第3話 湿原の戦い

 エマイル砦はペラム王国の北国境にある。この辺りの国境防衛の要となる砦である。


 アザラン公国とジューク王国とペラム王国の国境が複雑に入り組んだ場所にあり、アーナエラ公国にも近い。低い山地で森が多く、山賊もよく出没する。その重要性から、けして多くの兵力を保有しているとは言えないペラム王国としては珍しく、常に500人の国境警備軍を砦に置いていた。


 砦からは国境の警戒のために日に何度か巡回兵を出していた。広域を巡回するために騎兵を中心とした5名ほどの部隊である。もちろんこの部隊は国境に異変があった場合に自ら戦闘を行う事を目的とした部隊ではない。異変があればすぐに本隊に連絡することになっている。


 しかし、国境地帯に現れた不審者を尋問したり、街道に現れる小規模な盗賊を追い払ったりくらいはする。


 この時も、巡回部隊は怪しい異民族の騎馬が街道の周辺でうろうろしているのを発見した。誰何すると驚いたような様子を見せ、逃走に移った。逃走する者を追い掛けるのは犬でなくても兵隊の本能のようなものだ。しかも相手は一人。


 巡回部隊は大声で威嚇の声を上げながら追走した。異民族の騎馬は街道を外れ、森の中に続く小道に入った。彼らはこの辺りの地理を熟知している。その小道の先が行き止まりであることを知っていた。勢い込んで森の中に駆け込んだ。


 そして小道の行き止まり。屏風のようにそそり立つ崖の下の広場(古い神の祠があった)にまでやってきて初めて、


そこに自分達の数倍の兵士が待ち構えていることに気が付いたのであった。


 クロスボウを構える軽歩兵。長槍を構える重装歩兵。


 そして異民族を交えた騎兵が二十騎ほど。


 思わぬ展開に巡回部隊は立ち竦む。その隙に異民族の騎兵がすばやく背後に回り込んで巡回部隊の退路を断つ。


 つまり彼らは見事に罠に誘い込まれたのだった。


 事態に気が付いて顔を青くする巡回部隊の面々の前にゆっくりと一騎が進み出た。見事な体躯の黒馬。


 その上にちょこんと乗る銀色の小さな鎧。兜は被らず長い金髪をなびかせている。挑戦的な青い瞳が得意満面の笑顔の中から巡回部隊を見下ろしている。


 彼女は十分に注目を集めてから良く通る声で呼ばわった。


「この私を知っている者はあるか!」


 その台詞を聞いて、兵たちは改めて彼女の事を見返したようである。あっと言うように驚愕の表情を浮かべた者が何人かあった。それを見て彼女は満足そうに頷いた。


「であろうな。見知った顔がいる。砦には昨年に野盗退治で数日泊まった」


「ま、まさか」


 巡回部隊の中でも一番年嵩と思われる騎兵が口を開く。


「あ、アクナイアス閣下か?」


「うむ、覚えがあるぞ。そなた。ベルツ・エボアだったな」


 名を呼ばれてその騎兵、エボアは驚いたようであった。


「ならば、本当に閣下なのか?」


「そうだ。エリュアー・マグダーネン・アクナイアスだ」


 エリュアーは腰から剣を抜くと天に掲げた。


「今、ペラム王国に舞い戻った。余を裏切りし者に復讐するために!」



 俺とエリュアーがペラム王国に向かう準備を終えるまでに1月ほど掛かった。季節は秋に差し掛かっている。


 傭兵たちと盗賊改めアクナイアス家騎兵団を訓練して作戦行動出来るようにするのにそれくらいの時間が必要だったのだ。


 特に騎兵の訓練は大変だった。元々異民族で文化が違う上に、命令を聞いて統一した行動を取ることの重要性への理解も低い。騎兵隊長に任命された俺への忠誠心も低い。


 それでもどうにかこうにか形を付けられたのは女ボスであるイマーニがエリュアーに信服しており、その部下である俺の言う事も尊重したからである。


 エリュアーは異民族に差別意識をまるで持たず、イマーニ対する援助も大盤振る舞いしてケチらなかった(借金だが)。おかげで彼らの馬も肥え、子供たちの表情にも明るさが戻った。異民族にとって上に立つ者の気前の良さというのは重要な美点であるしい。彼らのエリュアーへの心服ぶりは本物だった。裏切りを想定しないで良さそうだというのはありがたい。


 ようやく作戦行動が可能なレベルに達したと考えた俺たちはエマイル砦まで秘密裏に進出してきた訳である。当然、砦の奪取を狙っている。エリュアーと俺がこの砦に目を付けたのには幾つか理由があった。


 第一に、これから内戦を戦う上で、外敵に隙を見せたくないという理由があった。特に先のイルアローンの戦いで敗れ、ペラム王国に対して復讐の機会を伺っている我が祖国ジューク王国。ペラム王国が内戦を起こせば必ずそれに乗じて復仇を企むだろう。それを牽制するのにジューク王国に睨みを効かせる位置にあるエマイル砦は重要だ。ここに十分な兵がいればジューク王国も盲動は出来まい。


 二つ目の理由は、補給ルートと退路の確保である。内戦が激化すればアーナエラ公国に物資の補給を要請する可能性はあるし(応じてくれるかは分からないが)、戦いに敗れた場合はアーナエラ公国に逃げ込む事も考えなければいけない。この時にエマイル砦を抑えていなければどちらも失敗する可能性がある。


 最大の要因として、最初の戦いには華々しい勝利が必要だ、ということだった。我々としてはここで大きな勝利を得て、それを喧伝し、アクナイアス公爵ここにあり、というところをペラム王国中に見せつけなければならないのだ。それには難攻不落とまではいかないが堅城として知られるエマイル砦が打って付けだったのである。


 この時、俺とエリュアーは当初考えていた、盗賊として暴れ回って討伐軍として六将軍の誰かが差し向けられるのを待つ、という作戦を捨てていた。理由は六将軍に裏切り者がいる可能性があったからだ。寝返りが計算できなくなってしまった以上、この作戦は危険すぎる。


 仕方が無いので次善の策として、エマイル砦を手始めに戦闘で勝利を積み重ね、出来れば手勢も増やし、討伐に来た六将軍が寝返らなければ打ち破るという計画に変更したのである。連戦連勝が条件の危険な賭けであったが、検討の結果勝算はあるという事で採用した。その最初の派手な烽火に、エマイル砦攻略はなる筈だった。


 エマイル砦は小高い丘の上に建っており、その三方向は崖である。つまり接近出来るのは南側のみであり、かなり攻め難い砦だと言えた。こんな砦を僅か100名の手勢で陥落させるのに、馬鹿正直に正面から攻め寄せるなど下策の下であろう。


