変な二人

 一二月二一日。朝から止まない雪が降り積もり、花ヶ岡の敷地は全てが真白に染まった。生徒達は傘を差したり、或いはマフラーをの形にして雪を逃れようとした。


「……ふぅ」


 掃除当番であったミフ江は、背丈の関係から最も辛い黒板の清掃を終え、一休みをしていた。杖代わりにもたれる自在箒も彼女には大きく、棒に縋り付くコアラの如き愛らしさがあった。


「史氷さん、こっちは終わったから後はよろしくね」


「えぇ、気を付けてお帰り下さいまし」


 同じく当番であった生徒達がイソイソと下校していく。ミフ江も担当場所を終えて帰路に就きたかったが……。


「……」


 どうにも意欲――掃除だけでなく、の事に――がまるで湧いてこなかった。


 ミフ江は棚に置かれた自分の鞄を見やる。中には、稿が入っていた。


 ミフ江特製の創作技法を満載した技法書の発刊が取り止めとなったのは、ごく最近の事であった。看葉奈から「『宝技集』というタイトルを変えて欲しい」と依頼を受け、数日を掛けて、頭を捻りに捻って別タイトルにすげ替えた。


 初めての出版という事もあり、最初は創作技法を一〇種厳選し、売れ行きによって続刊の流れになると看葉奈から説明を受けていたが、その二日後、青ざめた表情を浮かべた看葉奈に呼び出され、出版自体の停止を告げられた。賀留多免許制度の準備、銀裁局の設置など、趣味レベルの出版物に割く時間と労力が無いという判断であった。


 ミフ江は金花会のを感じ取り、「気にしないで下さい」と返したが、出版停止を伝えた看葉奈の方が精神的ダメージを受け、翌日は学校を休んでしまった。


 それからミフ江、柊子、看葉奈、千咲の中で創作技法集の話題は禁忌タブーとなった。特に看葉奈は銷沈した様子が続いた為に、残された三人は「どうしたら彼女を元気付けられるか」と相談し合ったが――。




 私だって辛いのに……。




 自室で机に向かい、日の目を見る機会を失った原稿を見つめては、友人を責める事も出来ない現状に浸り、唯遣る瀬無さに溜息を吐いた。


 筆頭目付役である看葉奈の苦労は痛い程に分かっていた。賀留多免許制度の施行準備、凶徒への対応、相談すら出来ない込み入った問題に直面する彼女が、わざわざ自分の為に落ち込んでくれているのだ……そう思っては自身を慰めた。


 最初は今までと変わり無く、教室では明るく振る舞ったミフ江だが、時が経つに連れ、夜更けまで執筆に勤しんだ自分が不憫でならなくなり、気を張らないといつの間にか溜息が飛び出す始末だった。


「……やらなくちゃ」


 幾ら心が痩せ、疲れ切っていたとしても掃除は誰も代わってくれない。ミフ江は重たい身体に鞭打ち、長く使いにくい自在箒を動かした。


 普段なら、掃除が終わるのを柊子達が待ってくれていたものだが、年末という事もあり皆が忙しく、バラバラに下校する回数が増えていた。決してそんな事は無いと信じていたが、ミフ江は技法集の一件で四人の間にヒビを生んだのでは……と暗い予測が浮かんでは、必死にコレを否定した。


「終わりましたわ……」


 果たして掃除が終わった。すっかり教室は人気が無くなり、天気の影響か廊下から聞こえて来る声も少ない。どの生徒も自宅、部室棟、各活動教室へと向かって行ったらしかった。


「……」


 ふと、ミフ江はマチ付き封筒を取り出し、紐で綴ってある原稿を捲った。大半はパソコンで、図表や修正点は赤ペンで手書きを加えた原稿は、一瞬にして……辛くも楽しかった日々が思い出された。自分が書いた技法集が購買部の書棚に並ぶ空想を何度もし、第二巻、第三巻の構想も既に練っていた。


