第5話:轟音

 涙。一度流れる事を許すと、次からは止め処無く溢れてくるのが厄介だった。




 また、私は泣いている。でも部長、今回は情け無くて、とかじゃないんです。悔しいんです、屈服しそうな私が、怖くて怖くて死んじゃいそうな私の弱さが悔しいんです。




「ひっ……ひっ……うぅ……」


 しかしながら矧名は不快そうに眉をひそめ、「あのね」と口を尖らせた。


「泣いたら答えなくて良い――とは言っていないからね。三つ目と四つ目、ちゃんと答えれば何もしないよ? 答えなかったら――」


「……っ、た、え……なかったら……」


 はぁ? 矧名が面倒そうに聞き返した。震えと涙で聴き取り辛い声で、それでも中室は……。


 精一杯の反撃に出た。


「こ、こ……答え……な、ながったら……また――」




 その一言は、きっと自分の未来を消滅させるだろう。


 謝れば良いのに、嘘を吐いてでも逃げれば良いのに!




 それだけは――彼女の忠義心が赦せなかった。


「また? 何を言いたいのか――」


 濡れた双眼は、矧名を真正面から睨め付けた。


 また、


「…………っ、は、はは……」


 矧名の口角が上がる。眠たげな目は細まり、愉快そうに身体を小刻みに揺らした。途方も無い、持て余さんばかりの爆発的な怒りに――思わず笑い出したようだった。


「そっか、そういう事か。あぁ、そういう事ね、はいはい……」


「……痛っ!」


 中室の後ろ髪を掴み、強制的に視線を合わせる矧名の目元は、ピクピクと不気味に痙攣していた。


でしょ?」


 矧名は繰り返した。


「和納に頼まれたんでしょ? だから、こうして、焼成室までやって来た、と……」


 言葉の節々に満ちた怒気が、一層中室の弱った心を打ち付けた。


「まぁ……いいや、どうでも。それで、今後はどうしたいのかな」


 二つ、選択肢があるよ――矧名の空いた手がピースサインを作った。


「一つ。大々、大サービス……それはね? 今までの事は全部忘れちゃおう!」


 異質な程に明るい声が焼成室に響いた。


「これはお勧めだよぉ。色々と特典が付いてくるんだ。まず、私とお友達になれる事でしょ、《札問い》でもになるでしょ、何より――平和に暮らせます!」


 そして二つ目――やはり明るい声が、「好ましくない二つ目」を端的に説明した。


「私の事についてを言ったり、を流したり……私をを取るなら――」


 瞬時に矧名の笑顔が消えた。


「二度と笑えなくするよ」


 カタカタと……中室の歯が打ち鳴らされた。寒気、怖気、その他あらゆる不快な現象が彼女を襲った。矧名に何をされるかは分からなかったが、どうなるかは手に取るように分かった。


「今はまともな言葉を喋れないでしょ? だから、ほら、見て?」


 矧名はニッコリと笑い、両の人差し指で自身の頬を指した。


「こうやって、ねっ? 笑ったら、って事にしてあげる!」


 はいはい、スマイルスマイル! 楽しげな目付役は中室の濡れた頬を軽く掴み、グニグニと引っ張った。


「ニコニコしてぇ、明日も明後日も、来週も再来週も来年も再来年も! 毎日楽しく生活しちゃおうよ! ここは花ヶ岡、とっても楽しい学校だよ!」


 暗く……カビ臭い焼成室には似付かわしく無い笑顔は眩く、煌めくような可憐さがあった。無邪気な笑みは獰猛な引力を持っていた。決して笑わぬと誓った中室の頬に、微かな動きを生み出したのである。その変化に気付いたのか、矧名は一層楽しげに笑った。


「さぁさぁ、中室さん! ? 今笑ってくれたなら、明日はもっと美味しいワッフルをご馳走しちゃうよ? そうだ、時々お出掛けしない? 学校で役立つ事とか、賀留多のとか、一杯教えちゃうよ?」


 この時、焼成室の閉じられた鍵がした。


「お願い中室さん。私と、お友達に――」


 なってくれない?


 矧名の甘えるような声は、果たして――。


 によって掻き消された。


「きゃあっ!?」


 矧名が叫び振り返った。そこにあったはずの扉は無く、新鮮な外気と共に……何者かが立っていた。


「あ…………っ?」


 空手道部主将、そして風紀管理部の長を兼任する二年生――和納万波実が、を踏み越え……ゆっくりと「涙する後輩に跨る」矧名の方へ歩いて来た。


 和納は二人の前で立ち止まり――感情の一切を捨て去ったような顔で、呆然とする矧名に言った。


「お願いです。私の大切な後輩を、どうか傷付けないで下さい」


「こ、これは別に――」


「中室さんが……泣いています。お願いです。その子から離れて下さい。それ以上……傷付けると言うのなら――」


 囁くような声で……和納は矧名に通告した。


と見做します」

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