第9話:嫌気性生物達の終末
一〇時丁度。校内に端的な「営業解禁」のアナウンスが流れた。
各教室からはこれより始まる二日間の戦いにおいての商売繁盛の祈念、加えて高校生活を彩る本催事の祝福を兼ね、盛大な拍手が沸き起こった。幾つかのクラスでは指笛も鳴らされ、生徒達の熱気は温度と密度を一気に倍増する。
「いらっしゃいませぇ、いらっしゃいませぇ!」
宣伝係の生徒が教室を、或いは屋外ブースに設置された屋台から飛び出すと、声を張り上げて呼び込みを始める。店番はシフト制とされ、全員分のシフト表を生徒会に提出する事を義務付けられていた。意見の強い者が弱い者を押し退け、自由気ままに練り歩くのを禁止したからだ。
一方、純粋な学習成果の発表となる「クラス別展示物」については、最早出店の付属物という扱いを受けてしまい、二階奥にある六教室に押し込められていた。各クラスからは説明係が一人ずつ、シフト制とはいえ半ば罰ゲームのように選ばれていた。
しかしながら花ヶ岡の生徒は「それなりには」展示物にも注力する為、出店を回る合間に他のクラスの学習成果を見学しようと、勉学に努める生徒達が訪れた。
「……」
鶉野摘祢――三年八組の展示物、その横で椅子に座る彼女は、他の生徒と愚痴を言い合う事も無く、ひたすらに黙して見学者の到来を待ち受けていた。だが三年八組のブースは教室の奥まった場所に割り当てられ、発表テーマも『熱水噴出孔に存在する超好熱菌と特殊生態系について』といった、余り一般受けしないものだった。
好熱菌に興味の無い鶉野は、やたらとその筋に詳しい生徒からカンニングメモを渡され(殆どその生徒が展示物を作成した)、「誰か来たらそれを読むだけだから」と指示を受けていた。
鶉野の説明係への抜擢は、「出店に居られたら客足が遠のきそう」という先入観と、鶉野自身の「一人で考え事をしたい」といった利害の一致を受けたからだった。
チラホラと現れる、しかし八組の方にはやって来ない来訪者を眺めながら――鶉野は自らの高校生活を振り返っていた。
自分程に誰かを激しく怨み、その手を穢してまでも復讐に燃えていた一方で、誰よりも孤独を嘆くといった愚かしい高校生活を送る生徒が、一体何人花ヶ岡にいるのだろうか?
自分だけだ――すぐに鶉野は自答し、細かく書かれたメモをうろんな目付きで見つめた。丁寧ではあるが専門用語の羅列と、何より米粒のような小さな文字に眉をひそめる彼女だったが、生育に酸素を必要としない「嫌気性菌」の項目で目を留めた。
『……嫌気性菌の中には、大気中の酸素に曝露する事で死滅する偏性嫌気性菌というものもいて……』
あらゆる生物が八番目の元素を欲する訳では無い。人間のように酸素を失えば卒倒してしまう生物もいれば、偏性嫌気性菌のように酸素を「毒」として忌避する生物も存在する。同時に――酸素は濃度を高めていけば、人間などの「好気性生物」にとっても毒へと成り代わる事がある。
過ぎたるは及ばざるが如し……鶉野はふとこの格言を思い、俄に否定した。
花ヶ岡にとって正道は酸素なんだ。一方で……これを嫌って、私や矧名のように別世界で暮らす生徒だっている。いいえ、もっといるはず。
でも、何だか違う。本当の酸素のように、純度や濃度を高めていけば「毒」になる事は無い。いつだって正道は邪道に勝っているし、そうでなくては賀留多が成り立たない。
そう。そうよ――花ヶ岡の酸素は夢の元素。濃度が幾ら高まっても毒にはならない、邪道のみを殺す正義の元素。私達のような嫌気性生物は、死滅して然るべきなのよ。
周囲に満ちた気体を嫌がるのなら、文句を言いながら息絶えるか……それこそ、酸素の無い地下へ潜るしか無い。
そして私は同属――矧名涼の沈黙、死滅を願っている。
あぁ……説明係を引き受けて本当に良かった。このメモが……すぐ不安がる私を勇気付けてくれたから。
鶉野は周囲を見渡す。八組のブースには誰もいない事を確認し、一人、ソッと微笑んだ。
幾つか考えていた「矧名涼を殺し切る手法」――その第一案――が最も優れ、かつ最も徹底的なものであると確信したからだ。
好気性の振りをする矧名の口に、無理矢理酸素を注ぎ込む必殺の手段。これを用いれば矧名だけでは無く、傍にいるもう一人の嫌気性生物……鶉野すらもゆっくりと死に至るはずだった。
それで良し。花ヶ岡に邪道は要らない。
「…………」
鶉野は即座にスマートフォンを取り出し、ごく短いメッセージを矧名に送った。
それは垂れ下がるハングマンズノット――通称「首吊り結び」の縄を手に取り、笑顔で自らの首に掛ける事と同義だった。
目代小百合討伐について。
日時、其方に一任す。
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