 それと、500名もいる守備隊を忘れるわけには行かない。訓練も行き届いた正規軍が五倍。明らかに俺たちの手に余る。これとも正面決戦などすべきではない。


 ということは搦め手、奇策、詐術の類が必要となってくる。


 俺たちは砦の守備隊の斥候部隊を見つけると罠に掛けて囲んだ挙げ句、エリュアーに華々しく帰還宣言をさせた。そしてその斥候部隊を解放して砦に逃げ戻らせたのである。


 これを数回繰り返した。これで砦に「アクナイアス公爵が復讐のために帰国してきた」という事が知れ渡った筈である。


 エリュアーは謀反人扱いになってしまったとは言え、この砦を何度か訪れ、山賊退治や紛争で華々しい功績を挙げた事は守備隊の誰もが覚えている筈だ。そのエリュアーが復讐を叫んで軍勢を引き連れて来たのである。砦は驚嘆し大慌てで都に使者を向かわせる一方、砦の大扉を閉めて守りを固めた。


 俺たちはそれを待って、砦を囲んだ。とは言っても軍勢自体は南面に集中させ、後三方向は人をやっていかにも野営をやっているかのようにたき火を焚かせて見せかけただけだ。しかしながら砦のある丘の周囲は森であるので、ぱっと見には分かるまい。


 そしてそこだけ開けている砦の城門前で挑発心も露わに部隊の訓練をやって見せたのである。重装歩兵の一糸乱れぬ行進や騎馬部隊の騎射、突撃。いかにも野盗の類とは違うぞ、という所を見せつけたのだ。


 名将アクナイアス公爵が良く訓練された大軍勢を率いて砦を囲んでいる。そう砦の守備隊が思い込めばもう勝負は決まったようなもの。


 包囲三日目に降伏を促す使者を送ると砦はたまらず開城したのであった。こうしてエマイル砦はアクナイアス軍の手中に落ちた。国境を越えてから僅かに15日後の事である。


 武装解除後に乗り込んできたアクナイアス軍の少なさに守備隊の面々は驚いた様子だったが、怒るよりもその機略に感心し、エリュアーへの崇拝を新たにしたようだった。そうなれば話は簡単で、元々見も知らぬ国王よりも実際に共に戦ったエリュアー贔屓であったエマイル砦の守備隊は丸々アクナイアス軍に加わったのである。


 これでその数600名。ただし、砦をがら空きには出来ないので都に向かう事が出来るのは精々300名であろう。それでも大きい。


 ペラム王国の常備軍の兵力は5千。そのほとんどは国境にいる。首都にいる数は2千に満たないだろう。それが全力出撃してくるとは思えないので、討伐軍が差し向けられたとしても精々1千だろうと俺たちは見ていた。


 300対1千ではまだまだ開きは大きいが、戦いようによっては善戦出来るだろう。この善戦出来る、勝負になるというのが重要である。我がアクナイアス公爵軍に味方しようという勢力があった場合、僅か100名で討伐を受けたら一溜まりもない状況では味方になりたいとは言い難いだろう。しかし、これが侮れない勢力であれば、そして自分が味方すれば勝てるかもしれないと思えれば、声を上げ易くなるだろう。


 エリュアーは勤勉なことに砦に入ってから休みも取らず、即座に手紙を書きまくり、使者に持たせて近隣の領主や有力者へと送り付けた。勿論自分への支援を促す手紙である。


 同時に近隣の村に人を送り、砦をアクナイアス公爵が占領したことを周知し、兵士の徴募と物資の買い入れを行った。兵士の給金と物資の代金にも景気良く金をばらまいたため、借金の総額がかなりとんでもない額になってきたが、ここで強制的に徴発しようものならアクナイアス公爵の名声も地に落ちてしまうのでやむを得ない。この「反乱」の勝機は、アクナイアス公爵こそ現国王よりも王に相応しいと全国民に思わせてこそ生じるのである。



 エマイル砦を奪取してようやく部屋が別になったというのに、彼女は早朝から俺を自分の部屋に呼びつけるものだから、俺たちは相変わらず朝から晩まで顔を突き合わせていた。


「ふん、なるほど。トールの読みではジューク王国は動かないと?」


「ああ、おそらく先の敗戦で王権が揺らいでいるから、ペラム王国からの圧力が弱まったのを幸いと内部固めに奔走するだろうよ」


「ふふん、でも、ペラム王国から我々の後背を脅かすように要請が行くかもよ?」


「それでも動かないだろうよ。でもそうだな。先の戦いで割譲された領地を返すからくらいの大盤振る舞いが合ったら分からないな」


「ふむ、じゃぁ、最後の最後、追いつめられた国王がそれを考え出す前に手を打った方が良いのかしら?」


「そうだな、使者を出して友好を要請しておけば良いだろう」


「使者を出す時期が難しいわね」


 というように何をやっているのかと言えば、二人してあらゆる状況を考え出し、想定し、その対策を検討しているのである。


 エリュアーは天才的な閃きを持っており、悪魔的な発想をひねり出すのは得意なのであったが、いささか視野が狭い。俺の役割はその彼女に俺の視野からの状況を提示し、検討を促す事だった。見えさえすれば彼女は俺には及びも付かない発想をする。


 俺の考えを理解し、自分の欠点を認識したエリュアーは俺を脇から離さなくなったという訳である。女将軍が部下の男を部屋に連れ込んで朝から晩まで出てこないとなると、妙な噂の対象になりかねない所であったが、幸いなことにエリュアーは見た目ちんちくりんの少女であるのでそれは無かった。


「さて、そろそろかしらね」


 エリュアーは瞼を擦り濃いめに入れたコーヒーを苦そうに舐めながら言った。流石に疲労の色が見える。それでも髪も肌もつやつやモチモチなのはさすがの若さだと俺はボサボサの髪をかき混ぜながら思った。


「そうだろうな」


 俺が答えるとエリュアーは眉をしかめる。


「あんまり当たって欲しくないけど、悔しいけどトールの読みはこういう事については当たるからね」


 人聞きの悪いこと言うな。俺がそう言おうとしたタイミングで、部屋の扉がノックされた。


「なんだ?」


「は、失礼いたします。今、アクナイアス公爵に御味方したいと騎士の方がいらっしゃいまして」


「ならばいつも通り、身体の調査をして。問題が無ければ入城させよ。騎馬を持っていれば騎兵隊に入れるから後で俺が見るが、それ以外はボルツに任せてある」


 このところポツポツとではあるがこのようにアクナイアス軍に加わりたいという傭兵や浪人が来るようになっていた。良い傾向である。


「いえ、それが、アクナイアス公爵に合わせて欲しいと」


「公爵は忙しい。無理だと言え」


 正体も分からない内にうかうかとエリュアーに合わせるわけには行かない。暗殺でもされたら事だ。


「いえ、それが『自分はクルーシア・トルシェ将軍だ』と名乗っておりまして」


 俺はエリュアーと思わず顔を見合わせた。クルーシア・トルシェ将軍。エリュアーの腹心たる六将軍の一人である。



「おお、まさしく公爵閣下!このトルシェ!死ぬ気で首都を抜け出してきた甲斐がありました!」


 と、叫んで跪き、天に喜びの祈りを捧げ始めたこの男。ペラム王国の誇る六将軍の一人、クルーシア・トルシェ将軍である。


 茶色の髪を肩付近まで伸ばしそれを後ろでまとめている。細身の長身で、目鼻立ちも秀麗。一見して貴族っぽく事実伯爵であった。くすんだ銀色の甲冑に身を包み、丁寧な拝跪の姿勢でエリュアーの前に畏まっている。


