第4話:ボクはギャル
「すいません……友人の分も一緒に買いたくて……」
「いや、だからそれは困るのよね。ちゃんとここを読んで? 『お一人一個、他人の分は買えません』ってあるでしょ? 後ろも詰まっているし、一個だけで我慢してよね」
「……そこをどうか、お願いします」
「……貴女、前もそうやって買ったよね? 今日という今日は駄目よ! 手役が出来ないからって、配り直しを求める人はいないでしょう? ちゃんとルールがあるの、賀留多にも、購買部にも! 守れない人は外されるだけ、はい、何にするの?」
「…………プレーンで、お願いします」
梁亀さんだ――龍一郎の顔が俄に強張る。健啖家には到底見えず、規則を捻じ曲げる横暴さも感じられない彼女が、何故、ベーグルを規定数以上欲しがるのか……数秒と経たず、少年は答えを悟った。
買わされているんだ。卑怯者達に……!
「楢館、羽関! 悪いがちょっと来てくれ!」
何事かと雑誌コーナーから飛び出して来た二人。楢館はまだ読み足りないのか、漫画雑誌を手に持ったままだった。
「訳は後で話す。花石を渡すから、並んでベーグルを買ってくれないか?」
どうしたんだ急に――どちらかが口を開く間も与えず、龍一郎はベーグル代の花石を供与していく。二人は顔を見合わせ、チラリと行列の先頭を見やり……。
「……味はどうする?」
「数、俺達の三個で足りるのか」
心優しき少年の意を汲み、声を潜めて言った。
「梁亀さん!」
「……近江君? こんにちは。貴方もお買い物?」
龍一郎が幸薄い少女に追い付いたのは、購買部からやや離れた階段の踊り場であった。腕の中に抱かれたベーグルを一瞥し、姫歩はニコリと笑んだ。
「ベーグル、美味しいわよね。私もつい沢山買いたくなって――」
「これ、貰ってくれないか」
息を切らしながら龍一郎がベーグルを差し出す。微かに見開かれた姫歩の目が、しかし再び細くなり……。
「ありがとう、でも私、一個だけで――」
「あんたにあげたいんだ。頼む、貰ってくれ」
半ば押し付けるように手渡し、返事も聞かずにその場を駆け出す。楢館達の待つ教室へ一直線に走って行く龍一郎を、廊下で談笑する女子生徒が不思議そうに見やった。
何をしているんだ、俺は。彼女にベーグルを渡したところで事態は変わらない、むしろ使える手駒として奴らを喜ばせるだけじゃないか……。
「何だお前、走って来たのか?」
教室の扉付近を楢館が歩いていた。トイレに立った帰りらしく、濡れた手をズボンに擦り付けた。
「ハンカチぐらい使えよな……」
「忘れて来たんだよ、俺とした事が――それより」楢館が振り返る。目線は一年八組の方を向いていた。
「渡せたのか……ベーグル……」
頷く龍一郎。次第に息も整い、並んで扉を潜る。椅子にドッカリと座り込んだ羽関が軽く手を挙げ、傍らの古市を顎でしゃくった。
「お疲れ、近江。古市がサンドイッチをくれるそうだ」
「いやぁ、私っていうか――」
笑いながら古市が窓際を一瞥する。机に突っ伏し、世界史の教科書を衝立として外界からの干渉を遮断する女子生徒がいた。
「ちょっと、こっち来なよ一緒に」
ブンブンと頭を振るその生徒は――所謂「プラチナベージュ」に染めた髪を激しく揺らした。
「アイツ、見た目と性格が合ってねぇだろ」楢館が眉をひそめる。そんな彼を諫めて小突く羽関も、「まぁ……ギャップはあるが」と呟いた。
「皆で食べようって。あんたが言い出しっぺでしょうに」
「ボク、ケトジェニック中だから……!」
明るい髪の下から妙に可愛らしい声色の返事が聞こえた。
「この前止めたって言ったじゃん。ていうか、もうボクっての止めたら? キャラ作り? 恥ずかしがり屋でボクっ娘とか、アニメの真似?」
