第6話:不一致

「……へぇ、そんな事があったんですね」


 気落ちするような龍一郎の声に呼応するように、目代がゆっくりと頷き、ココアを飲んだ。


 一七時四〇分。浜須と宇良川が帰宅した後も、二人はパイプ椅子から立たず、スマートフォンを見たり、本を読んだりと各々の時間を過ごしつつ――。


 について語り合った。


 遠山に太陽が沈み掛けるのを見つめながら、


「近江君は、代打ちの時に変な技法を持ち掛けられたり、不透明な内容の札問いを頼まれたりとか……無い?」


 目代が筆談を用いずに会話を行うのは、龍一郎と二人きりの時だけであった。以前に「どうして俺とはメモを使わずに?」と訊ねられた際、彼女は「声を聴きたくないのかな」と悪戯っぽく笑い、理由を語らずに終わった。


 今までの代打ちを振り返るように……龍一郎は腕を組み、目を閉じて唸った。


「うーん…………いや、無いですね。《こいこい》だけです。依頼者が胡散臭かったり、事情をキチンと語らない場合は断っているので……目代さんはあったんですか? そういう事」


 やや間を置き、「二、三回ね」と困ったように笑った。


「たまにいるんだ、『代打ちならこの技法を受けてみろ』って。一応はお互いに納得しなければ、札問いを中止出来るんだけど……まぁ、代打ちだしね。良いよって受けるんだ」


 過去を懐かしむような笑みに、一時では語り切れない程の苦労が滲み出ていたのを……龍一郎は悟った。


「この先、無茶な事を言ってくる人がいるかもだけど、そういう時は断って良いんだからね? 何でもかんでも受けていたら、またみたいになっちゃうよ」


「はい……気を付けます。喜んで良いのかどうかは分かりませんけど、最近は依頼も減っているんですよ」


 ココアを半分飲み干し、目代が言った。


「喜んで良いと思う。楽天的に考えようよ、『皆、代打ちを立てる程の争いに巻き込まれていない』って」


「ここだけの話だけどね」目代は一旦立ち上がり、龍一郎の近くに置かれた椅子へ座り直した。


「私……もう、


 しばらくの間、龍一郎は目代を黙したまま、見つめた。


「……何かあったんですか」


 そういうのじゃなくってさ――少年の重たげな声色と比べ、目代のそれは何処と無く明るかった。


「私も、ね。一応入試が控えているしさ。柊子ちゃんやおトセちゃん……近江君だって、私がいなくとも充分やっていけるでしょ?」


 それに……目を細め、続けた。


だって、増えるかもしれない。いつまでも三年生が居座るより、若い世代……って言うのは何か癪だけど、とにかく下の子達が盛り上げた方が良いと思ったんだ」


 叱られた子犬のような表情を浮かべ、「その事は」と龍一郎が問うた。


「宇良川さんとかに伝えたんですか――」


 俄にかぶりを振った目代。トレードマークの癖毛がフワリと揺れた。


「近江君だけだよ」


 龍一郎の双眼が、微かに見開かれた。驚きと奇妙な優越感を覚えた瞬間、脳裏をが過った。


「近江君なら、何も隠さず、率直に言ってくれるかなぁって思ったの。アハハ、ごめんね驚かせて……。正直、どう思う?」


 出会った頃から、果たして消える事の無かった目元の隈を見据え――少年は、歯噛みし……率直に答えた。


「目代さんは…………代打ちを、。正確には、もう休むべきかと」


 一度生唾を飲み込み、「目代さん」と、龍一郎は椅子ごと近付いて訊ねた。


「……疲れていませんか」


 この問いに、何処か気まずそうに俯き、目代はそのまま微かに頷いた。


「………………誰にも言わないでね」


 その実――目代が最近見せ始めた「兆候」に気付いたのは彼だけだった。柊子やトセよりも目代をという証左にもなるが、何よりも龍一郎を引き付けたのは、両者だけに通じるだった。