「閣下が謀反の嫌疑を掛けられ、首都からお出になられてより心の休まる暇はございませなんだ。よくぞご無事で」


「うむ、そなたこそ良く首都から抜け出せたな。何よりだ」


「は、閣下が現れたとの使者がここより参りまして、それで首都は混乱しております。その隙を突きまして単騎抜け出しました。手勢を連れて来られれば良かったのですが」


「そなたの力は万騎に値する。本当に良く来てくれた」


 エリュアーはトルシェの手を取って言った。そして俺の方を見てにまっと笑った。なんだよ。


「ほら、私の言った通りじゃない」


「まぁな」


 俺のぞんざいな返事にトルシェ将軍が怪訝な顔を見せる。俺は一応、立ったままだが騎士の礼をした。


「トーラス・エムネであります」


「ああ、ジューク王国より降ったという騎士だったか。今は確か閣下の奴隷?」


 ああ、とエリュアーは頷いて、トルシェ将軍に言った。


「戦役が終わってからになるけど、エムネは奴隷から解放して正式に騎士に叙任する。そしてあなたと同格の将軍にするつもりだからよろしくね」


 トルシェ将軍は驚愕の表情を見せた。


「こ、この男を将軍にですか?」


「うん、エムネにはずいぶんと助けられている。故に、本軍の騎馬部隊長はエムネだ。貴公は補佐になってくれ」


 再びトルシェ将軍が目を丸くする。


「わ、私がこの男の補佐ですか」


「うむ。宜しく頼む」


 将軍の自分が奴隷の俺の下に付くという屈辱は想定外だったのだろう。敬愛するアクナイアス公爵の命とは言え簡単には服し難かったのか、トルシェ将軍はしばし厳しい表情で沈黙していたが、やがて姿勢を正して言った。


「…分かりました騎馬部隊隊長補佐、拝命いたします」


 まぁ、トルシェ将軍には悪いがこれは仕方が無い事である。我が軍の騎馬部隊110名は既に俺が指揮官として訓練を積んでいる。今更トップをすげ替える事は混乱を招く故出来ない。ましてや内十八騎いる異民族騎馬隊に至っては俺の言うことをようやく聞いてくれるくらいでトルシェ将軍が指揮などしたら逃散してしまいかねない。


 トルシェ将軍もおそらくはそれを洞察したが故に納得したのだろう。しかしながらエリュアーの信頼厚き自分であれば、多少の無理は承知で指揮官に据えられてしかるべきだと思ってもいただろう。


「ずいぶん御気に入られたものだな」


 二人になった時トルシェ将軍は嫌みっぽく言ったものだ。俺は肩を竦めた。


「まぁ、逃避行中は常に一緒でしたからね」


 俺の返事にトルシェ将軍は苦笑した。


「それで情が移ったと?」


「何日かは同衾しましたからね」


 俺の返事にトルシェ将軍は仰け反って驚いたが、俺が笑うと冗談だと思ってくれたようだった。


 エリュアーが個人的に気に入ったから俺を重用してくれているとトルシェ将軍が思ってくれていた方がいろいろやりやすいのだが。


「閣下は私情で重要な判断を曇らせるような方では無い筈だ。貴殿が信頼されているとすればそれなりの理由がお有りになる」


 流石に良く分かってらっしゃる。俺は無言でもう一度肩を竦めた。


 トルシェ将軍の加入は戦力的によりも心理的対外的な部分で大きな意味を持っていた。


 エリュアーの腹心である六将軍の一人が反乱軍と認定されているアクナイアス軍に加わるというのは、六将軍がペラム王国よりもエリュアー個人に忠誠心を抱いている事の証明となっただろう。ペラム王国としてはこれで迂闊に六将軍を討伐に差し向け難くなった筈だ。


 同時に国内の諸侯、領主はこれでアクナイアス軍が勝利する確率がぐっと上がったと考える筈である。軍の中枢がエリュアーへの忠誠を失っていなければ、これからも寝返りが期待出来る。つまり討伐軍がそのまま寝返ってしまう可能性すらゼロではなく、そこまで行かなくとも討伐軍の志気は低かろうと想像出来るのだ。


 勝率が上がったと考えれば恩を売っておいても損はないと考えても不思議はない。近隣の諸侯領主からの協力の申し出は目に見えて増えた。



「きゃははははは!」


 アクナイアス公爵閣下は爆笑していた。仰向けに引っくり返って脚をばたつかせている。腹を抱えて笑うという言葉があるが、本当にお腹を抱えて笑っている奴を俺は初めて見た。


「そんなにおかしいですか?」


「だって、だって、う、うは!うはははははは!」


 小さな体で転げ回って笑っている。他に人がいないから良いようなものの、人に見られたらアクナイアス公爵の威光はずいぶんと損なわれる事だろう。


 エリュアーをこうまで笑わせたもの。それは俺が今持ってきた報告だった。


「ペラム王国は首都より反乱討伐軍を進発せり。兵力は1500。指揮官は近衛軍団長、騎士ローデン・オルバン」


「オルバン!あの間抜けが討伐軍の指揮官!わはははははは!」


 というわけである。


「可哀想に、余程人がいないと見える。あの阿呆に軍を預けなければいけないなんて。それにしても、ぷぷぷ、きゃははははは!」


 笑いが止まらない。一応、俺は釘を刺した。


「指揮官は兎も角、1500の討伐軍は侮れないだろう」


「あーあー、問題無い。それを六将軍の誰かが率いていたならかなり困ったが、馬鹿が率いたら虎だってロバになるわ」


 と、全く真剣味が無い。油断しまくっている。まぁ、それだけの自信があるのではあろうが。


「あ奴には我が屋敷を焼いてくれた礼をしなくてはな!引き続き討伐軍の情報を精査しながら、出撃準備をしなさい!」


 ようやく身体を起こしながらエリュアーは命じた。顔はニヤニヤ笑っていたが。まぁ、頬が緩む気持ちも分からないではない。俺だって散々気を揉んでいた討伐軍の司令官が、実戦経験のないお飾りの近衛軍団長だと知ってかなりホッとしたのだから。


