「おいで」

 一三時二四分――柊子は洗い終えたティーセットを拭きながら、窓の外をボンヤリと眺めていた。窓枠に積もった雪が風に飛ばされ、局所的な粉雪が降った。


 部室には彼女一人だけだった。つい一〇分前にが帰宅し、後を追うように帰るのがどうにも腹立たしく、もうしばらくは部室で孤独な時間を過ごす事に決めた。


「……」


 スマートフォンを取り出したが、すぐにポケットへ滑り入れた。目代へを入れようとし、取り止めた為である。卒業間近の彼女に新たな面倒事を持ち掛けるのが躊躇われた。


 卒業までも、してからも、ちょくちょく遊びに来て下さいねぇ――先日柊子は目代に言い、また目代も嬉しそうに頷いた。社交辞令のつもりはなかったが、目代が柊子の言葉をどう捉えたのかは不明だった。


 次に彼女はの誰か、もしくは全員に相談しようとしたが……これも止めた。現在仲良し四人組の間には「薄らとしたヒビ」が入っており、を処方している最中だからだ。第一、彼女らの関係無い《姫天狗友の会》のみに関わる問題であり――を与えてしまいかねない。


 結論として、龍一郎とトセに相談するのが最良に思えた。が、未だに柊子は夏期休業期間中に起きたを気にしていた。最近は龍一郎の恋人、左山梨子と関係を深めており、彼女を思えば(本人達が問題無いと言っていても)を龍一郎と引き合わせるのは悪手に感じられた。


 故に……柊子は自身だけである程度の考えを固め、龍一郎達に確認を取るという着地点を見出した。


「…………ふぅ」


 沈み込むように椅子に座り、溜息を吐く柊子。


 近頃、彼女は純粋に賀留多を楽しめずにいた。好き勝手に賀留多を打ち、ちょっとした博技で花石を増やし、友人達と面白可笑しく散財するという、普通の生徒なら誰でも過ごせる日常を――柊子は強く求めている。


 去年に姫天狗友の会へ所属し、代打ちとして目代の助けになろうと決めたのは確かに柊子自身であり、今でも代打ちを引退しようとは考えていない。校内で札問い自体が減少しているとはいえ、それでも彼女を頼って相談にやって来る生徒はいた。都度彼女は相談に乗ったが、以前と比べ、積極的に代打ちを行わなくなった。




 大変ねぇ、分かるわぁ……貴女の心境。でもね、ちょっと話し合ってご覧なさいよ。もしかしたら札問いをしなくとも、案外、解決の糸口が見付かるかもしれないわぁ。




 こう説得し、相談者に自力解決を促す事が増えた。無意識の内に「賀留多に与えられた」の肥大化を恐れていたのである。


 賀留多は楽しむ為の道具であり、紛争解決や用心棒の武器代わりに使うものではない……。


 彼女が気付き始めた頃、看葉奈率いる金花会は《銀裁局》なる組織の結成、同時に賀留多免許制度を開始した。「現在認定を受けている凶徒の解放」「学び舎で賀留多を打つという矛盾の守護」などと美辞麗句が目立ったが、柊子は「賀留多に与えられた力」がいよいよ頂点へ達したのだと悟った。




 免許があれば普通の生徒。免許が無ければ悪しき凶徒――。




 実に分かりやすい基準だった。看葉奈曰く、《銀裁局》は賀留多免許に関わる業務全般を司るという。金花会の定めた典則に基づき、免許の発行や管理――までも行う。


 要するに……《銀裁局》は実質的に金花会を超え、花ヶ岡でへとごく短期間で上り詰めたのである。


 生徒手帳など比較にならない程重要な免許の生き死にを、全て新顔の組織が握る事に対する恐怖は無いのか?


