少女達、会する
第1話:排出された獣
その日の放課後、飛凪富生は膨れた風呂敷を背負って校舎の階段を昇っていた。行き先は例の暗黒地帯――ではなく、光の当たる暖かな賭場、《金花会》の会場であった。
「……ふぅ」
購買部の商品を何処へでも配達する《オキラク便》、開始当初に比べて彼女は大分に脚力が増していた。空き教室、グラウンド、特に部室棟四階への移動が増えた為、運動系の部活動に属さなくとも……若干、腹部や太股に締まりが生まれた。
現在、飛凪は花ヶ岡の裏側と関わらなかった頃に比べ、多少、幸福感を抱いて高校生活を送っていた。
私、邑久内きな紗といいます。大分ご挨拶が遅れましたが、今後ともよろしく……飛凪さん。
子猫一匹も立ち入らない花ヶ岡の禁域――部室棟の四階で出会った簪の三年生が名乗ったのはつい最近の事であった。余りに遅れた自己紹介は、大抵の人間であれば「今更か」と眉をひそめたくなるものだが、飛凪に限っては、「やっと認めて貰えた!」という多幸感が強かった。
自身を取り巻きつつも自らは加入していない、無味乾燥な友情のネットワークを見つめる内に、「特段に辛くはない」という剛性を手に入れていたが、高校に進学してからは流石に他者間の友情に惹かれるようになり……。
「…………フフッ」
密かに友情を渇望する少女へ、甘く冷たい天水を差し入れたのが邑久内だった。邑久内との会話は「秘匿便」を受け渡す間に限られていたが、たとえそれが五分間しかなくとも、雑談に慣れない彼女にとっては一〇倍、否、一〇〇倍の濃密さを孕んでいる。
家族ですら稀にしか見られない笑顔を邑久内に向けたのは、もう三度を超えていた。その都度邑久内は「もっと笑えば良いのに、素敵ですよ」と褒めてくれた。
廊下で歩を進める飛凪の足取りには、密かな活力が満ち満ちていた。「今度、私からお茶に誘ってみようかな」――以前、広報部の浜須に誘われた件を思い出した時、非常に前向きな思考すらするようになった。
部室棟の四階。生徒会組織に属しているのであれば、決して関わってはいけない場所である……。風の噂で耳にしてはいたが、この頃、「そんなに悪い人達なのかな」と首を傾げる事が増えた。少なくとも邑久内に関しては好いたらしい人物であったし、彼女と連れ合う人種なら私でも――という希望すら見出していた。
花ヶ岡の門を潜り、はや七ヶ月。飛凪はようやくに青春を味わっていた。
「ようやく着いた…………?」
生徒達が待ち焦がれる放課後の賭場が近付いた。いつもはピッタリと閉まっている扉がやや開いており、博技で盛り上がったというには少々棘のある声が中から聞こえた。
どうしたんだろう――恐る恐る扉に歩み寄るにつれ、次第にその声は揉め事に類するらしい事を察した飛凪。第三者同士が争う場面が何より嫌いな彼女はその場を立ち去ろうとしたが、背負った大量の商品が、そして購買部の風呂敷が、辛うじて飛凪に生徒会の一員という公人である事を思い出させた。
「すぅー……はぁ……」
強い緊張に襲われた。続いて「目付役ですら解決出来ない紛争」への怯えが生まれた。繰り返す深呼吸は然程に沈静効果を示さなかったが、それでも決死の突入を奮起させる程度には……飛凪にちっぽけな勇気を与えた。
「…………よしっ」
震える足に精一杯の喝を入れ、扉に手を掛けた瞬間、「酷い、酷いわ! あんまりだわ!」と誰かが泣き叫ぶ声が耳に入った。慌てて中を覗くと、凍り付いたような空気の打ち場、その中心に悔しそうに涙を流す女子生徒が立っていた。彼女の前には目付役が二人、取り巻くように参加者が、そして――。
現状に怯え切っているような相貌の浜須矢恵が、友人らしき生徒と並んで座っていた。嘆く女はレジ袋を抱き締め、「そう思わない、浜須さん!?」と涙ながらに言った。
「私、今日は金花会で打たせてなんて一言も言っていないのよ! 唯、唯々貴女を捜していて、『ここにいるのかな』って来ただけなのに!」
名指しをされた浜須は硬直したまま、ボンヤリと女を見上げているだけだった。気の弱そうな目付役が必死に発奮したらしい声色で「何度も言っていますが」と返した。
「洛笈さん、貴女は打つ打たないを問わず、ここに来てはいけない生徒なんです! 何度言ったら解ってくれるんです!?」
もう一人の目付役がシクシクと泣き濡れる女――洛笈を睨め付け、「ご理解下さい……」と低く、獣が威嚇するように続けた。
「ご自身でも分かっているでしょう……? 賀留多文化に一切携われないという事は、即ち我々金花会が出入りする場所全てから追放されたという事。見たところ、浜須さん達は洛笈先輩の友人ではない様子……お引き取り下さい」
「でも、でもぉ……! 私、こんなに浜須さんの好きそうなお菓子、見て、沢山買って来ているのに……!」
「…………お話が通じないのであれば、風紀管理部に通報しましょうか?」
「ねぇ浜須さん、ほら、一緒にお茶をしましょうよ! ほんの少しでいいの、貴女とお話したいわ!」
脅しが通じない――というよりは理解出来ていないらしい洛笈は、目付役の間を抜けて浜須の前でペタリと座り込み、メソメソと泣きながら「お願い、お願いよ」と媚びるように懇願した。
「どうして一緒に来てくれないの、どうしてそんなに怯えているの? ねぇ、浜須さん……朝みたいにお話して頂戴……浜須さん……」
七秒後、洛笈はフラつきながら立ち上がると、袖で顔を拭いつつ、上履きを突っ掛けて飛凪の傍を通り過ぎた。泣き腫らした顔は実にか弱く、出入禁止を言い渡されている問題児とは思えない程の儚さを飛凪は見出した。
「悲しいわ、寂しいわ……」
しゃくり上げるように泣きながら、洛笈は何処かへと立ち去って行った。余りに弱々しい背中を見つめていた飛凪は、その姿が見えなくなるまで……扉の前に立ち続けたのである。
この日、程無くして打ち場からは続々と賀留多欲を殺がれた生徒が帰って行き(浜須と友人もその内の一人である)、残された目付役達は闖入者への怨嗟を言い合った。
「あの女だけはどうにかするべきだね……。好き勝手にさせていたら何が起きるか……分かったものじゃない」
「けれどどうやって……? 凶徒の認定はしているし、あらゆる揉め事も賀留多じゃ解決出来ない、花石も支給しない、オマケに色んな生徒から嫌われている……これ以上、どうしようも出来ないよ……」
「……一つ、本当に一つだけ、最悪の方法がある」
「どういう事?」
鬱々とした表情を浮かべ、気怠そうな目付役は言った。
「洛笈は根本的に打ち場を求めている……けれど
「押し付け……る……?」
「そう……正確には、救華園と交渉して引き取って貰う――ね? 最悪の方法でしょう?」
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