の駐車場だった。おれは車のバックシートに寝転がっ

てお袋を待っていたが、一時間経っても戻ってこない。いらいらし

たおれは起き上がり、カーラジオをつけた。

 そうしたら正面に見えたんだ。小学校四、五年生くらいの男の子

が駐車場のコンクリート塀に上がり、ひざまづいて下を覗き込んで

いるのが。

 そのとき初めて思った。あの背中を押してやったら、どうなるだ

ろうかってね。そう思ったら、とてもやめられなかった」

「押したのか? 背中を」

 牛島が汚物を舐めたように顔をしかめた。

 氏家は首をかしげた。スラックスの右ポケットから図工用のカッ

ターナイフを取り出し、刃を出すと、有希の後ろに回り、カッター

ナイフを有希の喉に当てた。

 新之助と牛島が防ぐ間もないほど疾風のように速く、自然な動き

だった。

 有希は血相を変え、逃れようとしたが、新之助は目配せして、や

めさせた。

「おれはどうせ死刑だ。死ぬのなら朝丘と一緒に死ぬ」

 牛島が氏家の興奮を鎮めるように両手を挙げた。「早まるな! ま

だ死刑だと決まったわけじゃない」

「どうしておれなんだよう?」有希が真っ青な顔で叫んだ。

「おれは山際と付き合っていたが、本当はお前の方が好きだった。

だから一緒に死んでもらう」

 氏家は有希の喉にナイフを当てたまま、金網フェンス沿いに数メ

ートル引きずって行き、金網が破れ、補修されないままになってい

た部分を押し広げ、人一人が通り抜けられるようにした。開いた空

間から有希をフェンスの外に出し、続いて自分も出た。

「牛島の言う通りだ。死刑だと決まったわけじゃない。ばかなこと

はよせ!」

 新之助は後に続いた。新之助の後からフェンスをくぐった牛島が

泣き声で叫んだ。

「待て! 有希は助けてやってくれ。代わりにおれがお前と一緒に

死んでやる」

 新之助は振り返った。牛島は両掌を合わせ泣いていた。

「悪いが、断らせてもらうよ。男と心中するような趣味はないんで

ね」

 氏家は左手で有希の右上腕をつかんだ。引きずっていき、屋上の縁

に立った。

 牛島は新之助の前に出て懇願した。「頼む。有希を殺さないでくれ」

 氏家は無視して、地上を覗き込んだ。有希をつかんだまま身を投げ

出そうとした。

「やめろ!」

 牛島が氏家につかみかかっていった。

 氏家は右手のカッターナイフを振り下ろした。牛島の上着の左肩部

分が裂け、真っ赤な鮮血が迸った。

 三人はもつれ合ったまま落下していった。

 新之助はそれからの自分の行動を詳しくは覚えていない。

牛島が死んだことは未だに現実だとは思えない。牛島は有希を助けよ

うと有希の下になった状態で、地上に激突して即死した。有希は左手

首の骨折だけで済んだ。

 氏家は顔と腰に重症を負い、入院した。

 三カ月後、車イスで病院を退院した氏家は、警察に逮捕され、城

西小学校事件と山際涼子殺害事件の犯行を自供した。

 その際に新之助の靴箱から盗み出していたテニスシューズの片側

を、山際の遺体の傍に遺棄したことと、校内で新之助犯人説の噂を

流布したことを認めた。現在は氏家が関わったと見られるその他の

事件の捜査と、氏家の精神鑑定が行われている。

 新之助は牛島の葬式で、牛島の母から牛島と有希が腹違いの兄妹

だったと打ち明けられた。牛島の母は若い頃水商売をしていて、客

として通ってきていた有希の父と一晩限りの過ちを犯し、その結果、

牛島が誕生したと話した。月々の養育費を受け取り、そのことを息

子にも話し、納得してもらっていたが、有希は事実を知らないだろ

うとも言った。

 新之助は二学期になってからも有希とそれまで通りの交際を続け

ていたが、お互いの気持ちの隙間を埋める術が見つからず、しばし

の別れを提案され、了承した。(了)

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学校の噂 風来坊 @yoshi87

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