燃える園

 放課後、梁亀は一人部室棟を歩いていた。決して速くはない歩みも、しかし時間が経てば棟内の奥へ、奥へと進んで行く。一階を抜け、二階へ昇り、三階に続く階段を目指す彼女の表情は、いつもと変わらない、オットリとしたものだった。


「……ふわぁ……あ」


 歩みは止まる事無く、三階から――四階へ繋がる階段へ差し掛かった。寂しげな足音、揺れるキーホルダーのぶつかり合う音がチャリチャリと鳴った。梁亀の足は真っ直ぐに……。


 部室棟四階奥、「奉仕部室」へと向かっていた。


「こんにちは――」


 戸口に手を掛けようとした矢先、室内から何かを言い争う声が聞こえてきた。驚いた梁亀はその場で硬直し、無粋とは思いつつも聴き耳を立てた。


「……本来の救華園の立場に戻って考えると、やはり彼女の入部は適当なものであって――」


「何を言っているんですか部長!? あの女が入ればたちまち救華園は壊されますよ! 折角私達の居場所が出来たって思えたのに……!」


「そうよ! 第一、あの女を一番遠ざけていたのは部長達でしょう! それをいきなり『入部させたい』だなんて! 部長達は私達の事、そりゃあ考えてくれているんでしょうけど、今回ばかりは反対させて貰います!」


 部長と皆が言い争っているんだ――内部の様子を悟った彼女は、ふと、と呼ばれている問題の中心人物を思い出した。


「ソレに関しては心変わりと取られても仕方が無い……申し訳無い! けれど、我々が今後花ヶ岡でやっていくにはどうしても――」


「いや、もういいですから! 部長は知らないんですか、賀留多免許制度を? 免許、みたいですよ?」


 俄に……梁亀の目が見開かれた。


「そうそう、私達は、要するに刑期満了って事なんです! まぁ部長は関係無いでしょうけどね、私達には死活問題なんですよ! もう後ろめたさを感じなくていい、堂々と教室で賀留多が打てる! 金花会だってまた――」


「それは違う、それはあり得ない事だ! 考えてみて、今まで君達を虐げてきた連中が『明日から賭場に来て良いですよ』なんて言うと思うかい!? 一旦落ち着いてみようよ、今、邑久内さんが確認しに――」


「もう良いですよそんなのは! 部長はいつだって慎重で、いいえ、現状にしがみ付くだけなんですからね! とにかく、私達は今日限りでここを抜けますから! どうも、今までお世話になりました!」


「まっ、待って――」


 慌てて隣の教室に逃げ込み、気配を殺して潜む梁亀。寸刻を待たず、何人もの生徒が奉仕部室を足早に出て行く音が聞こえた。恐る恐る扉の隙間から覗いてみると、最早人影は何処にも無かった。


「……」


 五分程時間を空け、ソッと閉じられた部室の戸を開く。室内で梁亀を待っていたのは、窓から市街地の方を眺める中江一人だけだった。暖房が焚かれているにも関わらず、奇妙な寂寥感が横たわっていた。


「……やぁ、梁亀さんか」


 荷物置き場にリュックサックを下ろしつつ、カーペットに散らばった八八花を集め始めた。


「しまいますね……」


「ハハハ、ごめんね……」


 何枚かは手酷く折られ、その組の再利用は不可能であった。


「下で、皆と会ったかい」


 かぶりを振った梁亀は、「クリスマス大会のお知らせ」と書かれたポスターを認めた。開催日は一九日――であった。


「誰とも会いませんでした。今日……ですよね。大会……」


「うん、そうさ。今日だよ」


「……皆、来るでしょうか」


 冷蔵庫から林檎の缶ジュースを二本取り出した中江は、一本を梁亀に渡した。


「難しいだろうね、今のところ、君と私しかいないし」


「待ちます……」


 中江の返答を待たず、大きなビーズクッションに座り込んだ梁亀。林檎ジュースを膝上に載せ、決して集まる事の無い参加者を待ち続けた。


「……邑久内先輩は来ないんですか」


 景色を眺めていた中江は振り返り、困ったように「その内に来るさ」と笑った。再び沈黙が訪れた。なおも梁亀はボンヤリとした顔で、廊下側から開けられる様子の無い扉を見つめていた。


「…………その――」


 一〇秒間、中江は言葉を詰まらせたが……軽い咳払いを一つし、続きを語った。


「梁亀さんは、賀留多が好き?」


「はい……」


 中江の方を振り向かず、前を向いたまま梁亀が頷いた。


「救華園は?」


 再度頷く梁亀。「ありがとう」と中江が呟いた。


「……参考までに、どんなところが好きかな。ごめんよ、今日はどうにもしつこいね、私……」


 数瞬の間を置き、梁亀が窓際を見やった。切なげな表情を浮かべ見つめて来る中江がいた。


「……温かいところ。お茶が、お菓子が美味しいところ。打っても打たなくても、好きなだけいて良いところ。何より――」


 梁亀は笑った。顔を赤らめ、いつものように照れながら。


「部長達が『お帰り』って言ってくれるから……でしょうか」




 救華園では凶徒を招き入れる際、中江か邑久内が「いらっしゃいませ」とは言わず、必ず「お帰りなさい」と声を掛けた。賀留多文化に結果として敵対した生徒ばかりとはいえ、本質は「楽しい場所を追われた生徒」に違い無い……という、中江の持論であった。


 故に中江達は凶徒を迎え入れ、また賭場を閉めて送り出す時は「行ってらっしゃい」と微笑む。昼間の生活にて目に見えぬ弾圧、差別に傷付いた凶徒が、再び救華園に戻り快癒するのを祈る為である。


 乱れ、散らされ、傷物となった華を救う最後の園、救華園。


 他者を害した罪人を集め、救済するという矛盾を良しとした楽園は、しかしながら四方を正義の火炎に包まれ、勢いが一層強まっている事を、そして燃やしてはならない玉花もある事を……。


 歪なる聖女、中江駒来は知っていた。

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