乙女達、交錯せり
第1話:雲粒増加
一二時一〇分。二年一組のワッフル屋は予想外の売れ行きを見せ、生徒達も嬉しい悲鳴を上げていた。営業終了の一六時まで薄力粉が持つかどうか、クラスメイトが悩む傍で……。
「どうする? 足りなくなったら買い足して良いって先生言っているけど……」
「うぅん、でもなぁ……そしたらシロップも欲しいし、でも明日の方がもっと売れるじゃん? どうしよっかなぁ……ねぇ」
「……」
「ねぇったら、おーい、涼!」
「ふぇっ? あ、あぁ……ごめんごめん」
開店前と様子の違う矧名に、クラスメイトは首を傾げて「疲れたん?」と頬を突いた。
「涼、あっちこっち宣伝して回ったから疲れたんじゃない?」
「うぅん……そうかも、ちょっと先に抜けるね。ごめん」
それは良いけど……心配する友人達から逃げるように、矧名はエプロンも外さずに教室の外へ出て行った。どの教室、ブースでも生徒達が慌ただしく動いている。一〇時から二時間刻みにシフトを交代するよう通達が生徒会より出ている為、一二時は丁度入れ替わりの時間だった。
矧名は少しの間、一人になりたかった。誰もおらず、静かに思考出来る空間が欲しかった。当ての無い場所探しを行う道すがら、擦れ違う友人知人から自分達の出店に寄るよう声を掛けられたが、「後で行きます」と何度も謝った。
長い廊下を歩き、休憩する生徒でごった返す玄関ホールに着いた。人混みを掻き分けて外靴に履き替え、屋外ブースの喧噪から逃げるように歩速を速め――。
自然、彼女の足は「焼成室」へ向いていた。
「……ふぅ」
カビ臭い室内には慣れ切っていた。幾ら拭いても次回には埃が積もっている丸椅子の座面を、フッと息を吹いてから座った。数秒経ってから……矧名はスマートフォンを取り出し、突然に届いた「鶉野からのメッセージ」を再度、そして何度も読んだ。
『目代小百合討伐について。日時、其方に一任す』
突然過ぎる――矧名は思わず画面を睨め付けた。鶉野とは長い付き合いである為に、このような不意打ちじみた相談事は不可解だった。石橋を叩いて渡るような性格の鶉野である、「次はこのような動きを取ります」と言葉にしなくとも、充分矧名が予想出来るような前振りがあった。
それに……矧名は跳ねた髪の毛を指で巻き、目を細めた。
何故、味方でも敵でもあると宣言した私に、今までのように接触してくるのだろう。確かに「全力でお手伝いする」とは言ったけど、疑り深い性格のあの人が、こうまですんなり信じるだろうか?
面白い、確かにすっごく面白い事になっているけど――何だろう。このざわつきは……夜更かしした後のような、頭のハッキリしない嫌な感覚は……。
それでも……聞いてみる価値は、ある。
一抹の不安を抱きつつも、しかし大嫌いなクラスメイトの隠し通したい秘密を握った時のように……込み上げる好奇心と高揚感が、返信を躊躇う彼女を後押しした。
『今日の一八時半。いつもの場所でお伺いします』
仙花祭期間に限り、下校完了時刻は二〇時にまで延長される。加えて一八時半ならば大抵の生徒は出店の準備を終え、教室や屋外ブースで明日への期待を語り合っている頃だった。
何も無いグラウンドの、更には使われなくなって久しい焼成室など――邪魔が入るはずが無かった。
一二時二六分。巡回警備の合間に屋外ブースへ立ち寄った和納万波実は、やたらとフランクフルトを買わせたがる男子から一本購入した。ケチャップを一文字に塗り、近くのベンチに腰を下ろした。
「あむ……うん、なかなか……」
小気味良い音を立てて齧り付く和納。口端に着いたケチャップをティッシュで拭き取っていると、首から提げた小型無線機から彼女を呼ぶ声がした。
『こちら校舎三階担当、
麦茶を飲んで口内を洗い、「聞こえます、どうぞ」と返した。数秒の間を置き、中室が続けた。
『お伝えしたい事があります。風管部の仮設テントまで来て貰えますか、どうぞ』
和納の眉がピクリと動く。俄に立ち上がり「五分後に落ち合いましょう、どうぞ」と答えた。それから間も無く返事が届いた。
『五分後の旨、了解しました。終わり』
風紀管理部は仙花祭期間中、校門の近くに仮設テントを設営する。来訪する人間に不審者はいないか、入口やトイレが分からずに困っている来校者はいないかを見張る為だった。すぐ横には保健局のテントもあり、怪我人や体調不良を訴える者もここに連れて来られた。
「お疲れ様です、部長」
待機していた部員達が一斉に立ち上がり、和納に一礼した。過剰とも言える礼儀作法に支配された部員達が、時折和納は不憫に思った。
「すいません、部長。お呼び出しして……」
保健局の友人と会話していた中室が慌てて戻って来た。一年生である
「ううん、大丈夫ですよ。……それで、お話というのはもしかして……」
ちょっと此方へ……中室はテントの後ろへ案内した。周囲に人の数は多かったが、皆が種々の内容で会話している為、かえって密談には向いていた。
「部長の捜されていた生徒の……名前が分かりました」
「……苦労を掛けます。その生徒の名前は……?」
若干身体を傾けた中室は、和納の耳に尋ね人の名を囁いた。
「舟原貴枝――三年六組の生徒で、広報部長を務めています」
「…………そう。見た事がある、とは思っていたけど……」
矧名さんは会計部、舟原さんは広報部。あの件は組織同士のいざこざから生じたのかな……。
そんなに単純じゃないはずだ――和納は眉をひそめた。すぐに中室が「さっき、保健局の友達から聞いたのですが」と続けた。
「ここ最近で、痣に関する治療を願い出て来た生徒はいないそうです。部長の考えられた通り――」
舟原貴枝さんは、赤痣の理由を言い出せない状況にあったかと――潜めた声で中室が言った。
「……ありがとう御座います。大変だったでしょう」
「いえいえ、ご心配無く。少しでも虐めが疑われたら調査をする、それが風管部の仕事です。次は犯人捜しですか?」
新米にありがちな張り切りを見せる中室を労るように、和納は笑ってかぶりを振った。
「敏感な問題ですから、慎重に事を進めましょう。ちょっと調べる事も出て来ていますし、その時はまたお願いするかもです。――それより、食べたいものとかあったら、ご馳走しますよ?」
良いんですか? 年下らしい甘えた声で中室が笑った。
「はい、何でも良いですよ? 警備で疲れた身体は、美味しいものが一番です」
「じゃあ……」
中室は校舎の方を見やった。
「ワッフルが良いなぁ……なんて」
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