「ボク、昔っからボクだし……! それと時代劇派だから……!」
「まぁいいじゃねぇか、一人称なんて」
「近江の言う通り……!」
由緒正しき花ヶ岡高等学校には、意外にも髪色を統一する校則が存在しない。「生徒の自主性を重んじる」校風の為に特段の制約が無い為だが、やや明るい茶色に染める者は散見されるも、顔を伏せたままの彼女程に開放的なケースは珍しかった。
「見た目はパリピのギャルなんだけどなぁ……」
楢館の発言通り、少ないだけで存在はする。例えば龍一郎の在籍する一年四組のボクっ娘ギャル――
「よいしょっ……と」
「ひぃっ……! 乱暴は止めてぇ……!」
幾ら待てども近寄って来ない溜渕の脇を抱え、古市が龍一郎達の方へ強制移送を実行した。
「あぁーあ、カラコンまで入れて……。お前、よく風管部に怒られないな。何かストレスでリンパでも溜まってんじゃないか? 昨日、丁度そういう動画を――」
即座に古市の手が不埒者の襟首を掴み、後方へ勢い良く投げ飛ばす。ガラガラと音を立てて倒れ込む友人の事など露知らず、龍一郎と羽関はサンドイッチを頬張った。
「おぉ、これは美味いな……!」
「キュウリだけってのが良い。サッパリとしていて、だが旨味が強い。食べ飽きない逸品だ。下味のレベルが高いんだろう」
「近江、食レポ出来そうだな」
「いや、その……彼女に文句を言われてな。『美味い以外の感想を言え』って……」
「ボク、何か知らないけど負けた気がする……」
とは言いつつも、恥ずかしさから両肩を思い切りすぼめ、上目遣いで溜渕が二人を見つめる。瞬く間に彼らが食べ終える様子を、実に嬉しげな表情で眺めていた。
「本当だ、めっちゃ美味いぞこのサンドイッチ。毎日食いたいなぁ、俺!」
「隙あらば変な事を言うな! ……ところで、さぁ」梅味のサイダーを一口飲み、古市が龍一郎の方へ顔を近付けた。
「事情は訊いたよ、二人から……ごめん」
「あぁ……まぁ、そんな感じだ」
すぐ近くで札を打つ音が聞こえた。堅苦しい授業の狭間、愉楽に満ちた昼休みとは思えぬ程に五人は口を噤み、少なくなったサンドイッチを見つめるばかりである。
「……ぶっちゃけ、巻き込まれたらヤバいじゃん? 近江も……」
古市の言葉を聞いた瞬間、泥を飲み込むような感覚に襲われた龍一郎。形を持たず、しかし明らかな質量と不快感を備えた何かは、少年の臓腑へゆっくりと染み込んでいった。
「古市、近江はそんなタマじゃねぇぞ」
「分かってるって、そんなの……! でも……何て言うのかな……か、か……」
「火中の栗、か?」
そうそう、それそれ! 妙な博学を見せる楢館を指差した古市は、絞り出すように語を継いだ。
「梁亀さんは、さ。その……別のクラスじゃん。言い方キツいけど……関係無いっていうか――」
「ボク、良い事思い付いた」
皆の視線が一斉に溜渕へ集中する。自然な紅色が彼女の頬を染めていった。
「ブチ子、何かあるの?」
「あ、あぁっと……でもぉ……何か変かなって思って。やっぱり止めた」
申し訳無さそうに俯き、サンドイッチを囓る溜渕。自分なりの良案が浮かぶも、いざ発表の段となると途端に愚策の気配を感じる人間は一定数いる。
「言ってくれ溜渕。近江の助けになるかもしれん」
「そ、そう……?」
羽関の低く、しかし助けを請うような声色が溜渕を決意させたのか、絞り出すような声で彼女は言った。
「あのね、ボク的にはその虐めている奴を……」
小さな小箱を取り出しながら――。
「
「誰がやるのさ」
古市の問いに、しかしボクっ娘ギャルは至って真面目な表情で即答した。
「ボクがやる」
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