 柊子はクラスメイト、龍一郎、トセ、更には当事者の看葉奈へもこの事を訊ねた。


「今までの凶徒も一回リセットするって事でしょ? 優しいよね」


「普通にしていたら大丈夫でしょ? 忌手なんてやらないし、やり方も分からないし」


「どういう展開になるのかは読めませんが、そこまで恐れる程ではないかと。静観の時期ですね」


「私達は代打ちなんだし、賀留多があれば凶徒の情報収集が大分楽になるから良いと思います」


 龍一郎、トセの両名が黙認派だった為、柊子は一時期は「そういう時代なのかしら」と納得し掛けたが、時間が経つにつれ「やっぱりおかしいわね」と疑念を再度抱いたのである。


 あの子なら、あの子ならきっと――!


 最も考えの似通っているはずの看葉奈が次のように語った時、自らの聴覚が異常を来したのではと恐怖すら覚えた。


「新しい事を嫌う金花会としては……確かに不安もありますが、今後の賀留多文化に係る諸々の業務簡便化を思えば、この改革も全く無意味では無いかと存じます。再来年に終える校舎の増築に合わせて、生徒数も増えるでしょう。今より生徒の管理が難しくなるのは明らかですから……」


 決まってしまった事を覆せない、それは立場故の発言であろう……柊子は思ったが、だと気付いたのは間も無くであった。看葉奈は宇良川家の中――二人切りの時にこう語ったからだ。


 皆が一様に「人権の現物化」に気付かない、もしくは見て見ぬ振りをするという異常事態。柊子は周りと自身との思考のギャップに疲弊していた。


 確実にやって来る変動、恐らく始まるであろう変乱で頭を痛めているところに……救華園代表の中江駒来が現れたのが決め手となった。




 梁亀姫歩なる一年生を、姫天狗友の会に置いてやって欲しい。




 彼女は紛れも無い凶徒であった。中江曰く、によって凶徒になってしまったという。涙ながらに語る中江の言葉に、大抵の事柄を疑って掛かる柊子も無感動な訳ではなかった。


 故に――梁亀姫歩の仲間入りは厄介であった。


 単純に忌手を使うなり騒動を起こすなりで凶徒へ堕ちたのであれば、まだによって雑用ぐらいは任せられるかもしれなかった。


「同じクラスの生徒に嵌められたんだ。彼女は本当に悪事を働いていない、むしろクラスの和を何より求め……力を注いだ。気立ての良い、可愛い後輩なんだ。賀留多の知識だって豊富だよ……それに、一年生が二人いるだろう、きっとすぐに仲良くなれる」


 申し分の無い生徒だった。心優しく、気配りの出来る少女だという――それが何より柊子は気に掛かった。


 須く、優等生の振る舞いには一定のがある。九割の人間はその振る舞いに惚れ惚れとするが、一割の悪性人物には実に気味の悪い、叩き甲斐のある標的と映る。


 表面上にしろ、ようやく平穏を取り戻した同好会に「敵すら作る程の優等生」が入れば、必ずや悪性人物が自分達に対し害を為す……柊子は案じ、眉をひそめた。同時に――自分は残り一年で卒業していく立場である事を思い出した。


 細々と続いて来た姫天狗友の会を絶やす事無かれ。


 そう目代や上級生に頼まれた訳ではなかったが、一応は放課後の安息地として利用している手前、簡単に見捨てる事も出来ない。だからこそ知り合った広報部の一年生、浜須矢恵に依頼して「飛凪富生」の身辺調査を行い、に踏み出したのである。


 結果として、飛凪は代打ちに相応しい戦力を持ち合わせていなかった。むしろ凶徒達と関わりを持っているが露呈し、「仲間にならない?」と声を掛けるのは躊躇われた。


 人材難……柊子は思った。代打ちという特殊な業に就く以上、一定の戦力と一定の精神力、そしてが必要だった。


 免許交付に合わせて凶徒達は今の立場から解放されるという。ならば梁亀姫歩を同好会に入れても構わないのでは?


 自問自答はすぐに終わった。答えは「」。何故なら彼女には「絶対的な潔白性が足りない」からだった。


「もう……何なのよぉ……色々と……」


 ガックリと頭を垂れ、緩いパーマの掛かった髪を鷲掴むようにした柊子は、自らのネガティブ思考を呪った。


「もっと気軽に……『おいで』って言えないの……私……?」


 そのまま彼女は目を閉じ、を求めているという顔も知らない少女を思った……。

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