第3話:解毒という名の衰弱

「ほな、また月曜な! 購買部にお待ちしてまーす!」


 鶉野とバス停で別れた後、数歩歩いては振り返って手を振る安居の自宅は、徒歩で三〇分程掛かるという。バス通学した方が良いのではと問うた鶉野だったが、関西からやって来た少女は「歩くの好きなんや」と笑った。


 やがてバスが到着し、右側一番前の席に腰を下ろすと、暇潰しにスマートフォンを取り出した。写真フォルダには――安居が無理矢理彼女とした一枚があった。


 友情の証や! 自身のスマートフォンを構えた安居はそう言いながら、鶉野の肩を強く掴み、自らの方に抱き寄せてから、「はい、」とツッコミを入れて欲しいらしい合図で撮影した。


「……」


 微かな振動に揺られる彼女は、嫌々映る自分の顔と、馴れ馴れしくも頬を寄せてくる安居の笑顔を見つめた。


『鶉野さん、いや、鶉野ちゃん! 連絡先交換しよ、写真とかポエムとか、一杯送らなあかんから』


 事ある毎に「ボケ」を会話に仕込む安居の癖には閉口してしまうものの、「繋がる可能性」が無いと思っていた人種からアプローチを受けた事は……。


「…………」


 その実、喜ばしい気がした。


 自分にもまだ魅力があったのか――鶉野は車窓からを眺めていたが、即座に「考えなさい、私」と眉をひそめた。




 安居春音。どんな人間とも関係を築けると豪語する辺り、かなりの友人知人がいるはず。だとすれば、私にとって「面倒な人間達」とも当然の如く――。


 生徒会購買部、その長である安居は、考えるまでも無く……他の部署、例えばとも繋がっているだろう。友人の種類には事欠かない彼女が、どうして私という「異質」な人間と繋がりたいの?


 純粋に――収集家のように様々な人種と関係を持ち、比較して楽しむタイプ?


 或いは……。




「……フゥ」


 ふと、鶉野は笑い出したくなった。普段なら得られて当然の推測が、実に大きな回り道の果てに豪華絢爛な様相で待ち受けていたからだ。


 降車ボタンを押し込み、スマートフォンをポケットにしまい込む鶉野。双眼には取り戻した余裕と、変わらない敵愾心――勢力を伸ばす猜疑心とが共存していた。


 沢山の友人を持ち、生徒会購買部長として活動し、校内を走り回っている安居春音は、無論……「鶉野摘祢という危険人物」の存在を知っているはずだった。バスを降りたとほぼ同時に、安居への疑いはより強くなっていく。


 私を欺そうだなんて、


 木陰の下を求めて歩く内に、怒りというよりは賞賛の感が強まっていった。今まで自身に向けられた警戒心は全て感じ取る事が出来たが、今回……安居の場合はそれが無かった。


 警戒心から友好心への転化。なるほどだと鶉野は思った。空気や感情まで自由自在に変化出来るのなら、いっそ購買部長よりも《目付役》の方が適任な気がした。


「……」


 やっぱり、彼女も敵だったんだ――鶉野は思い、スマートフォンに記録された写真を削除するべく操作したが……。


「……」


 抹消を意味するゴミ箱のアイコンに、どうしても触れる事が出来なかった。


 見れば見る程に安居の笑顔は一切の邪気が感じられず、信じられない事に「心底嬉しそうな表情」に見受けられた。一方、嫌がっていたはずの自分は安居を突き飛ばしもせず、大した抵抗もせず、唯……そっぽを向いているだけだった。


 私は、本当に彼女を拒絶しようとしたの?


 していないじゃない――自問自答する彼女の歩みは次第に遅くなり、内容は更にを増していく。




 情け無い私。貴女は心の何処か……自分でも気付けない片隅で、羽関さんや安居さんのような「友達」を求めていたのでしょう。二人は貴女の何処に惹かれたのかしら、考えてみなさい。すぐに欺瞞だと分かるから。


 馬鹿で救いようの無い私。貴女は怜未の為と言いながら、徒に私腹を肥やし、実行も出来ずに不貞腐れながら、拒絶したはずの「温み」を求めていたのでしょう。ほら、復讐とやらはどうしたの。さっさと目代小百合を倒しなさい。練習した忌まれる技術でね。


 寂しがり屋の私。貴女は羽関さん達を信用出来るのかしら。出来ないわよね、だって信頼は弱味だと貴女が貴女に言い聞かせているのだから。貴女はどのくらい強くなったのか、たまには振り返ってみなさい。


 愚かなだけの私。貴女は、もう逃げたいのよね。ねぇ、は全部聴いていたのよ、貴女の悲痛極まり無い、耳障りな声を。一年間、一人で頑張って偉かったわね――だなんて、誰も褒めないわ。だって


 終わってしまった私。貴女はきっと、矧名涼に何もかも壊されるわ。彼女は貴女よりも賢く、容赦が無く、人望があるのよ。勝てるだなんて、露も思っていないでしょう。


 お帰りなさい、私。


 誰よりも、誰よりも誰よりも誰よりも――。


 友達が欲しい摘祢ちゃん!




「お姉ちゃん、スパゲティ、もう食べないの? 僕、それ一口食べてみたい」


「お姉ちゃん、何だかお腹一杯になったのよ。三人で食べて良いわよ」


「摘祢、口に合わなかったか? 他のメニューを取っても良いんだぞ? それとも父さんのハンバーグ食べるか?」


「ちょっとお父さん、そんな食べ掛け誰も欲しく無いわよ。……摘祢、具合でも悪いの?」


「ううん、ちょっと学校でジュースを飲み過ぎたみたい。ほら、今日は暑かったでしょ。ごめんね、折角来られたのに……」


「いや、それなら良いんだ。じゃあ今晩は、摘祢の好きな蕎麦でも取るか! ほら、いつも取っていた店。雑誌に載っていたんだよこの前!」


「へぇ、あそこの店長さんまだ若いのに偉いわねぇ。……ほら、摘祢。いつまでも悄気た顔しないで。勝樹達が心配するわ」


「そうね……。お父さん、ハンバーグを一口食べてもいい? ちょっと食べたくなったのよ――」




「美味しいわ。とても」

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