 が、一応俺の役目として不吉な事は言っておかなければなるまい。


「司令官は無能でもそれに有能な副官が付いているかも知れんぞ」


 俺が言うとエリュアーはぴくっと頭を揺らした。


「いくら王の側近が無能でも、いくら何でもお前に実戦経験の無い奴を黙って差し向けまい。俺なら六将軍を誰か副官に付けるな」


 六将軍が全権を持って反乱軍を率いた場合、裏切りが恐ろし過ぎるというのが今回の人選の理由であろう。実際トルシェ将軍が既に裏切っているのだから警戒するのは当然だ。


 しかしながら実戦経験の無いオルバンに全てを託すというのもエリュアーの軍事的な実績を考えればあり得ない話だろう。この討伐軍はペラム王国が当面動員出来る全戦力である。負けたら首都まで遮るものは無いのだ。


 であれば忠誠心が信用出来るオルバンに指揮権は持たせるとしても、それ以外に参謀的な何者かをオルバンに付ける必要があろう。その役目が出来るのは六将軍の誰かしかいない。


 エリュアーは俺の一言でそこまで諒解したのだろう。金髪を両手でガシガシとかき混ぜながら呻いた。


「やっかいな!」


「全戦力の指揮権を六将軍が持っているなら、懐柔する方法もとれるが、おそらくは監視付きだろう状態では接触も難しい。最悪、疑われて暗殺されるかも知れない」


 この度の挙兵、ペラム王国への反乱だけ考えるのなら六将軍が暗殺されても勝利への障害が低くなるだけなので構わないのだが、エリュアーは当然、自分が勝ったその先も見据えている。彼女は反乱を成功させ、国王を放逐し自分が王になってペラム王国を統治するところまで視野に入れて入るのだ。そうするとここで得難い有能な将軍を失っては困るのである。


「仕方ないわね。ちょっと戦い方は考えてみるわ」


 エリュアーは面倒くさそうに言った。彼女が考えると言うなら大丈夫だろう。この見た目幼女の判断を俺は今や全面的に信用していた。


 俺の方はトルシェ将軍やイマーニ、それと砦の守備隊長であったボルツなどと共に出撃準備を整えるのに大わらわであった。軍勢を率いていくとはいえペラム王国の首都はそう遠くはない。普通に移動すれば5日もあれば十分着く。このため、糧食をそれほど用意しなくて済む。しかしながら戦争というのは膨大な物資を消耗するものであるので、矢であるとか投石用の石であるとかそういう戦闘に使う消耗品から、松明や薪、薬や包帯、毛布や 針糸など生活に使うあらゆるものを持って行かねばならないのである。


 それに加えて軍勢の訓練も欠かせないし、訓練させたらストレスを貯めさせないように休ませ、ガス抜きもしなければならない。食事はもちろん、給金を支払ったら使う当てまで用意する。商人を呼んだり商売女を呼んだりするのである。この辺はここがそもそも辺境の砦であることからそういうことには慣れた手配師がいて助かった。


 てんやわんやの準備期間を経て、討伐部隊の動きを確認した後、アクナイアス公爵軍はエマイル砦を首都を目指して進発した。砦を奪取して二ヶ月が経過していた。兵力は歩兵500と騎兵150を用意することが出来た。



 エマイル砦がある山地を下ると因縁深いイルアローン盆地である。エリュアーとしては験の良いこの地での決戦を望んでいたようだが、討伐軍はもっと首都寄りのスルツという村に留まってこちらの動きを待っているようであった。


 スルツの村は街道沿いのそこそこ大きな村でありやや堅牢な柵と堀で防御されていた。ここに籠もって我が軍に対応する腹だろうか?


「もしもその気なら放っておいて首都パーガスを突いても良いけどね」


 エリュアーは作戦会議でつまらなそうに言った。確かにそれもありではあるが。


「しかしそれでは首都の守備部隊と対決している間に後背を襲われる危険があるだろう」


「さよう。エマイル砦への補給ルートを切られてもたまりませぬ」


 歩兵隊長に任命した元エマイル砦守備隊長のボルツ・ガストンも頷く。四十歳程の男でがっちりとした体格だった。


「しかしスルツの攻略に手こずっても同じ事が言えよう。首都に残った部隊が急進してくるかも知れない」


 トルシェ将軍が言う。既にくすんだ銀の甲冑に白いマント、長めの両手剣という完全武装である。


 俺も同じ型式の甲冑にマントで好みで反りのある東洋風の片手剣を履いている。エリュアーも自前の銀の甲冑。ここにいるもう一人であるイマーニは重いのを嫌って胸甲しか付けていない。そのイマーニが癖のある発音で言った。


「首都からスルツまでどれくらい掛かる」


「軍勢を駆けさせれば二日だな」


「では、1日であの村を落とさねばならん。それは無理だ」


「それなら首都へ直行して、あわてて出てきた奴らを反転して叩いた方が良いんじゃないかしら」


 イマーニの後を引き取ってエリュアーが言うとイマーニがうれしそうにウンウンと頷いた。エリュアーとイマーニは積極的な行動を好む点で非常に馬が合う。


 エリュアーが積極的な作戦を推進している場合、俺は必然的に慎重な作戦を提示することになる。この場合、エリュアーに違う視点からの発想の切っ掛けを与えるために俺がわざとやっているという事を彼女が分かっているというのが重要である。


「反転して討伐軍に向かい合った瞬間を狙って首都から兵が出るかも知れない」


「野戦なら挟み撃ちを回避するのは難しくないし、首都から来る兵は数もせいぜい500。対処は難しくないわ」


 エリュアーの考えは大ざっぱだが、間違ってはいない。確かに後背を突かれる危険は村を囲んでいる最中の方が大きい。そもそもスルツの村は戦略的要地とまでは言えず、そこに討伐軍が籠もっている理由はなんだろうか。


「おそらくは敵は時間稼ぎをしたいのだろう。首都で新たな軍団を徴募編成する時間さえあれば王国は万単位の軍団が編成可能だ」


 トルシェ将軍の言葉にエリュアーも頷く。


「そう。だからそんな事をされる前に我が軍は首都を落とさねばならん。速度が大事だ」


 そうだろうか。俺は考え込む。時間稼ぎをするのであれば、討伐軍を出撃させなければ良かったのである。それを中途半端に出撃させる意味があるだろうか。指揮官である近衛隊長ローデン・オルバンが無能であるからの一言で済ませてしまうのは危険過ぎる。


 俺はもう一度地図を見た。きちんとした地図を手に入れる事が出来たのはエマイル砦を攻略した重要な成果だ。スルツの村はアサル川の際にあり、村の南側は川を天然の堀として使っている。アサル川は上流を東、ジューク王国側に持ち、西へペラム王国を貫いて流れている。平野を流れてくるので比較的流れは穏やかだ。そのため水運も盛んである。