「……ふふ」


 全てが泡沫、何もかもが無益であったという事実は、次第にミフ江の心を蝕んでいき、鼻奥に重たく嫌な感覚を与えた。


「……仕方無いのですわ。分かっていますわ……誰も悪くない、唯タイミングが悪かっただけ、本当にそれ……だけ……ふふ」


 大切に創り、極限まで無駄を省き、習得しやすく複数回の闘技に耐え得る奥深さを詰め込んだ技法群は、どれもが掛け替えの無い宝であり――であった。


「……っ!」


 腕の中に収まる可愛い子供達を、ミフ江は溶岩のように湧き上がった感情と共に……足下に投げ付けた。数枚が廊下の方へ滑っていった。


「ばっかみたい……! 一人で盛り上がって、需要の無い事ばかりして……! ちょっと考えたら分かるでしょう……私なんかが考えた……考えた……技法なんて……うぅ……! 皆に……迷惑を掛けて……!」


 ハラハラと落ちる涙が、紐の解けた紙束に吸い込まれていった。精一杯に手を握り、歯を食い縛り、不運さだけを呪うミフ江は――。


「っ?」


 果たして、教室の戸口に何者かの気配を認めた。俄に顔を上げると、ミフ江の投げた技法集の断片を拾い上げ、興味深そうに読み耽る、リボンのカチューシャを着けた女子生徒が立っていた。


「あっ…………貴女は……」


「何、この技法。アンタが考えたの?」


 自身と同じくらいの背丈、校内で五本の指に入るとされる美貌を持つ彼女を、八組の椿であると同定したミフ江は、何故ここにいるのかを問おうとした矢先――。


「答えなよ、アンタが創ったのかって」


 椿の高圧的な質問によって封殺されてしまった。


「え、えぇ……まぁ」


 名前だけは知っている、しかし会話はおろか目を合わせた事も無い相手だった。一方、椿はまるで友人のような馴れ馴れしさで歩み寄り、足下の原稿を拾い上げると、近くの机に乗り、黙々と読み耽った。


 頬を伝った涙が乾き始めた頃、「ねぇ」と椿が原稿を読みながら言った。


花札やかい出して」


「や、やかい……?」


「花札の事。アンタ、技法は創るのに基本的な知識は無いんだね」


 口の悪い人だ……ミフ江は眉をひそめつつ、鞄から八八花を渡した。目も合わせずに札を受け取った椿は、熟練者――例えば目付役など――に匹敵する速度で切り始め、目を通していた創作技法の記載通りに、の手札を配り出した。


「えっ、ちょ……?」


「出来役のバランスが悪い、光札を多用し過ぎ。それと場札の枚数が変、少ない手札で葛藤ジレンマを生みたいんでしょ。違う?」


「……っ」


「私の推測じゃ、場札は四枚より六枚の方が動きが出て来る。八枚でも良いくらい。とりあえず、四枚、六枚、八枚のパターンで打つから。出来役の調整は纏めて――」


 椿は一瞬、口を止めてミフ江を注視した。


「何なのアンタ。泣くのが趣味なの? 気持ち悪いね」


「……いいえ、全く趣味じゃありませんわ……! 泣くなんて、大嫌いですわ……!」


「あぁ、そう。はいどうぞ、親はアンタからでいいよ」


 あ、あの――最初の一枚を出す前に、ミフ江がこれだけはと問うた。


「どうして、こんな事に付き合って頂けるの……?」


「は? やりたくないの?」


「いえいえ、とっても嬉しいですわ! 唯……何でかな、と」


 椿は面倒そうに目を細め、ぶっきら棒に答えた。


「行くところ無いし。暇潰しなだけ」


「そうでしたか…………そのカチューシャ、似合っていますわね」


「私だから当然だし」


「ふふっ、可笑しな方ですわね」


「アンタに言われたくないんだけど。ってか早く打ってよ」


 すぐにミフ江が一枚目の札を出した。椿は思案に耽る様子も無く、即座に手札から一枚を選び置いた。


 雪は一八時過ぎに止んだ。二人は頃合いを見計らい、創作技法改良の手を止めると、揃って学校を後にした――。

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