郭公
「結局、土曜日であろうが冬期講習であろうが……不思議なものねぇ」
終業式翌日の土曜日――部室の奥に陣取り、湯気の立つニルギリティーを啜る柊子は、正午を僅かに過ぎたグラウンドを眺めていた。一面に積もった雪は陽光を浴びて煌めき、自然と彼女の目が細まった。
部室の中に、柊子以外誰もいなかった。「この日に部室へ集まろう」と約束した訳では無く、唯……気が付くと足が向いていた。
新しいのを買ったからとトセが持ち込んだハロゲンヒーターを背に、フンワリと巻いたマフラーを弄びながら、柊子は看葉奈とミフ江の間に生まれたぎこちなさを思った。
創作技法集の出版を巡る一件を、当初は千咲と協力して「緩やかな着地」を目指そうとしたが、間も無く時間薬の必要性を痛感してからは、出会った頃のようなむず痒さを受け入れるしか出来なかった。
「……ふぅ」
日頃の言動から周囲に「粗暴な女」と思われがちな柊子は、しかしながら場の空気を最大限に読み……花ヶ岡に暮らしてきた。故に友人同士が諍いを起こした際にはすぐに仲を取り持ったし、心底落ち込んでいる姿を見掛ければ、即座に隣で話を聞いてやった。
よりにもよってあの二人が……。
看葉奈、ミフ江という気の優しい人物の間に入ったヒビに、今回ばかりは取り持ち上手の柊子もお手上げであった。
「時の流れに身を任せて、か……」
カップを半分程空けた頃、コンコンと小さい音がした。何者かが扉を叩いたのである。
「近江君? おトセちゃん? ……姐さん?」
柊子は順に名を呼び、すぐに彼らではない事を悟った。気心の知れた四人の間に限り、部室の扉をノックするなど逆に無粋であった。その為――。
「……どうぞ?」
廊下側に立つ者は、姫天狗友の会を訊ねて来る、即ち依頼者であると予測し、若干の余所行きじみた声色で入室を促した。扉が開かれていく最中、柊子はこの後依頼されるであろう代打ちが余程に面倒な案件であろうと身構えた。
冬期休業終了を待ち切れず、人がいるかも分からない姫天狗友の会部室へやって来る生徒など、只事ならぬ問題を抱えているに違い無い――。
直に三年生となり、目代に代わって姫天狗友の会を背負って立つ彼女は、数秒の内に今まで受けた案件を総合し、解決期間と請求額の落とし所を探った。
やがて扉が開き切り、その奥に立っていた生徒を認めた瞬間、柊子の柔和な目は俄に鋭利さを持ち、同時に闘気、もしくは殺気を放った。
「あぁーら……ここは部室棟じゃあ御座いませんよぉ……?」
「っ……失礼するよ」
《素手喧嘩柊子》の異名を取る二年生代打ちの眼光は、突然訪問して来た女子生徒を即座に萎縮させた。その生徒は強い緊張からか、「まぁどうぞ」と柊子にパイプ椅子に促されるまで、その場で室内をキョロキョロと見回していた。
ギシリ、と嫌な音がした。柊子が足を組み直した為だった。女子生徒は上目遣いに彼女を見つめ、口を開く機会を窺うようにしていたが――。
「それで」柊子に先手を奪われる形となった。
「救華園の長が何用で?」
微かに肩を震わせた女子生徒――中江駒来は恨めしそうな声で、「救華園なら」と語を継いだ。
「無くなったよ。つい先日にね」
中江の絞り出すような声色とは正反対に、あくまで柊子は明るく「そうでしたかぁ」と、口元だけで笑った。
「今までなら存在する理由も一応はありましたが、免許が交付されるとなれば……ねぇ? 考えるに、凶徒達は次々と抜けて行ったのでしょう……?」
黙したまま、中江は柊子の言葉を聴いていた。
「ぶら下がる利益を求めて、数歩先の落とし穴など目もくれず、盛る兎のように懸命に……それでこそ凶徒、それでこそ賀留多に唾した逆賊ですよぉ……?」
「……」
花ヶ岡に連綿と受け継がれる《札問い》、この不可思議な紛争解決手段に誰よりも長く触れる《代打ち》として、凶徒を束ねて賭場を開く中江の存在が堪らなく不快であった。同時に――敬愛する目代もまた、凶徒に近しい過去を持つという矛盾が、なおも彼女を苛立たせるのであった。
「それで、元園長さんがどういう流れでここに来る羽目となったのやら……お教え願いますかぁ?」
明らかに礼儀を欠いている後輩の目を、中江は一瞬睨め付けた。
「……私がここを訪れるのがおかしい事くらい、充分承知しているよ」
分かるだろう、君なら――中江の言葉に、しかし柊子は黙してカップを傾けるだけだった。
「お願いがあるんだよ、宇良川さん」
「お受けしませんわ、中江先輩」
柊子が言下に答え、緩やかなパーマの掛かった髪を掻き上げた。
「代打ちなんてものは、誰でも彼でも受けられる公的サービスじゃありません……唯のお人好しの集団ですよぉ? と、いう事は……気に食わない内容、特に好ましくない相手が依頼をして来た場合――」
カチャリ、とカップの底がソーサーを叩いた。
「お断りしても良い、そういう事です」
お前など嫌いだ……直接的表現は避けたものの、かえって棘の目立つ柊子の拒否に、中江は俯くだけだった。
「差し当たり、凶徒か何かに脅迫でもされたんでしょう……お気の毒に。けれど、中江先輩のされていた事は、金花会にしょっ引かれても仕方無しの蛮行です。残り二ヶ月ちょっとで卒業されるのだし、相手もそこまでしつこく追って――」
「勘違いしているようだが」遮るように中江が声を上げた。俄に柊子の眉がひそまり……。
「は?」
荒く短い返事が飛び出した。喉元に短刀を突き付けるような声調に多少の気後れがあったのか、中江はコクリと喉を動かした。
「何も私は……君達に代打ちを頼みに来たんじゃないんだ。もっと別の……全く性質の違うお願いで来たんだ」
「じゃあ尚更駄目に決まってんでしょうがぁ?」
いよいよ貼り付けたような笑顔を消失させた柊子。四分の一程残ったニルギリティーを飲み干し、カップ一式をテーブルへやや乱暴に置いた。
「お訊ねしますがぁ……私、貴女に例えば助けられたりしました? 奢って貰ったり、相談に乗って貰ったりしましたぁ? 無いですよねぇ? 唯の一度も、というか会話した事もありませんよねぇ今日の今日まで?」
「お帰り下さいな」扉を示し、柊子は強い口調で続けた。
「ここは唯、賀留多を純粋に愛して止まない、お人好しの賀留多馬鹿が集う部屋。貴女のように、凶徒を束ねる生徒が立ち入って良い場所ではありません。これ以上は私が迷惑します、即刻立ち退いて――」
「宇良川さん!」
突然に中江が立ち上がり、深々と頭を下げた。水滴の落ちる音を聞いた柊子は、髪に隠れた彼女の顔を想像した。
「お願いします宇良川さん! 私の……私達の後輩を護ってやって下さい!」
「……」
「た、確かにあの子も凶徒だ、凶徒だけど――誓うよ、あの子は本当は、質の悪い生徒に嵌められたんだ……!」
ひっ、ひっ……としゃくり上げる中江は、救華園に最後まで残っていたという生徒――。
梁亀姫歩なる人物について、訥々と語り始めた。
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