「うん?」


 何かが引っ掛かる。アサル川はスルツの横を通ってペラム王国を横断すると、隣の国ポイヤ王国も貫いて海へと注ぐ。


 が、地図によるとその手前で何かが合流している。俺はペラム王国の地理には詳しくない。地図を指差して俺はトルシェ将軍に尋ねた。


「この地図の、この線は何を意味しているのですか?」


 トルシェ将軍は目を細めて地図を見、簡単に答えた。


「ああ、運河だな。水運のために首都からアサル川へ運河が掘られている」


 なるほど。ペラム王国の首都パーガスはアサル川には面していないので、水運の利を得たければ運河でも掘るしかない。


 運河。それがアサル川に繋がり、アサル川上流のスルツの村にも繋がっている。ははあ。俺は得心した。


「軍勢を徒歩で移動させれば二日だが、運河を船でならどうなんだ」


 エリュアーが虚を突かれたような表情をした。


「…首都からアサル川までは流れ下る事になるからかなり早いわね。その後は上流に向かうから遅くなるけど」


「アサル川に合流するポイントまでは船で行った方が早いんだな?」


 という事はこちらの想像よりも首都の軍勢がやってくる速度が速いという事だ。我が軍が1日でスルツを落とす方法を見つけていたとしても後背を襲われる可能性がある訳である。


「そこからスルツまで軍勢を急がせれば半日掛からない。なるほど」


 ボルツが唸る。


「それと我が軍が首都に向かったらスルツの部隊が船に乗って下流に下り、運河との合流点まで先回りする可能性も出てきたわけだ」


 トルシェ将軍も目を瞬かせる。


「こうなると迂闊に動けぬな。討伐軍は運河とアサル川を抑えていればこちらよりも迅速な行動が可能なのだ。我が軍の動きを見てからでも先回り出来る」


「首都と討伐軍の情報の共有も補給も、こちらの想像よりもずっと容易だろう」


 俺は思わず天を仰いだ。気が付いて良かったような悪かったような。エリュアーも行儀悪く親指の爪を噛みながら難しい顔で沈黙した。イマーニはそんなエリュアーを見ておろおろしている。


「なかなかの知恵者があの馬鹿の補佐をしているようね」


 オルバンの考えだとは露とも思わないエリュアーである。


「それならやはり、首都に急進した方が良かろう。敵に戦場を設定されるのは面白くないわ。こちらが先手を取りたい」


 エリュアーの言葉にイマーニ、トルシェ将軍、ボルツは頷いたが、俺はまだ頷けない。思考を誘導されている気がして仕方が無い。…俺は思い付きで言った。


「スルツの部隊はまだ本当にスルツにいるのか?」


「は?」


 エリュアーは呆れ果てたような顔をした。が、そのまま顔色が青くなる。


「敵が既にスルツにおらず、船で移動してしまって、我が軍を先回りしていたとしたらどうだ?敵に戦場を設定されてしまうだろう」


 トルシェ将軍、イマーニ、ボルツも驚愕の表情を浮かべた。


「大いに可能性があるな。慎重に偵察させよう」


 トルシェ将軍はすぐさま部下を呼んで偵察部隊を編成させた。俺はそれは任せたままエリュアーに言った。


「敵がひそかに我が軍を待ち受けるとすればどこなのかは分かるな?大丈夫だ。それさえ分かれば対処はそれほど難しくない」


 エリュアーは真剣な顔で頷き、頬を紅潮させて俺を睨みつけた。


「トール。あなたがイルアローンでジューク王国の指揮を執っていなくて良かったわ」



 ラットリア・オファス将軍は三十歳。角刈りで厳つい顔をしているが、勇猛なだけではなく知謀にも長けたところを評価されてエリュアーに抜擢された男である。


 彼がオルバンの補佐に付けられた理由は、彼が個人的にオルバンの知り合いだったからである。もっとも、それほど親しくはないし、彼としてはエリュアーへの恩も感じているので内心は複雑であった。


 それでも彼は手抜きをせず、オルバンのために作戦を立てた。オルバンに長所があるとすれば自分が思いつかなかったことを他人が考え出しても、他人を妬まないという点だったろう。オファスの作戦案を聞くと喜んで採用したのだ。


 スルツの村に籠もると見せ掛けて、夜陰に乗じて船でアサル川を下り、アクナイアス軍の先回りをする。オファスはエリュアーなら必ず積極的な作戦を採るだろうと読んでいた。


 実際に偵察部隊からの報告でアクナイアス軍がスルツには行かず首都へ急ぐようであるとの報告が届き、オファスは複雑な思いを隠して頷く。オルバンの方は大喜びで手を叩いた。


「さすがはオファス殿!これで奴らは我々の手の内ですな!」


 オファスは頷いたが内心、アクナイアス公爵が自分の予想通りに動いた事に幾ばくかの危惧を抱いていた。彼はアクナイアス公爵の発想が自分の想像を絶する所を何度も目にしていたのだ。その彼女が凡庸な自分の策に嵌まるなどという事があるだろうか。


 しかしながら計画は今更変更出来ないし、アクナイアス軍がこちらの描いた必勝の絵図に乗ってきたことも確かであった。そして自分は司令官ではなく参謀で補佐だ。漠然とした不安で作戦を変更する権限は持っていない。


 討伐軍が待ち伏せに選んだのは街道が湿地帯を抜ける所であった。街道は地盤改良工事をしているために固い地面であるが、その周りは入れば腰まで沈むような泥沼である。そんな場所が千歩ほど続く。つまりそこを抜けるには街道に収まるように隊列を精々三列縦隊くらいに細く長く延ばさなければならない。


 そこを正面と背後から囲む。アクナイアス軍は前進も後進も儘ならぬまま打ち破られるだろう。オルバンは勇んで自分子飼いの近衛軍団(彼らは全員騎兵)を連れて街道が湿地帯を出る所で先頭を叩く役目に志願した。オファスとしては出来ればそこには弓兵と重装歩兵を配置したかったのだが、必勝を信じ手柄を熱望するオルバンを止められず、了承するしかなかった。


 仕方なくオファスは自分で百騎を率いてアクナイアス軍の後背に回り込む役を買って出た。こちらの方が逃走するアクナイアス公爵を補足出来て出柄が得やすいと思うのだが、戦略眼の無いオルバンには敗残兵狩りの役目にしか見えなかったらしい。


 とりあえず布陣は決まり、街道から見えない丘陵の陰でアクナイアス軍を待つことしばし、やや日が傾き出した頃、アクナイアス軍が姿を現した。重装歩兵が輝く槍を揺らし、騎兵がその前後左右を守るように進む。しかし湿地帯に差し掛かると仕方無く騎兵が前に出て、その後ろに細長くなった歩兵が続くという隊列になった。予想通りである。


