第2話:二三本の姉達

 もう少し、もう少しやから――安居がこの台詞を一〇回言った辺りで、ようやく運搬作業は終了を迎えた。せいせいしたと言わんばかりにタオルで顔を拭い、「ええ天気や!」と安居が万歳した時、鶉野は「もし《金花会》で一緒に場を囲んだら、」と強い決意を抱いた。


「いやぁ、ほんまに助かったわ! 皆で協力するべきやね、こういう事は」


「…………」


 他の購買部員を呼べばいいでしょうが――などと口にするのも億劫だった。家では共働きの両親が彼女の帰りを待っているし(家族で食事に出掛ける予定だった)、何より「緊急事態」に向けて少しでも思案に耽りたかった。


 そして……安居は鶉野の願望を見透かしているかのようだった。


「せや、鶉野さん、御礼にジュース飲まへん? 飲まへんやないわ、飲んで下さい! やね。いや実はな、今度購買部の飲み物コーナーを充実させようやないかって話になってん、それでな、私も市場調査を兼ねて色々――」


 鶉野に「飲み物コーナーの改良について語り合う」時間は無かった。喋り続ける安居を放って置き、冷たく歩き出した鶉野は、間も無く両者の距離が事に気付いた。


「私な、炭酸系はあんまし飲まれへんのよ。シュワシュワーって感じ! あれがあかんのよ。なんや喉に穴でも空いたんやろかー思うてしまうんや。でもな、自分だけの意見を通す訳にはいかんやろ? どーしよどーしよ言いながら頭痛めていたところに、なぁ? 鶉野さんが来てくれたっちゅー訳やね」


 全く苦手なタイプだった。聞き手の事情も顧みず、ペラペラと喋り続ける安居にとうとう怒りを抑えきれなくなり――。


 鶉野は立ち止まり、振り返って「悪いけど」と強い声調で言った。


「私、貴女に興味は無いの。随分と調査がお好きなようだけど、相性の悪い人間もいるという事を知った方が良いわよ」


 ごめんなさい……そう呟き、潮垂れた様子で安居が謝罪するだった。


 結果は――正反対となった。


「私は鶉野さんに興味津々やで? それに、相性の事なら心配いらへんよ。私、どっちかと言うと静かな人が好きなんや。私の話をじっくり聴いてくれる人、そういう人に私は一番懐くんや!」


 満面の笑みで鶉野の腕を叩き、既に友人であるかのような気安さで、グイグイと購買部の方へ引っ張った。


「ちょ、ちょっと! 好い加減に――」


「まぁまぁまぁ、話は奥で聴かせて貰うで。たーっぷり」




 結局、鶉野は照明の点いていない購買部に引き込まれ、安居から「ここにコーヒーメーカーを置きたいんや」と、何も無い空間の前で長々と説明を受けた。


「ここならレジのすぐ近くやし、他のお客さんの動きも阻害する事は無い。お菓子売り場、パン売り場からも目に付きやすいし、「ついでに買うていくかぁ」って感じになるやろ」


 鶉野さんもそう思うやろ? 問うて来た安居に、鶉野はそっぽを向いて「さぁ」と素気無く返した。


「私、購買部に行かないから」


「うーん? 鶉野さん、嘘はあかんなぁ、嘘は。もうちっとバレにくい嘘を吐いたらどうなんや?」


 安居は売り場に走って行くと、すぐに「モグモグあにまる」を携えて戻った。


「これ。。それも一つやない、二箱、三箱……。私の記憶によればな、鶉野さんが一番買うてくれるんや。せやから、このお菓子は切らさんように気ぃ付けとるんよ」


 その実、「モグモグあにまる」を購入する時――必ず三箱以上は棚に並んでいたのを鶉野は思い出した。女子高生ばかりの花ヶ岡である、売れ線では無いのだろうと彼女は考えていたが、がいる事には気付けなかった。


「多分やけどな、鶉野さん、弟か妹いるやろ? これ小さい子好きやもんなぁ。泣いとったらとりあえず渡しゃ泣き止むやろーみたいな、もう鉄板やね」


 安居は売り場に菓子を戻し、「何を知った風に言うとるんや、と思うやろ」と笑った。


「私にもいるんや。妹がやで? うるっさくて敵わんわ、口だけはほんまに達者でなぁ、毎日毎日喧嘩ばかりや」


 微かに目を見開き……鶉野は自分から問うた。


「……安居さんも、下が三人なの?」


「せやで? えっ、えっ……待って待って、ほんま? 鶉野さんも下が三人?」


 弟がね、と頷く鶉野の手を――目にも留まらぬ速度で掴んだ安居。その表情は実に煌びやかなものであった。


「ほんま!? めっちゃ奇跡やん! 《喰付くっつき》みたいやな、ちゃうわ、《二三本ふたさんぼん》くらいいっとるんやないか!?」


 誕生日プレゼントに喜ぶ子供のような笑顔を浮かべ、安居は「せや!」と何かを思い付き、ブレザーの皺を手で伸ばした。


「こういうのはしっかりしとかんとな! 鶉野さん、もうお互い三年やけど、改めて、友達になって下さい!」


 ビシッ、と右手を差し出した安居に対し……鶉野は酷く戸惑っていた。




 といい、この人といい――どうして今になって、私と「友達」になろうとするの……?




 一年近くを孤独に過ごして来た鶉野にとって、次々と友人関係を迫られるという「事態」への免疫が一切無かった。普通なら「喜んで」と手を取るところを、しかしながら彼女は取らず(もしくは取れず)……。


「…………私と友人になっても、良い事は無いわよ。それに、貴女にも迷惑を――」


 刹那、鶉野のダラリと伸ばしていた右手を安居が思い切り引っ張ると――。


「阿呆! こういう時は『おおきに』って手を取るもんや! 見てみぃ、私の可愛い顔がこんなに寂しそうやないか!」


「自己礼賛が過ぎるわね」


 手厳しい反応にキラキラと顔を輝かせた安居は、やる気の無い鶉野の手を強く握り締め、何度も上下に振った。


「ツッコミエグいなぁ自分! そうや、そういうのが欲しかったんよ!」


 鶉野はこの日、以来――二人目の友人が出来たのである。




 彼女はもう、一人では無かった。

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