第7話:見付けた

「あれ、やっぱり購買部って開いていないんだ。でもお菓子は買ってあげたいし、けれど開くのを待つのは……」


 ねぇ、浜須さんもお菓子食べたいよね――大幅な遅刻をしたにも関わらず、職員室に向かう素振りを一切見せない三年生、洛笈沙南禾は微笑した。洛笈に無理矢理手を掴まれていた浜須は、校則の外に暮らす上級生の異質さに狼狽しつつも……。


「……離して下さい! 早く職員室に行きましょう、授業だってお互いにあるじゃないですか!」


 自分は生徒会の一員なんだ……半年程の組織生活が生んだ確かな矜持が、「授業を受けなくてはならない」という概念を無視する洛笈に反論を許可した。


「……え?」


「な、何ですかその顔……!」


 そうだったわね、ごめんなさい――返ってくるはずの返事は無く、洛笈は代わりに「お前は何を言っているんだ」とでも言いたげな表情を浮かべ言った。


「授業……別に一つ二つ出なくとも卒業出来るわよ?」


 きゃっ、と洛笈が身体を縮こまらせた。手をいきなり振り払われた故である。


「そういう事じゃなくって! 授業は出なくちゃいけないものなんです、第一、私は生徒会に入っていますし、好き勝手にサボったらヤバいんですよ!」


 ポカン……とした顔で洛笈はスマートフォンを見やり、「でもね、浜須さん」と窘めるような声色で言った。


「一時間目の授業、一五分程で終わっちゃうわよ? 中途半端に授業へ出向くぐらいなら、ほら、ふふっ、私とお茶でもしていた方が楽しいと思うな」


 何でこの人は理解出来ないんだ、置かれた状況が!


 強い苛立ちを覚えた浜須は、いよいよ顔をしかめて断固拒否を申し出ようとした瞬間――。


「おい、浜須! お前何やってんだ!」


 後方からクラスの担任教員が現れ、遅刻はおろか油を売っている浜須を叱った。


「あっ、先生! おはよう御座います、そしてすいませんでした! どうしてもお腹が痛くて……」


「だったら電話の一本でも入れろ! 家に掛けても出ないし、他の先生方も心配するだろうが!」


 平謝りをする浜須の傍で、洛笈は「ふぁ……」と眠たげに欠伸をし、暇そうにスマートフォンを弄り始めた。教員は彼女を一瞥した後、浜須と会話を続けた。


「……まぁ、事故じゃなくて良かった。特別に今日だけは遅刻届を出さなくていいから、すぐに教室へ行け」


「ありがとう御座います! 恩に着ます、先生!」


 生徒会に属した生徒は、日常で起こる他愛の無い失敗すらも細かく拾い上げ、「どういう理由で失敗し、今後はどういう計画を以て再発防止に取り組むか」と一筆したためなくてはならない。教員の粋な計らいに顔を綻ばせた浜須は、ごく身近で起こっている異変に気付いた。


 隣にいたはずの洛笈が、悪びれる様子も無く――実に退屈そうに近くのベンチで腰を下ろしていたのである。


「…………えっ?」


 どうしてこの人は先生から怒られないんだろう?


 懲罰の平等性を求めたのもあったが、遅刻した事に一つも自責していない様子の洛笈への興味が第一であった。「先生、どうしてあの人は平気な風なんですか」と訊ねるよりも早く、教員から「さっさと授業に行け」と急かされてしまい、果たして浜須は謎を解く事も出来ず、その場を離れてしまった。


 小さくなる浜須の後ろ姿を見送った教員は、ベンチで気怠そうにスマートフォンを弄る洛笈に注意すらせず、無言で立ち去って行った。


「……一〇分前ね」


 教員から存在を否定するような態度を取られたにも関わらず、洛笈は気にする様子も見せず、人気の無い購買部の方を見やった。


「サッと買って戻らなくちゃ、ね」




 放課後の事である。浜須は友人の四方堂と連れ合い、久方振りに金花会を訪れていた。


「矢恵は金花会を取材対象として遠巻きから見過ぎです。良い記者は中に入り込んでいくものですよ」


 四方堂の言葉がジャーナリストに対して合致しているかは不明だったが、「なるほど」と手を打った浜須は、この日だけは広報部の名前を外し、純粋に花石を賭けて博技に臨んでいた。