「オルバン殿、よろしいな?騎兵に自由に動かれては面倒だ。突破を許してはならん」


「委細承知!ものども、行くぞ!」


 オルバンの叫びに軍勢がどよめきで応える。討伐軍は隠れていた丘陵の陰から一斉に飛び出した。同時に狼煙を上げて湿地入り口に伏せてある兵へ合図を送る。そしてオファスは麾下の騎兵に合図を送りオルバンとは違う方向に馬を駆けさせた。ここまで行けば流石のアクナイアス公爵でもどうにもなるまい。オファスは少しの寂しさと共に確信した。



 この時、アクナイアス軍の先頭の騎兵を率いていたのは俺、トーラス・エムネである。後少しで湿地帯を抜けるというタイミングで突如現れた討伐軍を見ても俺は驚かなかった。当然予測していたからである。それどころか俺は冷笑した。


「馬鹿め。騎兵で突撃してきてどうする。まずは丘陵に弓兵を配置して離れたところから攻撃すべきだろうに」


 まぁ、そうなっても対処は考えてあったが。俺は30騎の部下に命じた。


「いいか、前進する必要は無い。防御に徹して下がりながら耐えよ」


 この騎士たちはイマーニ麾下の異民族では無く旧エマイル砦守備兵である。既に俺の命令には従うようになっている。


「弓矢に気を付けよ。手柄を焦るな。俺たちの出番はまだ先だ」


 俺の言葉に騎士たちがおう、と応じた。そこへやや派手な鎧を纏った騎士たちが突撃してきた。湿地帯を抜け切っていないのに街道の狭い中に先を争って突入してきたのである。俺は呆れた。どうも競技の馬上槍と勘違いしているらしい。あれなら打ち合ったら横をすり抜けて仕切り直しだがここは戦場だし、狭い街道では横をすり抜ける空間も無い。


 俺は盾で突入してきた騎士の槍を受け流しつつ、自分の槍の腹で相手の頭を軽く叩いた。それだけでその騎士は均衡を崩し、街道を外れて湿地帯の泥沼に落ちる。馬が脚を取られ、騎士は放り出され茶色い水しぶきが上がった。それには目もくれず俺は次々と騎士を殴ったり突き落としたりしながら左右の沼地に放り込んだ。これは楽だ。これが隊列を揃えてゆっくりと圧力を掛けて来られたなら後ろが詰まっている俺たちはそれほど後退も出来ないので困っただろうに。そこを弓でも射掛けられたらかなり苦労しただろう。


 どうも突入する以外に能が無いらしい近衛軍団の騎士をあしらいながら俺は時期を待った。


 討伐軍の作戦としては正面を塞いでおいて後背から伏せた兵で覆滅するというものであっただろう。我が軍が湿地に進入した時点で既に後背に五百程の歩兵が伏せてあったし、おそらく百騎ほどの騎兵が回り込んで来ていたと思われる。待ち伏せの包囲殲滅戦としては常識的な配置であり、湿地帯の回廊のような地形を考えれば完璧だと思える。


 もちろん、作戦が我が軍に見抜かれていなければだ。


 我が軍が回廊に完全に入り込んだと判断した討伐軍は姿を現し、一気に進んで後背を遮断した。回廊の出口側を囲み、塞ぐように布陣し、前を押されて下がってきたアクナイアス軍を刷り潰すように殲滅する腹である。その後ろを補完するように騎馬隊が回り込む。


 先頭では攻撃が始まっているが、後ろからは回廊には突入しない。逃げて出てきた敵を討った方が容易だからである。弓を張り、槍を構え、下がってくるアクナイアス軍を待つ。遠くから聞こえてくる喚声を聞きながら緊張を高めてその時を待つ。


 が、そこで彼らには予想外の事が起こる。


 突如彼らの背後から喊声が上がる。驚き振り向いたそこに突入してくる騎馬部隊がいた。アッと叫んだその瞬間には弓矢がザっと音を立てて降り注いでくる。待ち伏せ部隊は混乱した。その一瞬。


 今度は回廊側からも大量の弓矢が飛来してきた。一瞬の混乱の隙を突かれた討伐軍は今度こそ大混乱になる。そこへ、


「行け!」


 歩兵隊長ボルツ率いる重装歩兵が回廊を一気に飛び出してきた。回廊を抜け出した所で流れるように方陣を整え、長槍を構えての完全な突撃体制である。歩幅を揃え、陣形を乱さぬようにしながらも素晴らしい速度で突撃し、雄たけびを上げながら討伐軍にぶち当たった。大混乱していた討伐軍はたまらない。


 一突きで討伐軍の陣形は崩壊し、二突きで無秩序な敗走状態になる。騎馬部隊を率いていたオファスは驚愕した。最初に後背から襲ってきた騎馬部隊はほんの20騎ほど。明らかに異民族風のその部隊はあっという間にやってきて討伐軍に矢を射掛けると、そのまままたあっという間に去ってしまった。それを追うかどうか迷った一瞬の隙を突いてアクナイアス軍が飛び出してきたのである。しかもどうしたわけか完全に戦闘態勢で。


 一撃で待ち伏せの重装歩兵部隊を崩壊させたアクナイアス軍は一気に回廊を飛び出し、重装歩兵を展開させてしまう。数は数百。明らかに追い立てられて出てきたのでは無く、これあるを予測して回廊に入った段階で逆走して出る事を前提に陣形を考えていたのだろう。これでは百騎程度のオファスの部隊では手に負えない。オファスは呆然と立ちすくんだ。


「うわはははははは!」


 そこへ聞きなれた高笑いが降ってきた。


「この私を出し抜こうなぞ百年早いぞオファス!」


 そこに先ほどの異民族の騎兵が居て、その先頭に黒馬に乗った小さな姿が。夕日に銀の鎧を輝かし南風に金髪を舞わせる少女。見間違い様が無い。


「か、閣下か!」


「おうよ、我こそはエリュアー・マグダーネン・アクナイアスなり!汝ラットリア・オファス!見忘れてはいないようだな!」


 言葉遣いは男のようだが可憐な相貌に得意げな満面の笑みを浮かべている様は愛くるしい童女にしか見えない。しかしながらオファスは改めて彼女の軍事的才能に感じ入っていた。


「恐れ入った。まさか全て見抜かれていたのか」


「そなたの考えなぞお見通しぞ。程なくオルバンも討ち取られるであろうよ。そなたはどうする!」


 エリュアーが右手を挙げると重装歩兵部隊がざあっと槍を振り上げ、地響く様な勝ち鬨を上げた。オファス麾下の騎馬部隊の馬が驚いて暴れる。エリュアーの後ろにいる異民族の騎馬隊も弓を継がえオファス達を狙う。


