第2話:分水嶺

「ごっ、ごめんね斗路ちゃん……月曜日にいきなり……しかも忙しい時に……」


「いえ、お気になさらず。累橋さんのお話は余程の事……加えて――三古和さんまで」


「……余程、なんてものじゃないよねぇ」


 ウンウン、と気弱な表情で累橋が頷いた。


 金花会に乱入者――洛笈沙南禾が現れた翌週の事であった。来る目付役登用試験の準備に追われていた看葉奈は、喉の渇きを覚えて購買部に出向いたところを、後ろから駆けて来た累橋、三古和の両名に会計部内の小さな会議室へ連れて来られた、という顛末である。


「斗路ちゃん、先週の事は知っているよね? が来たって……」


 その名すらも口にしたくない、と言わんばかりに顔をしかめる累橋。目付役には珍しい気弱な性質の彼女は、洛笈沙南禾のような破落戸ならずものは、あらゆる接点を断ちたい存在であった。


「勿論です。私が試験の準備を早く片付けられず……申し訳ありません」


「ううん、斗路ちゃんが悪い訳じゃないよ! 悪いのは……はは」


 その事で、なんだけど――三古和が累橋の後を続けた。


「私と累橋さんで考えたんだけど……あくまでこれは数ある方法の一つって事で、ちょっと斗路さんにも考えて欲しいっていうか……」


「え、えぇ……」


 妙に歯切れの悪い三古和に首を傾げながらも、看葉奈は居住まいを正して二の句を待った。


「……いるじゃない、部室棟に。彼女らが」


 俄に看葉奈は凶徒の巣窟、《救華園》を思った。三古和も同じに違い無かった。


「あそこって、が集まる訳でしょ」


「……そう、ですね」


「公式には存在を認めていないけど、それでも必要悪としてあそこは在るべき……だよね」


 累橋が前方、後方と視線を忙しなく動かす。聴き耳を立てている不埒者を探査しているらしかった。やがて「大丈夫だよ、三古和ちゃん」と囁き……。


「よし………………斗路さん。


 それは名案ですね――などとは即答出来る訳もなく、唯、看葉奈は目を見開き、膝元を見つめるだけだった。


「何かしらの条件を付けてくると思う……いや、絶対に。それでも……洛笈沙南禾を引き取ってくれるなら、首輪を付けてくれるのなら……交渉の価値はあるよ」


「……会議に掛けて、皆さんが揃って首を縦に――」


 累橋がかぶりを振った。二度、三度と背後を見やり「実はね」と……声を潜めた。


「その事についても三古和ちゃんと相談したんだけど……?」




「珍しいですね、こんな時間まで残られるのは」


 中江駒来の長い前髪の奥で、現在、過去、未来全てを憂うような瞳が揺らいだ。ゆっくりと振り返ると――微笑を湛えた簪の女、邑久内きな紗が小さな段ボールを携え立っていた。


「新しいお香が届きまして、フフ、持って来たんです。松の香り、ですって」


 いたく嬉しそうに箱を開きつつ、邑久内は中江の手元に目を落とした。




 奉仕部へのが一枚。記載欄は全て震えた文字で埋められていた。




「あぁ、新入部員しんじんですか。許可、されないんですか?」


「するよ、当然。……うん」


 憔悴気味の顔でサインペンを持った中江は、何かを振り切るように……承認欄へ花押を署した。


「それじゃあ、書類は明日にでも生徒会へ届けておきますね」


「いつもありがとう、助かっている」


 いいえ――書類を手に取り、三つ折りにして封筒へ入れた邑久内は、ボンヤリと窓の外を見つめている中江に「何か、飲まれますか」と声を掛けた。


「疲れているんでしょう、温かいお茶でも淹れましょうか?」


「……お願い出来るかな?」


「今、淹れますから」邑久内が湯を沸かす間、中江は痛みに耐えるように目を細め、細い封筒を弄んだ。


 奉仕部への入部届——即ちを指した。これは同時に「私は凶徒として認定されてしまいました」という告白に他ならず、下駄箱に時折投函される書類を見る度、中江は告解を受ける神父に自らを重ねた。


 今や救華園の首魁とまで噂される中江は、凶徒として追いやられた生徒に水面下で声を掛けては、生徒会から爪弾きにされているが故に自由であった「奉仕部」に入部させ、賀留多文化のセーフティネットを構築してきた。


 かつて……ある同学年の生徒に語った、「金花会に依存しない、自由に開かれた賭場」とは大きく違っているものの、現在の救華園が果たしている役目は、当初の予定の七割程度といったところである。大方満足して良い結果であったが――。


「はい、美味しいですよ」


「……ありがとう」


 煎茶を啜る中江の心中に、どうしても拭い切れない不快感があった。


 未だに理解されない救華園の必要性。常に付き纏う、押し付けられた違法の香り。そして……何者かの手の平で弄ばれるような、


 湯飲みから立ち上る湯気越しに、チラリと邑久内を見やった。次回のイベントをホワイトボードに書き込む彼女の横顔は、一見は参加者に楽しんで貰いたいと願う、面倒見の良さそうな母親然としていたが……。




 何故、救華園の利用者ではなく、博技もろくに楽しめない運営側に回り、自分の補佐を引き受けるようになったのか? 思えば訊ねた事が無いな、と中江は眉をひそめた。




「……君はさ」


 ペンを走らせる音が止んだ。不思議そうに邑久内が振り返った。


「どうして、私の手伝いを買ってくれたんだい」


「手伝い、とは……こんな事、でしょうか?」


 ホワイトボードを見やる邑久内。それからペンを軽く振り、冷蔵庫の方に視線を移した。


「まぁ、そんなところかな。邑久内さんも、本当は……利用者側に回りたいんじゃないかなぁって、何となく思っただけ……」


 フフッ、と簪を揺らして邑久内が微笑み、再びペンを動かした。


「元々、ほら……私もでしたから。昔取った杵柄、ではありませんが、少しでも中江さんをお支え出来ればな、と」


 それに――イベントの開催日を書き終え、邑久内は窓に映る中江の顔を見つめた。


「貴女の立ち上げた救華園が、もっともっと表舞台へ出て行けるように、影ながら尽力する……そう決めたのは私自身ですから」


 瞬間、邑久内のスマートフォンが鳴り出した。足早に部室を出て行く彼女の背中を、中江はボンヤリと見つめるだけだった。

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