第4話:未来を奪う方法

 ガジャリ……と錆びた音を立てたのは、長い間メンテナンスをされていない扉の鍵だった。二度、三度と引っ張り、が成されたのを確認した癖っ毛の生徒は、「さて」と朗らかに振り返った。


 一挙手一投足が――すぐにも命を奪う技のように中室は思った。馬鹿みたいにビクリビクリと肩を震わせる自分に苛立った。




 脱出しなきゃ……どうやって? この人を――倒す?




 彼女の打倒が無理難題であると判明したのは間も無くだった。試しに握った拳は、冬の夜に露天風呂へ入る前のように震えており、精神と技術とを連動させる呼吸は乱れに乱れていた。


 為すがまま……中室の頭に過った言葉はこれだった。


「ふたぁーつ。私が誰だか……中室さんは知ってます?」


 虚ろな目でかぶりを振った中室。彼女の本心だった。頭上からスマートフォンで照らしてくる女子生徒が、恐らくは「昼間に部長が捜していた二年生」であると予想していたが……。


 一切合切、皆目知らぬ存ぜぬを貫く。これだけは徹底しようと決めていた。


 会った事も話した事も無いのに、何故か自分の情報を知っている人間に小手先は通用しない――まだ一年生の中室にも採用出来る「防衛策」だった。


、二年一組なんです。今後ともよろしくね?」


 努めて表情を見せぬよう、俯く中室の双眼が見開かれた。




 随分とアッサリ――あぁ、絶対この人だ――帰りたい――お母さん……。




 様々な感情、感想が脳裏を過ぎって行く。彼女の脳は平常時よりも大いに働いたが、しかしながら有用な思考は全く出来ていない。


「うぅん……中室さんって、あんまりお話が好きじゃないのかなぁ」


 誤解しないでね――優しげな声で囁く矧名は、中室の背中をソッと摩った。


「別に貴女を虐めようとか、どうにかしようとか思っていないんですよ。唯、……知りたいの」


 なおも黙秘を続ける中室。最早意図的なものではなく、恐怖に声すらも出せなくなっていた。矧名はそんな一年生の背中を摩っていたが、その内に体勢を変え……。


「……だったら、これはどうかなぁ」


「…………っ」


 中室は思わず顔を上げてしまった。自身の身体を矧名の身体が包み込み、心地良い強さで抱き締めて来たからだ。


「どぉ? 少しはホッとした? はいはぁい、まずはリラックスリラーックス……」


 高鳴り続けていた心臓が……次第に落ち着きを取り戻した。未だに最大限の警戒体勢を保ってはいるものの、矧名の尖った精神を揉み解すような抱擁に中室は混乱した。


「温かい?」


 シットリとした声質の矧名の問い掛けに、中室は何かが壊れたような気がした。


「…………はい」


 抱擁の温もりについて……素直な感想を述べたのである。矧名はその返事に声を明るくした。


「良かったぁ。ねっ? これで私は怖い人じゃないって分かったでしょ?」


 違う、貴女は怖くて、狡くて、乱暴な人だ――中室は意識ので反論した。


「三つ目の質問なんだけど……どうしよっかな。うん、訊き方を変えましょー。中室さん――」


 子守歌を口ずさむような軽やかさが、矧名の質問にはあった。


「誰かに見て来てーって、言われたのかな?」


「…………いいえ」


 これも真実だった。中室は誰からも、和納からも「焼成室で暴行事件の証拠を集めて来い」と依頼を受けてはいなかった。彼女の返事に納得がいかないのか、矧名は「うぅん」と軽く頬擦りした。


「じゃあ、中室さんは何となーく、工芸部のボロっちい小屋に来ちゃったーって事ぉ?」


 再び、沈黙を選んだ中室。「忘れ物をしたから」「気になったから」「通り掛かったから」と言い訳は幾つか用意出来たが、そのどれもが余りに嘘臭かった。


 お願い、質問を変えて……閉じた口の奥の奥で何度も唱えた。


 現実は――中室の懇願をものだった。


「知りたいなぁ、私……。ねね、教えてくれない?」


 矧名の右手が首元にやって来た。途端に赤痣の生徒「舟原貴枝」を思い出し、ビクリと震えてしまった。


 埃の舞い散る焼成室に、一時の沈黙が訪れた。


 実時間にして三〇秒足らずの沈黙は、中室の両肩に尋常ならざる重量を以てのし掛かった。彼女が口内に強い渇きを覚えた頃、矧名の左手がゆっくりと右頬を撫で――。



「っ!?」


 俄に開いた矧名の左手は、勢い良く中室の首を掴むと、そのまま凹みの目立つ壁へ叩き付けた。


「ゴホッ、ゴホッ……」


 咳き込む中室が逃れられないよう素早く両足の上に座って体重を掛けると、矧名は両手で彼女の顔を包み込んだ。


「まだ質問は終わっていないよ? 三つ目……貴女はどうしてここに来たんだろう? 加えて四つ目――?」


 中室の息が荒いだ。一〇〇メートル走を終えた時のように、長く息を止めていたかのように……短く、辛そうに彼女の胸が上下した。


「私の事……あんまり知らないみたいだから教えておくね。私、《目付役》だから。分かる? 目付役……どんな存在か、知っているでしょ」


 それ以上矧名は目付役について語らなかったが、裏に秘めたは……中室も理解出来た。




 答え方によっては、お前の未来は無くなるぞ。




 これに違い無かった。


 目付役は紛争解決手段である《札問い》を仕切る存在である。その一人を……最悪の場合全員を敵に回すという事は、花ヶ岡においてそのまま「死」を意味する。「いちゃもんを付けられて《札問い》となり、敗北した為に過酷な高校生活を送った先輩」の例は何度も聞いていた。


「中室さん。立場、弁えようね」


 矧名の親指に涙が伝った。右も左も分からぬ内に、「そうするべきだ」と身勝手に動いた罪を……弱アルカリ性の液体で償うように。

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