飛凪富生、その奥に

第1話:配達人

 枯れ葉の目立ち始める木立を揺らす秋風の、妙に冷たい朝だった。金曜日という事もあり、殆どの生徒は登校してから間も無く、巾着袋を揺らしながら「今日は何を打とうか」と色めいた。


 一年一組の教室も例に漏れず、放課後の闘技を思う笑顔で溢れかえっていたが……一人だけ、眉をひそめて(というより、ような表情で)俯く女子がいた。


「……」


 飛凪富生――生徒会の一部署である購買部に属する彼女は、幼い頃から「しかめ面ばかりする子だ」と、教員やクラスメイトの親から奇異の目で見られた。静かな線引きを飛凪は感じ取っていたが、しかし、どうする事も出来なかった。


 吊り上がった眉、鋭い双眼は、そのまま彼女の感情を映したものでは無い。生まれ持ったであった。全く怒っておらず、むしろ機嫌の良い時もこの表情を浮かべたままな為、周囲の人間から勘違いされる事も多々あった。


「……」


「ってかさぁ、この前、あんたカラオケブッチしたでしょ――」


「ちょっと……! ほら……」


「あっ……ご、ごめんね飛凪さん、五月蠅くして……あっち行くから……」


 今もまた、二人の女子生徒が飛凪から離れて行った。勿論、彼女らの会話が五月蠅くて眉をひそめていた訳では無く、「カラオケかぁ。行ってみたいなぁ」と耳を傾けていたぐらいだった。


「……ねぇ、何でいっつも怒っているのかな、あの人」


「さぁ。殆ど喋らないし……てか、飛凪さんが誰かと喋っているの、見た事無くない?」


 なりふり構わず周囲を威嚇するような相貌に加え、気安く会話の出来ない恥ずかしがり屋な性格が災いし……果たして、彼女は高校生活一年目にして、やむを得ない孤立の一歩を進んでいた。




 誰か、話し掛けてくれないかなぁ。一杯、お喋りしたいんだけどなぁ。




 気軽な雑談を望みながら、しかし自ら行動を起こす程には勇気が足りず、結果として受け身に回らざるを得なかった。成長の見込めない姿勢を育んでしまったのは、小学校、中学校と、男子生徒から「お前、怖いんだよ」と茶化された記憶であった。


「……」


 彼女がおもむろに鞄から取り出したのは、作り掛けた手縫いの巾着袋だった。「編み物をしていれば話し掛けられるかな」……と、飛凪なりに考え抜いたであったが、いざ始めてみると意外にも楽しく、何分も集中し過ぎてしまい――。


「あっ、また編み物している……何か、怨みでも込めている感じ」


「シーッ、聞こえるって!」


 一層、彼女の表情は強張り、見えない防壁が完成してしまった。鋭い視線は袋口をフリル仕様にすべく手元に注がれ、呪物でも作っているのだと勘違いするクラスメイトには向けなかった。


 五分後、朝礼の開始を報せるチャイムが鳴った。飛凪は鞄に道具をしまい込み、日直の合図に従って立ち上がり、一礼した。


 巾着袋は実にであった。




 全ての授業が終わった後、飛凪は掃除当番に割り当てられていなければ、すぐに向かうところがあった。生徒達の物的欲求を満たし続ける「購買部」の事務室である。


「お疲れ様です」


「うん? 何や、やん。はいお疲れさーん」


 常に飛凪はであった。誰よりも先に事務室にやって来ては、せっせと仕事をこなすより先に来られた事は、購買部の門を叩いてから一度も無かった。


「今日は金曜やし、まぁしんどいやろうなぁ」


「その可能性が高いかと」


 飛凪の到着を区切りにしたのか、部長は大きく身体を伸ばして「そういや、ヒナちゃんなぁ」と思い出したように言った。


「頑張ってくれとるやろ、オキラク便……。お陰さんで売上もグングン上がっとるんよ。やっぱりアレやろか、ちいっと高い配達料が、なんや妙なブルジョワ感を出すんやろか」


 威嚇するような表情のまま、飛凪は「ありがとう御座います」と一礼した。攻撃的な目付きに、しかし部長は怯む事無く頷いた。


「私、嬉しいわ。ヒナちゃんみたいな子がウチに入ってくれて。責任感はあるし、銭勘定も間違えへん。お客さんを差別せんし…………何や、怒っとるんか自分」


「怒っていません」


 途端に、喜色満面で部長が笑い出した。


「アハハハハ! いやぁ、好きやわぁヒナちゃんの顔……。おもろい顔とかじゃないで、むしろクールビューティーなんやけど、そのムスッとした顔がまぁ可愛くて可愛くて!」


「……」


 馬鹿にするな、と飛凪は怒り出す事は無く……逆に頬を赤く染めていた。「可愛い」という褒め言葉が何よりも好きだったからだ。


「私、そういう顔の子好きなんやわ、きっと。いつでもニッコニッコしているより、言ってしまえば、『何やお前、どついたるぞ』って感じの顔がツボなんやね。おかしいんやろか、私」


「おかしくないです」


 ふと、大量の飲料、菓子類、賀留多が包まれていた風呂敷を見やる飛凪。規定の時間までに受けた注文の品が満載されていた。


「さて、と。ヒナちゃんの魅力を熱ーく語ったところで、今日もきばっていくで!」


「はい」熊柄のウエストポーチを腰に提げ、飛凪が時計を見やる。部長は小さな紙片を開き、同じく時計を読んだ。


「あんじょう頼むで。ヒナちゃん」


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