「……気付いていた?」


「何と言うか……例えば、最近は札を打つよりも、集める方が楽しそうですし。俺達の闘技を見ている事が多くなったし……」


 チラリと……戸棚に並ぶ自慢のコレクションを目代が見やった。日に日に増えていく賀留多は、どれもが綺麗に保存、管理がされていたが――。


「……今更になってね」絞り出すような声で目代が言った。


「怖くなったんだ。負けるのが」


 所狭しと置かれた賀留多を眺める彼女の横顔は、厄介な病魔に憑かれた者のように……弱々しかった。


「以前なら、負けても『次は負けないように頑張るぞ』って思えたんだけど。三年生も残り半分になって来ると、多少は自負心も出来る。そしたらね、何だか……負けるって事が、凄く怖くなっちゃって」


「……闘技には運も絡みます。勝率を一〇〇パーセントにするのは不可能ですよ」


「駄目なんだ、私」癖っ毛が左右に揺れた。


「そう思えないんだよ、もう……。花石を取って代打ちをするのなら、絶対に勝たないといけない――三年間考えていたら、治りようが無いんだ。賀留多の勝敗で色んな嫌な経験をしたけれど、それでも賀留多は好き。今まで私のワガママに付き合ってくれた、何も喋らない賀留多が大好き……」


 舞い込む戦いに疲れ、他人の運命を握る力を失い、空元気を出す余力すら無くした目代。行き着いた安息地こそが、「賀留多の収集」であった。


「多分、今の私は校内の序列でもかなり上の方。自惚れじゃない、戦績や周囲の戦力と比較して――に見てそう感じるの。だから……なおの事、負けるのが怖くなった。積み上げた何かが全て、一瞬で崩れるような感じがして」


 対価を払うだけで確実に手に入る賀留多は、闘技に勝利する事で得られる充足感には負けるが、決してではなかった。


 誰も傷付けず、何より自身を傷付けずに得られる充足感で甘んじる、否――それ以上を求められなくなったのが、現在の目代小百合である。気軽に増やせる賀留多を眺め、これを「闘技での勝利」に置き換える事で……。


「弱いんだ、私。賀留多の腕じゃない……本当の意味で」


 敵を打倒し、勝利の美酒に酔い痴れたいと考える自分。一方で闘争自体から逃れ、片隅で自らの世界に閉じ籠もっていたい自分、その両方を誤魔化そうとしていたのである。


 相手を目掛けて剣を振るい、「逃げて」と叫ぶのが彼女であった。


「……最近は、と仲良くやっている?」


 突然の話題転換に息を詰まらせながらも、「は、はい……」とぎこちなく頷いた龍一郎。


「やっぱり、悩みとかあったらお互いに、相談し合ったりするの?」


「……まぁ、ですね。多いのはあっちからですけど……」


「そっか…………アハハ、ごめんね、湿っぽくなっちゃった。矛盾しているけど、何だか賀留多が打ちたくなったなぁ」


 チラリと時計を見やり、目代は――声量を抑え、言った。


「ねぇ……《むじな》、やってみない?」


 彼女の打ち明けた弱音に狼狽しつつも、多少は笑顔を取り戻した事に喜んだ龍一郎は「勿論」と、間を置かずに承諾した。


「浜須さんの時は三回しか当たらなかったからなぁ。リベンジですね」


「……そうだね、私でリベンジしようよ!」


 黒い八八花を月数毎に分けていく龍一郎を、目代は静かに見つめていた。


「……何か?」


「ううん、何でも無いよ。この技法、今度左山さんとやってみなよ、面白いと思うな」


「そうですね、でも……あんまり当たらなかったら、あっちが拗ねちゃいそうだな……」


「大丈夫大丈夫、ちょっとした占いの真似事だからさ」


 準備を終え、第一回目の組み合わせを思案する段階で……ふと、龍一郎は「過去の結果」について問うた。


「ちょっと気になったんですけど、その、謎の人とやった《むじな》は、どんな結果だったんですか?」


 隠していた絵日記を見られたかのように、目代は気恥ずかしそうに笑った。


「あぁ……あの時はね、私達――」


 数秒後、両者の札が出揃った。


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