第4話:映画館
「わ〜っ」
街に入ってからというもの、わたしはひたすら上を見上げてはあんぐりと口を開けて感嘆を漏らすばかりだった。キラキラと輝く小さな光の集まり__ニリツが言うには電飾というらしい__はまるで宝石のようだ。
「開きすぎて目ん玉落とさないようにね」
「そんなことにはならないわ」
きょろきょろと辺りを見回して忙しない様子にニリツは苦笑しっぱなしだ。普段ならむくれるところだけれど、今はそんなことはどうだっていい。いつも見下ろしていた街がこんなに魅力的な場所だったなんて!通り過ぎていく景色をじっくり見るには目がいくつあっても足りない。
「映画館はどこかしら」
わたしにはずらりと並んだ建物が何のお店なのかはわからない。大体、“ 店 ”なんて本に出てくるから知っているだけで、実物は生まれて初めて見る。
手近なショウウィンドウを覗き込むと、綺麗に装飾された服が目に入った。どれも胸元や袖口に複雑な刺繍がされている。
「これはきっと“ 服屋さん ”ね」
上から眺めた時に見かけた人々はみんな色のついた服を着ていたけれど、こんな模様があったなんて初めて知った。街は夜だからかもしれないけれど、あまり人通りがない。昼間に来れば、このショウウィンドウの中にあるような服を身に纏った人々が出歩くのだろう。
施設にいるみんなは、わたしたちや大人も含めてお揃いの白い服を着ている。模様なんてものはない。そのことに不満を感じたことなんてなかったけれど、こうして種類豊富な服を見ていると羨ましくなってきた。一度でいいから着てみたい。
「ニリツはあの服がいいと思うわ」
一番端の人形が着ている服を指させば、黙って通りを眺めていたニリツが視線を戻した。明るい茶色のズボンに目の冴えるような青いジャケットだ。どちらにもきらきらと光を反射する小さな石が縫い付けられている。
「あれ?」
「瞳の色にピッタリでしょう?」
「そうかなあ」
ニリツは微妙な顔をして頭をかいた。何だか、そうとは思えないと言いたげである。
「きっとあれを着たあなたは施設の子の誰よりも格好いいわ」
そう言ってのけると、彼はまんざらでもなさそうに微笑んだ。
「ネヒアはこれがいいと思うよ」
そう言って中央に飾られた濃紺のドレスを指さした。上半身はびったりと体のラインを強調しているけれど、腰のあたりから布が広がっている。左右非対称になったスカートの裾には先程の服と同じような石が付いていて、まるで星空のカーテンのように見えた。
「わたしには大人っぽすぎるんじゃないかしら」
「大人になった君が着たら、誰もがお姫様だと疑わないだろうね」
ニリツは平然と言ってのける。ドレスを着た姿を想像しているのか、視線が上から下へと移動するのが感じられた。
「大体、髪の色に合わないわよ」
なんだか無性に恥ずかしくなったわたしは照れ隠しに自分の髪をぎゅっと引っ張った。
わたしの髪は変な色をしている。暗がりでは黒に見えなくもないけれど、明るい場所では真っ赤に見えるのだ。こんな色なのは生まれのせいらしいけれど、作り物みたいな自分の髪が昔から好きになれない。ニリツやアルキみたいな、自然な色合いのほうが綺麗だと思う。
「ネヒアは何を着ても似合うよ。おれが保証する」
あんまりにも自信満々に言うものだから、ついおかしくなってわたしは吹き出した。
「ニリツだって、いつもの服しか知らないじゃない」
施設の服しか着たことのないわたしを見てそう言われても信じられない。でも、彼ならきっと心からそう思ってくれてるんだろう。それだけわかればいい。
「ね、まだ着かないのかしら。だいぶ歩いたわ」
話しているうちに景色は変わっていた。少しだけ暗がりに入っていっているような気もする。今までの道は煌々としていたから、本当にこっちでいいのか不安になった。時折、女の人の高い声や唸り声のような恐ろしい声も聞こえる建物もある。
もしかしたら迷っているんじゃないかと考えが過ったけれど、ニリツの顔に戸惑いは見えない。
「情報によると、そろそろ見えてくるはずだよ」
そう言ってニリツはポケットから小さく折りたたまれた紙を取り出した。広げると、白黒に印刷された模様が目に入る。この街の地図だ。
一体こんなものをどこで手に入れたのかは知らないけど、よくもまあ見つけたものだと思う。
「うん、合ってる。そこの角、右に行って次の次の角を左に行くみたいだ」
「わかったわ」
勇み足で進んでいくと、一際電飾で飾られた建物が目に入った。隣り合う建物が地味なせいもあるが、目を引いたのはその壁だった。
「わあ〜っ!」
壁には色々な写真のようなものが飾ってある。近寄ってみると写真のものもあるし、絵のものもあった。それぞれに短い文章が見て取れる。
「他の映画みたいだね。あっ、ネヒア!ロノムもあるよ!」
冷静だったニリツの声が突然はしゃいだ。一目散にカラフルな絵の方に走っていく。
「ちょ、ちょっと、置いていかないでよ!」
あまりにも遠くに行ってしまうものだから、わたしは不安になってその背中を追いかけた。
と、足に何かが引っかかる感覚がした。気がついた時には体勢が大きく崩れている。
「きゃ……っ」
咄嗟に手を前に出すが、みるみるうちに地面が迫る。
「ネヒアっ」
気づいたニリツがこちらに走ってくるのが見えた。衝撃に備えてぎゅっと目を瞑る。
「おっと」
頭上から声が降ってきたと思えば、体がしっかりと支えられる感覚がする。そのまま引き上げられるのがわかって、わたしはそっと目を開けた。振り向くと黒い双眸と目が合う。
「大丈夫かい、嬢ちゃん」
「あ、ありがとう」
赤の他人に触られた経験がないわたしは分かりやすく固まったけれど、それを物ともせずに目の前の大きな男の人はニカッと笑った。
まじまじと顔を見れば、左目の瞼から顎にかけて深い傷が走っている。それと、短く刈られた茶色の髪と真っ黒な瞳が印象的だ。
「ネヒア、大丈夫?」
すっかり焦った様子のニリツがそばに寄ってきた。
「怪我はない?」
「大丈夫よ、少し躓いただけだもの」
差し出された手に掴まりながらわたしは答えた。ニリツはつま先から頭までよく確認したのにも関わらず、眉は顰めたままだ。
「坊」
男の人がにやにやと笑いながらニリツに話しかける。
「なに」
と、返事をしたのは目つきを鋭くしたニリツだった。
「……いんや、何でもねぇ。子どもがこんな時間に出歩くと危ねぇぞォ」
じゃあな、と手を挙げて、男の人は何処かへ行ってしまった。ニリツの顔はその姿が消える最後まで険しかった。
「ニリツ?」
「さ、映画館に入ろうよ」
見慣れない彼の様子に恐る恐る声を掛ければ、今までの出来事が何もなかったかのようにぱっと笑みを浮かべる。
「やっと着いたね。ああ、楽しみ!」
飛颺のネヒア 藤野 咲 @saki_fujino
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