 顔色を失ったオファスに、エリュアーはいっそ優しく問い掛けた。


「そなたの忠誠は見上げたものだが、それは本来我に向けられるべきもの。そうではないか?」


 裏切りの勧誘である。オファスは驚愕した。なんということか。アクナイアス公爵は単に自分の策を出し抜いて勝つだけではなく、自分を降らせて戦力の増強まで考えていたのだ。道理で一気に攻め掛かってこなかったわけである。


「そなたとそなた麾下の騎士達の罪は問わぬ。そなた達はそもそも私の騎士ではないか。あるべき所へ戻るが良い」


 オファスは思わず苦笑したこれは勝てない。戦略戦術の才から将としての器に至るまで自分はアクナイアス公爵に遙かに劣る。負けた負けた。オファスはいっそ清々しい気分となった。


 オファスは下馬して跪いた。


「負けもうした。ラットリア・オファス。閣下に全てをお預け申し上げる」


「おお!」


 それを聞くや否やエリュアーは馬を飛び降り、オファスに掛け寄った。驚くオファスの手を取って大きく上下に振る。


「よく言ってくれたわ!オファス!さぁ!共に戦いましょう!」


 そして屈託のない満面の笑顔を見せたのだった。



 俺は後方で何が起こっているかまでは把握し切れては居なかったが、事が予想通りに動いていることは疑っていなかった。あそこまで予想通りの展開で話が進んで失敗するほどエリュアーは無能ではない。


 しかしながら夕暮れ近い空に予定の色の狼煙が上がってホッとしなかったわけではない。運命というのは人智でどうしようもない事が確かにあるからだ。


 討伐軍の近衛軍団の騎士達は何度でも突入しては我が軍に弾かれるということを繰り返していた。こちらも多少の怪我人は出たが、近衛軍団の方はそれどころではなく鎧の重みで泥沼で溺れ死んだ者が多数居た。流石にそれに怯んだか、あるいは少しは考えたのか、一度後退して隊列を組み直していた。そのタイミングで狼煙が上がったのだ。


「よし!」


 俺は剣を振り上げ、部下達に合図した。それだけでそれまで密集して敵の突撃を跳ね返す事に集中していた陣形から、程良く隙間を明けた馬を駆けさせやすい陣形へと変化させる。


「いいか、今回一番戦ったのは俺たちだ!だから手柄も俺たちが貰うぞ!」


 俺が言うと部下の騎士達もおうと応える。同時に、正面で陣形を整えつつあった近衛軍団がなにやら慌て始めた。


 湿地帯に入る遙か前に離脱し、大迂回して近衛軍団の後方に回り込んだトルシェ将軍率いる騎馬部隊が奇襲を掛けたのだ。あれに任せておけばもう勝利は確定だが・・・。


「俺も手柄を立てとかなきゃいけないんでね!」


 俺は兜の面覆を下ろすと左右に合図をして馬の腹を蹴った。


 俺と部下の騎馬部隊三十騎は一本の矢のように隊列を組んで細い街道から撃ち出されるように突撃を開始した。今まで受け一方だった鬱憤を晴らすかのように雄叫びを上げ馬の首を押す。


 俺は先頭を切って近衛軍団に襲い掛かった。事態の急変に戸惑って中途半端な姿勢で固まっていた騎士に容赦無く、体当たりするように槍を突き立てる。もんどり打って落馬する騎士を馬ではね飛ばし、その勢いで槍を引き抜くと更に前進してその次の騎士に槍を突き出す。


 俺にしてみればイルアローン以来の戦いである。しかもイルアローンでは戦う前に落馬して気を失ってしまっている。久々の戦闘に気分は高揚していたが、目的を忘れるほど血に酔いはしなかった。


 近衛軍団の騎士を押しのけるように前進した先に、いた、一際華美な鎧を着て白馬に乗っている大男。面覆で顔は見えないが間違い無く近衛軍団長にして討伐軍指揮官。ローデン・オルバンだ。俺は槍を大きく振り回して近くの敵を威嚇して間合いを作ると、大音声で呼わばった。


「近衛軍団長、ローデン・オルバン閣下とお見受けする!我はアクナイアス軍騎兵隊長、トーラス・エムネなり!閣下と一騎打ちを所望である!閣下が名誉を大事と思われるなら受けられることを忠告する!」


 オルバンは一瞬後退し掛かったが、俺の挑発に怒ったのか止めようとする部下を押し退けるように馬を前に出した。


「おのれ、どこの馬の骨が無礼な!」


 叫びながらも馬上で槍を立てる。馬上槍試合の作法である。俺は兜の中で笑った。俺も応じて槍を立て、馬を回してやや距離を取る。


「覚悟はよろしいか!」


「ぬかせ!」


 オルバンは叫ぶと槍を倒し、馬の腹を蹴って猛然と突っ込んできた。ふむ。馬上槍試合ならそれなりに強いのだろう。


 しかし、実戦を知らない騎士は所詮その程度である。右前から真っ直ぐに突き込まれてくる槍を俺は自分の左手で持った槍で斜めに逸らす。同時に右手に握った剣を振り上げる。


 俺とオルバンの馬がすれ違う瞬間、俺は剣を振るってオルバンの右腕を切り落とした。奴が真っ直ぐ突っ込みかつ槍を持ったままだったから可能な事であった。戦場で敵と交錯する際、動きを封じられた槍を持ったままなどあり得ないのだ。オルバンも学習しただろうが俺は彼に次の戦場を与えてやるつもりはなかった。


 槍と右腕を失いオルバンは白馬から投げ出される。俺は横を通過してすぐ馬を返すと即座に槍を投げ、仰向けで倒れているオルバンの腹に突き立てた。絶叫に構わず、俺はそのまま馬から飛び降りのたうち回るオルバンに駆け寄って叫んだ。


「近衛軍団長オルバンはこのトーラス・エムネが討ち取った!」


 同時に剣を一閃。オルバンの首を落とす。返り血に構わず、俺はオルバンの兜を被ったままの首を掴むと周囲の者に見せつけた。


 歓声と悲鳴が交錯する中、俺は馬上に戻ると、オルバンの首を槍先に刺して掲げつつ敵兵に叫ぶ。


「貴様等の将オルバンは討ち取った!これ以上抵抗するのなら貴様等も同じ運命を辿るだろう!アクナイアス公爵は寛大である。慈悲に縋る者に剣を振るうような真似はせん!降伏しろ!」


 俺の言葉に敵兵に動揺が走る。特に近衛軍団ではない歩兵達は我先に逃げ出すか槍を放り捨てて平伏している。近衛軍団の騎士達もすぐに同じようになるだろう。


 俺は面覆を上げて西の空を見た。夕日がまだぎりぎり丘の上に輝いていた。



 討伐軍との最初の戦いとなった「湿原の戦い」はアクナイアス軍の大勝利となった。討伐軍1500の内、討ち取られた者が主将ローデン・オルバンを筆頭に150。逃亡した者が800。降伏した者が600以上。降伏した者のほとんどはそのままアクナイアス軍への帰順を望んだ。特にオファス将軍率いる100名の騎馬部隊の帰順は今後のことを考えると非常に大きい。


