第40話
〈グリムside〉
さて、これは俺の語ると言えば語弊があるが、俺に記録された相棒の話だ。
俺とローリーは同時に生まれ、同時に別けられた。
俺には知識、ローリーには知恵が与えられていた。
わかりやすく言おう。
俺は俺達の材料になった人間たちの持っていた知識が全て蓄えられていた。
例えばある農夫の話だ。
彼は幼い頃に流行り病で命を落としかけた事がある。
それをある傭兵が救ってくれた。
もう30年以上前の出来事だが、彼はその傭兵に憧れて自らも傭兵として戦場に赴き、そしてその日のうちに後遺症を残すほどの重傷を負い村へと帰る事になった。
そして畑を耕し、夢も希望も失いながら日々を浪費していたのだ。
だがある時、村で過去類を見ないほどの飢饉が発生した。
イナゴの群れにより農作物の半分が駄目になり、そして天候の影響で残りの半分もほぼ全てが値のつけられないゴミに変わった。
幸いと言うべきか、村にはそれなりの蓄えがあったがどうしても足りない。
その年の税を納め、切り詰めてようやくほぼすべての村人が来年まで食いつなげるかどうかという程度である。
そう、ほぼ全てだ。
一部の例外、例えば傭兵を目指し身体を鍛え上げて他の者よりも多くを食らう人間。
そう言った者達まで養いきれないのだ。
結果として、その農夫は売られた。
奴隷としてならば幾分かマシな待遇を受けられたかもしれない。
しかし相手が悪かったと言うべきだろう。
事もあろうにその村の長はあの男、ドクターカリギュラの直属の人間に労働力として不満の残る老人や農夫のような傷物を売りつけてしまったのだ。
その後の事は農夫の知識にも無かったが、碌な結果にならなかったという確証が俺にはある。
相手があの男であれば、これはあくまでも予想でしかないが村一つが地図から消える事になっても不思議ではない。
ともかく俺にはその手の、他人の知識が植え付けられていた。
自虐を含めた言葉を使うならば、ひねくれた性格だという自覚はある。
その根源はこの手の人間達の恨みつらみ、妬み嫉みと言った知識が俺の精神を歪めたのだろう。
相棒にそのような知識が与えられなかったことを喜ぶべきだろうかとは思うが、しかし俺は生まれた瞬間に発狂するかと思ったほどだ。
数十人、数百人の知識が突然頭の中に流れ込むと同時に俺の体は魔導書として生成されたのだ。
自分の意思では指一本動かすことの出来ない身体、そこに持ち合わせるのは人間の知識、ある種の転生に近いかもしれない。
ともかくその手の集合体ともいえる俺は、このような不便極まりない体と知識を得た事でひねくれた。
では相棒は、あれに与えられたのは知恵だ。
人間は寝食に加えて排泄や呼吸と言った自称を当たり前のようにこなしている。
それらは生物として当然のように行う行為だが、人間の場合獣と違う点がある。
多くの獣は排泄行為は自分の陣地を周囲に知らしめるためのマーキングに該当する行為であると同時に、無防備な姿をさらしても問題ないと判断できる安全地帯にいる事を意味する。
対して人間にはそのような所作は不要。
あくまでも食べ物の滓と、体内で死んだ細胞を捨てるためだけの行為であり所定の位置、つまりトイレに行くのが普通の事。
それをローリーは生まれた時から知っていた。
だから赤子の様にトイレの存在を理解できずに所かまわず、という事態に陥ることは無かったのだ。
食事に関しても肉体を維持するには必要不可欠、睡眠も同様で夜になれば眠り日が昇れば起きるという事を当たり前のように、いや当たり前のことを最初から理解してこなしていた。
研究者たちからすれば扱いやすいモルモットのようにも見えたかもしれないな。
さて、ここまでが話の前振りと考えてほしい。
俺が記録したローリーについて語るための前振りだ。
あいつは自分の感情が芽生えた時期について、ドクターカリギュラと話をしていた時だと考えている。
それ自体は正しい事だが、実は時期が違う。
いつぞやにあの男が人を殺す事について語った時、その時に覚えた不安こそがローリーにとっては初めて感情が発露した時だと言えるだろう。
しかし実際は、あいつが感情に芽生えたのはもっと前の事であり、初めての感情は怒りだった。
当の本人は一切覚えていないがな。
それについていくらか語るとしよう。
あれは、俺達が生まれてすぐの事だったか。
食堂でローリーが紅茶を飲んでいた時の事だ。
ミルクと砂糖をたっぷり入れた、胸焼けするほど甘ったるい紅茶だ。
その時期には味覚の好みというのも洗練された物で、あいつは既に選り好みを始めていた。
本人は、やはりその事に気付いてはいなかったようだがな。
甘いものを好み、苦い物を避ける子供らしい味覚の持ち主だった。
そこに現れたのはドクターカリギュラだ。
あの男は、これは本当に意味の分からない話だがなぜか紅茶を嫌悪している。
コーヒーをこよなく愛して、紅茶を飲む輩は人類の汚点とまで言い切るほどの男だ。
俺からすれば、食に選り好みできるというだけでもうらやましいことこの上ないのだがな。
だがまぁ、そんな男が紅茶を飲むローリーを見てどう思うか。
その時の表情を俺はローリーの知識として見たが実に傑作だった。
肥溜めの水を飲む人間を見るような、信じられないといった様子だった。
対してローリーはと言えば、こちらもまた不可思議という思いを抱いていた。
苦いものが嫌いなローリーにとってコーヒーをストレートで飲むような人類がいるという事が不思議でたまらないのだろう。
そこからだ、あの二人は喧々囂々と如何に自分が飲んでいるものが素晴らしいか、いかに相手の飲んでいるものが駄目かと意見をぶつけ合ったのだ。
結果は、まぁ言うまでもないだろう。
互いに禍根を残してその場は解散となった。
その日の夜、ローリーは怒りを抱え込んでいたがまだ感情というものに理解を示していなかったせいだろう。
自分の中に生まれたそれに気付くことなく眠りについていた。
ちょうど、今病室で眠りこけているようにだ。
メアリーの手術は無事終わった。
相当な痛みだったのか、今でもうなされながら脂汗を流しているが見たところあの医者の腕は本物だ。
運が良かった、と言うべきだろう。
やぶ医者であれば、俺の知識にある農夫の様に引退に追い込まれていたかもしれないほどの傷だった。
それは、今は避けねばならない。
少なくともローリーが、俺の相棒が、否、俺の半身が人として暮らせるようになるまでは先達が導いてやらねばいけないのだ。
その役目を担うのは俺ではない。
断じて、俺のような者であってはならないのだ。
だから、俺はこの記録をここに残しておく。
いざという時に、俺が意識を失う事があればこの記録をローリーが見つけ出すだろう。
そしてメアリーでも、あるいはそれ以外の誰かでもいい。
ローリー・グリムの味方になってくれるだれかにこの願いを託す。
願わくば、平穏な時間を僅かでも作ってやってほしいと……。
ロリータ グリモワール 蒼井茜 @48690115
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