亀姫

 聖夜近付く一二月一九日。青春を謳歌する少女の楽園花ヶ岡では、「誰々と誰々がイブにデートするらしい」「昨日誰々と誰々が付き合い始めたらしい」といった色恋沙汰で例年盛り上がりを見せるが、今年に限っては、皆の関心があるへ向けられていた。




 ――年を明けて間も無く施行されるという、突飛かつ奇妙奇天烈な奇法であった。




 賀留多を使用する際は必ず免許を提示する事。提示がなされない場合は闘技の実施を速やかに中止する事……諸々。


 前日から会計部室前に掲示され始めたポスターには、如何に賀留多免許制度が現在の花ヶ岡に重要かが事細かに記されていたが――。


「唯の遊びなのに……」「そこまで強制する必要があるのか?」などと、金花会に質問――というよりは詰問――が寄せられた。そんな金花会に代わって表に立ち、懇切丁寧に免許証の必要性を説く組織があった。


 金花会の分署とも呼べる《銀裁局ぎんさいきょく》なる集団である。


 元目付役である二年生の矧名涼を局長とし、免許制度に係る一切の業務を引き受けた彼女達は、不満とに駆られる生徒を集め、やがて全員を納得させた。


 矧名率いる銀裁局の活躍により、一時はボイコット運動すら起きかねない混乱は間も無く銷沈、生徒達は次の日から当たり前のように、免許証に使用する証明写真の写りを気にした。


「……」


 五時間目が終わって間も無く、自席に腰を下ろし、ボンヤリと机の上を眺める女子生徒がいた。


 一年八組、梁亀姫歩はりがめきほ――周囲からは「亀姫」と渾名され、名の通りに彼女を妃の如く扱うというよりは、「鈍感」「愚鈍」「世間知らず」といった負のイメージが強かった。誘われても賀留多を打たない事から、発言権の強い女子生徒のグループはこぞって「賀留多も打てない愚か者」と嗤った。


 奇妙な事に梁亀は決して賀留多を打とうとはしなかった。境遇を不憫に思ったクラスメイトが声を掛けても、決まって「弱いから……」と申し訳無さそうに微笑み、慇懃に断った。


「おーい、亀姫様ー」


「……あた」


 ポコン、と梁亀の頭に消しゴムがぶつかった。


「取ってくんない? 私の消しゴムなんだよねぇ」


 明るい髪色の女子生徒が歩み寄って来た。いつも彼女を小馬鹿にしては、仲間内の話題の種に仕立てる人間だった。しかし梁亀は怒るどころかニコニコと笑い、「えぇ、ちょっと待ってね」と立ち上がり、消しゴムを手渡そうとした矢先――。


「きゃっ」


 盛大に前方へ転んでしまった。彼女が歩く先で、咄嗟に足を伸ばした生徒がいたからだった。転倒に性悪なグループはケタケタと笑い始め、何人かは彼女の転び方を真似てふざけた。


「ちょっ、亀姫ヤバ! 運動神経悪くない?」


 手を叩いて嗤う連中に囲まれる梁亀だったが、嘲笑など何処吹く風と言わんばかりに微笑を湛え、持ち主に消しゴムを返却した。


「いや、汚いからいらねぇし。あげるわ」


 消しゴムを投げ付けられた梁亀。ゲラゲラと汚い笑い声が響く中、彼女は喜色満面で拾い上げると――。


「良いの? ありがとう……貴女、優しいのね」


 面を食らい硬直する連中に構わず、ニコリと笑んだ。




 下校前のSHRが終わるや否や、梁亀を小馬鹿にするグループはガヤガヤと教室を出て行った。その後、教室の中に立ち込める空気が若干……軽くなった。他の生徒達はグループの事を好ましく思わず、唯、という理由で標的にされる梁亀に同情していた。


「あのー……」


「何かしら?」


 廊下を行く彼女に声を掛けたのは、一つ隣の席に座る坂部萌奈美さかべもなみであった。キョロキョロと周囲を見渡しながら「梁亀さん……さ」と続けた。


「アイツらに何で反抗しないの? 流石にやり過ぎでしょう、毎日……」


 キョトン、とした表情で梁亀は「でも、消しゴムをくれたわ。新品よ?」と返す。


「そうじゃなくって……! アイツら……クラスの雰囲気悪くしてんの、本当に腹立つじゃん。だから、一緒に行かない?」


「何処へ?」


 坂部が耳元で囁いた。


「《姫天狗友の会》……! 代打ちを頼んで、アイツらを黙らせようよ! ほら、四組の近江君と五組の一重さんって知っているでしょ、二人に相談して――」


 刹那、坂部の目が見開かれた。彼女の義憤に駆られて汗ばんだ手を、梁亀が自分の事ではないかのような笑顔で掴んだ故だった。


「貴女、優しいのね。それだけで私、とても嬉しい。けれど心配しないで? 別に私とあの子達は、仲が悪い訳ではないのよ?」


「……違う、違うよ梁亀さん! 貴女がどんなに優しくても、世の中には酷い事を平気でする人が沢山いるんだよ!? 信じられないよ、仲が良いだなんて……強がりだよそんなの!」


 数瞬の後、坂部は顔を赤くして「ごめん……」と俯いた。間を置かずに「謝らないで」と梁亀が微笑んだ。


「あの子達は、少しだけ、他人との関わり方が変わっているだけよ。本当に私の事が嫌いで仕方が無いなら、話し掛けすらしないわ?」


 それじゃあ、行くわね――胸の辺りで手を振りながら、梁亀は坂部から離れて行こうとした。


「はっ、梁亀さん!」


 震えた声で坂部が言い、彼女の袖を掴んだ。


「私……! 必ず梁亀さんを助けるから! 憶えている? 四月の事……」


 梁亀は困ったように笑い、彼女の手を撫で……去って行った。

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