 アクナイアス軍の損害は死者数名、負傷者100名ほどときわめて軽微であった。まさに一方的な大勝利である。


 これで討伐軍の主戦力は壊滅した筈で、後はパーガスまで進軍して籠もっている残存軍を打ち破るだけ。1500近くにまで膨れ上がったアクナイアス軍にとっては造作もないことである筈、だったのだが。


「そうも参りませぬ」


 無骨な顔を歪ませたのがラットリア・オファス将軍であった。降将だが、そのまま将軍としてアクナイアス軍の作戦会議に参加している。当然だが彼は最新の首都の状況に詳しい。


「実は公爵閣下が逃亡なされてすぐ、兵士徴募が始められまして、我々が首都を出立する時には編成が終わっておりました」


 エリュアーは目を丸くして驚愕した。


「なんで?なぜそんな事が!」


「閣下を逮捕出来ないと分かった時点で閣下が軍勢を率いて首都に攻め上ってくる事を予測したのでしょうな」


 トルシェ将軍が肩を竦める。なるほど。それと恐らくはエリュアーがアーナエラ公国に逃亡する事を予測し場合によってはアーナエラ公国への侵攻も考えていたかも知れない。


 いずれにせよ果断で迅速な決断であったと言える。無能で惰弱なはずの王がその決断を成したのであれば評価を改めねばなるまい。


「数は」


「5000を下らないかと」


 さすがのエリュアーも黙り込む。徴募の軍勢で訓練も出来ていないだろう事を考えても数は数である。しかも指揮官がおそらくは・・・。


「ジョルジュ・エスタック将軍であろうと思われます」


 六将軍の筆頭に上げられるエスタック将軍である。三十七歳の年齢もあるが、ペラム王国の武家の名門の出で、エリュアー個人への信服も深いが、王家への忠誠心も非常に高いという人物である。非常に高潔な人柄で兵士からの信頼も厚い。


「エスタックが指揮官となると、バクチャ、ボルガン、クロイニアも従うでしょうね・・・。そもそも私が軍の指揮権を得るまではあの三人はエスタックの部下だったから」


 エリュアーが唸った。六将軍の内4人が敵に回りしかも兵力も倍以上多いのである。これはかなりまずいことになった。それにしても。俺はオファス将軍に尋ねた。


「事前の予想ではエスタック将軍は敵対すまいというのが公爵の予想だったのだが、エスタック将軍はなぜ閣下に刃を向ける決断をなされたのか?」


 オファス将軍はちらっと俺を見たが、エリュアーに向かって言った。俺の質問が本当はエリュアーが聞きたかった事だと分かっていたのだろう。


「エスタック将軍の妻子は王宮に人質に取られております。それが理由かと」


 エリュアーは眉をしかめたが何も言わなかった。 代わりに吠えたのがイマーニである。


「卑劣な!許せぬ!」


 異民族で異国の地に取り残され、家族一族で身を寄せ合って暮らしてきたイマーニである。妻子を人質に取るなど許し難い卑劣な行為に見えたのだろう。


 もっとも、俺に言わせれば、家臣の反乱を防ぐ上で妻子を人質にするというのはよく行われる事であり、今回のように離反の可能性が高い者に兵権を与える博打を打つなら当然の処置であるとさえ言える。


 ちなみに六将軍はエスタック将軍とパクチャ将軍を除いて独身であり、トルシェ将軍とオファス将軍が人質を取られなかったのはそのためである。


「仕方がない」


 しばらく俯いてなにやら考え込んでいたエリュアーはくっと顔を上げて、決然と言った。


「我の道を阻むものあらば砕くのみ!エスタックが立ち塞がるなら打ち倒して首都への道を開く!」


 俺、トルシェ将軍、オファス将軍、ボルガン、イマーニは立ち上がって深々と礼をした。


「そなた達の力と忠誠に期待する!勝利の暁にはこのエリュアー・マグダーネン・アクナイアス、そなた達に厚く報いるであろう!」



「どう思う?」


 エリュアーは揺れるランプの明かりに金色の前髪を淡く輝かせながらぽつりと呟いた。椅子に座り、テーブルに頬杖を突いている。鎧は既に脱ぎ、カチューシャも外して後は寝台に潜り込むだけという格好である。


 俺はエリュアーの天幕に他の幹部に内緒でこっそり呼び出されていた。誰にも見つからないようにこそこそと女性の天幕に忍び込むなどまるっきり夜這いだが、勿論呼び出された理由はそんな色っぽいものではない。


 俺はエリュアーの向かいに座ると、テーブルの上に置きっぱなしだったコップに水差しから水を注いで飲み干した。


「・・・エスタック将軍が討伐軍を率いて来るというのは本当だろう。オファス将軍が嘘を吐く理由はない」


 何がなどとは聞かない。エリュアーと俺はこの時、常に同じ懸念を共有していたからだ。すなわち、六将軍の内誰が裏切り者なのか、という懸念である。


「だが、エスタック将軍が裏切り者であるなら、先行して送り込まれたオルバン軍がお粗末だ。エスタック将軍が全権を握っていたならオファス将軍に軍を預けただろう」


 そうなれば今回の戦いがこうも容易に勝てなかった可能性が高く、オファス将軍を味方に引き入れられなかった可能性も高い。


「ふむ。それはそうね」


 エリュアーは眠そうに目を擦った。よい子は寝る時間だ。しかし眠気を堪えてでもどうしても確認しておきたかったのだろう。


 エスタック将軍がアクナイアス公爵失脚事件の首謀者だとすると容易ならざる事態である。先ほどの会議の際にも確認したように、エスタック将軍はペラム王国軍のNo.2であり、彼個人に信服する将軍もいる。エスタック将軍が服しているからエリュアーにも従っている節がある者さえいるらしい。そんな彼が本気でエリュアー排斥に動いたのなら、ペラム王国軍の誰をも信用出来なくなってしまう。


 しかしながらそうではない。自分でもそう考えながらも、確信が欲しくてエリュアーは俺を呼んだのだろう。なので俺は余計な事は言わずに彼女の考えを肯定してやるだけにした。


「予定通り、で良いと思うぞ」


 返事がなかった。エリュアーはテーブルに突っ伏して寝息を立てていた。まぁ、こいつを安眠させるのも俺の役目だからな。俺はエリュアーを寝台に寝かせるべく小さな体をひょいと抱え上げた。







 







 

 

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アクナイアス王国興隆記 宮前葵 @AOIKEN

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