第2話:第四準備室

 背中を覆い隠してしまう程の大きな風呂敷を背負い、部長の激励を背に「配達」へ出発したのは一六時丁度であった。


「……よい、しょっと……」


《オキラク便》のサービス開始当初は奇異の目で見られた配達風景も、今となっては花ヶ岡の日常として受け入れられた為、風呂敷を背負った飛凪が壁際で注文者の書かれた伝票を確認していても、特段視線を集める事は無かった。


「……」


 幾人もが彼女の横を歩き過ぎて行く。部室、金花会会場……行き先は多岐に渡るが、今やその殆どの場所で、飛凪達配達員の到着を待ち焦がれていた。


「……よし」


 風呂敷を背負い直し、飛凪もまた歩き出した。受け取り場所は注文者の自由である事から、与えられた配達先を効率良く回るが鍵となる。オキラク便運用開始時より、誰よりも校内を歩き回った彼女にとって、最短かつ身体的にも楽なルートの選択など朝飯前であった。


「失礼します。オキラク便です」


「はい、どうぞ」


 最初の目的地、監査部室の奥から入室を促す声が聞こえた。ドアノブを捻り、やや開いた隙間から一礼、内部を素早く見渡してから、なるべくを乱さないように静かに歩き、風呂敷から商品をテーブルの上に置く。


「……」


 室内には三人の監査部員がいたが、皆が一様に押し黙っている。一人はホチキスの針を充填し、一人は窓の外を眺め、一人はソファーに寝転がったままと、飛凪の動作を邪魔せぬよう気遣う素振りを見せた。


「……お待たせしました。手数料込みで花石、四〇個頂きます」


「はいはい。四〇個ね……はい、ありがとう」


 支払いの段階で、飛凪は小さな特技を手に入れていた。会計盆を差し出すべき相手――支払う人――を一瞬で見抜く、というものである。今回の場合は簡単であった。入室を許可する生徒は、少なくとも「一定の権限」を持つ場合が多い。加えて、室内での振る舞いも重要な材料となる。


「そう言えば、に伝言を頼めるかしら。先月の売上台帳のコピー、三部頂きたいのよ」


「分かりました。伝えておきます」


 花石を支払った生徒は、室内で一番大きな机に座っていた。その際にホチキスを弄っていたものの、視線は自分の一挙手一投足に注がれていたのを……飛凪は感じ取っていた。


「ほら、向山! あんたでしょう頼んだのは! 起きてサッサと食べて、仕事して来い!」


「……うん……うん」


 ソファーから落ちずに、器用に寝返りを打った向山という生徒は、喧しい声を嫌うように、毛布を顔の辺りまで引き上げた。


「伝票は此方に置いておきます……またのご利用をお待ちしております」


 飛凪は受け取った花石をポーチにしまい込み、再び一礼してから退室した。ドアの向こうからは未だに叱り飛ばすような声が聞こえたが、立ち聞きする趣味も時間も無い為、次の目的地へ歩き出した。




 注文者が一体如何なる思いで商品を買い、受け取り場所の指定をするのかと……気にした事は無かったが、妙に記憶に残る光景を目の当たりにする時もあった。


 一つは部室棟である。敷地内なら何処へでも、どんな商品でも配達するというサービスの性質上、休憩がてらの甘味を求めるパターンが非常に多かったが、商品を室内で並べる際、時折――見慣れない《技法》が打たれている痕跡を発見した。


 交友関係が狭い為に、他人と賀留多を打つ機会に恵まれない飛凪であったが、その分、書籍やインターネットで一定以上の情報を仕入れていた。目付役程では無いにしろ、技法の知識に関しては豊富であると自信を持っていたが……。


 先日に《姫天狗友の会》の部室で目撃した、《むじな》に酷似した技法を以前、確かに見た事があると確信していた。当然ながら、周囲の生徒に「何処かで見ました」と報告はしなかった。であった場合の後始末が面倒であるからだ。


 そして今――もう一つの奇妙な光景、というよりへ彼女は向かっていた。




 また、このパターンか……。




 最後に残った伝票には、何故か飛凪に「過程」を挟むよう求めてきた。


 不可思議な注文者は、最初に校庭の隅で朽ちている百葉箱に来るよう指定した。しかしながら、飛凪を待ち受ける生徒はおらず……代わりに百葉箱を開けるよう指示する紙が扉に挟まっていた。ここを開くと、


『部室棟四階、第四準備室』


とだけ書かれた紙片が入っており、その横には奇妙な花押の記された《白札》が置かれていた。以前に他の部員へ「このような配達をした事があるか」を問うた時、皆が首を捻った為……。


 注文者は、どういう訳かにだけ、オキラク便を利用しているらしかった。


 賑やかな部室棟の廊下を歩き、風呂敷を揺らしながら階段を昇って行く。二階、三階と歩を進める内に笑い声は少なくなり、窓に汚れが目立ち始めた。掲示物も一ヶ月前のものが今も貼られており、生徒会の管理が行き届いていない事を示唆した。


 怒ったような表情はそのままだが、飛凪はそれでも……キョロキョロと周囲を見回し、若干の不安を胸に抱く。手摺りの壊れた階段を昇り、明らかに蛍光灯が少なくなる四階に――。


「……」


 目的地、はあった。室名札は薄汚れ、視認が難しかった。照明の少なさから廊下全体が重苦しく、と自覚せざるを得ない圧を放っていた。


「失礼します。オキラク便です」


 飛凪はもうという事もあり、然程に緊張もせず、ところどころ凹んだ引き戸を叩いた。五秒後、ほんの少しだけ開かれ……


「ご確認下さい」


 怯える事も無く、飛凪は伝票と百葉箱で手に入れた紙片、白札を渡してやった。一旦細腕は室内へ引き戻り、ゆっくりと第四準備室の戸が開き――。


「……ごめんなさいねぇ、いつも重たいでしょうに……。さぁ、入って」


 慈悲に満ちたような目を細める、三年生の女子生徒が現れた。彼女が首を動かす度に、やや解したシニョンに刺さった簪が、飛凪の目に痛い程輝いた。

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