「あぁーあ……また負けちゃったなぁ。もう三〇個は使ったかも……」


「矢恵は別に良いでしょう……私なんか七〇個ですよ……!」


 本日二人が参加している技法は《チュンチュン》といい、八八花の技法で最も面白いとされる《八八》をルーツに持つとされていた。手順等は《八八》と似ているが、圧縮された手役、《藤に郭公》と《萩に猪》の二枚で完成し、名称にもなっている出来役の《チュンチュン》の採用など、速度感を増したスリリングな技法であった。


はまだやるの? 私はもう種銭が――」


「当然、奪い返すに決まっています! 矢恵はでも食べていなさい!」


 その日一定の時間を金花会で過ごした生徒は、《熱取り》と呼ばれる茶菓子を受け取れる事となっていた。熱取りとは言うものの、大抵は浜須のように「友人の切り上げ待ち」をする者が利用し、本来の意味で熱を取った方が良い四方堂側の人間には求められなかった。否、求める暇すら無かった。


「いや、すみっぺ……一旦落ち着いて、ほら、今日のお菓子はカスタードパイだって。落ち着かなきゃ勝てないよ?」


「むぅっ……!」


 普段は物事全てを斜に構えて捉える四方堂だが、こと博技に関しては、ある意味で相性が程に――熱を上げるのだった。金花会の賭場に限り、浜須と四方堂の立ち位置は逆転し、何事も体当たりで向かう浜須が慣れないストッパー役となった。


 果たして《熱取り》を係の目付役から受け取った二人は、休憩所で火照った闘争心を冷ます事に成功した。


「むぐ……むぐ……! 全く、おかしいと思いませんか矢恵!」


「さっきのすみっぺが打った《藤に短冊》? 《チュンチュン》では悪手かもね」


「違います! 現行の花石支給に対してです!」


 ゴクン、とパイを飲み込んだ浜須。「何で?」小首を傾げ問うた。


「今日はたまたまでしょうが……皆が皆、博技に強い訳ではありません。一年を通して四〇〇、五〇〇と稼ぐ生徒がいれば、素寒貧……一個として残らない生徒もいるんですよ?」


「そりゃあ……まぁ、ね? 私だって強い訳じゃないし、その代わりにと言っちゃアレだけど、引き際は考えているつもりだよ」


「っ、そ、そりゃあ私も引き際は充分考えています、考えていますけど!」


 全く言葉に信憑性が無い四方堂。迫る目付役登用試験には面接もある為、秘めたる博奕好きの性質が露呈しない事を祈る浜須だった。


「要するに、博技以外でも公平に――」


 俄に廊下側から会場の扉が開かれた。受付にいた目付役が挨拶をしようと顔を上げた、その矢先である。


「うっ……!?」


 驚嘆、というよりは不快感を露わにした声を……目付役が上げた。他の目付役や参加者も扉の方を見やり、大半が眉をひそめるか、「私は関わりを持たない」と言わんばかりに下を向いた。




 あの人……朝の……。




 教員から徹底的に無視されていた三年生、洛笈沙南禾が買い物袋を提げ、誰かを捜すように会場を見渡していた。先程声を上げた目付役が立ち上がり、一歩、また一歩と会場内に入って来る彼女の前に立ちはだかった。


「洛笈さん……! どうして来ちゃうんですか、何度も何度も……! 言ってますよね、って……!」


 目付役の言葉を聞き、多くの参加者が毛虫でも見るかのように洛笈を見やった。何人かは耳打ちをし合い、闖入者のについて罵っていた。


「ち、違う、違うのよ! 今日はそのお願いじゃなくって……人、人を捜しているのよ」


 洛笈の発言から間も無く、浜須は「自分を捜しているのだろうか」という強い不安に襲われた。


 彼女が姿を見せた瞬間、明らかに会場の雰囲気は暗く、刺々しくなり……確実に何らかの罪を犯している事は浜須にも明白だった。




 ヤバい、あの人に見付かったら面倒な事に――。




「あっ! 見付けた!」


 浜須が身体を震わせた。途端に全身から冷や汗が噴き出し……完全に此方を見つめ、歩み寄って来る洛笈を認めた瞬間、浜須は一種の諦めと、遅刻がもたらした過失の重大さを悟った。


「ちょっと洛笈さん! 勝手に入って来ないで下さい!」


 目付役の訴えに耳を貸さず、洛笈沙南禾は青ざめた浜須と、状況が理解出来ない四方堂の眼前に笑顔で立った。


「さぁ、浜須さん! 私とお茶会しましょう! 隣はお友達? だったら貴女も一緒にどうぞ!」

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