鶉野摘祢、守る

第1話:ミス

「……っ!」


 ガン、と焼成室の壁を思い切り殴る音が響き渡った。


 一人取り残された鶉野が――苛立ちの余り、壁に八つ当たりをしたのである。冷静沈着を自らに課す彼女にとって、この殴打はごく珍しいものだった。




 何て私は馬鹿なんだろう。あの女が……のを見抜けなかった、私のミスだ!




 つい数分前に焼成室から――鼻歌混じりに――出て行った矧名の顔を思い浮かべる度に、どうしようも無い怒りと自分への呆れが込み上げた。


 完璧だったはずの計画に生じてしまった、微かな微かな綻びを……矧名は悦楽の極みとでも言わんばかりに囃し立て、無作法に引っ張り、滅茶苦茶に壊していった。今や綻びは「大穴」となり、目代小百合の討伐はおろか、何もせずにする可能性すら出て来た。


 途端に――鶉野の頭で不穏な思考が暴れ始める。


 長きに渡って練り上げた計画は、最初から「無駄」だったのではないか? とうの昔に「無益」だと知っていながら、なおも私は私を欺す事だけに躍起になっていたのでは?


 拳だけでは無く、額を壁に打ち付けた鶉野は……強い焦燥によって目を大きく見開いた。


 その実、鶉野の忌手イカサマ技術の習得に大きく寄与したのは矧名であった。大量の花石を払いはしたものの、受け取る道具や「書類」を信頼したのは彼女であり、それに応えてくれたのは紛れも無い――恐らくは歴代最高の《造花屋》である矧名だ。


 故に……鶉野は断片的ではあるものの、抱く野望と怨恨について語った事もあった。矧名はごく短い鶉野の告白を聴き、「つまりはこういう事ですか」と精度の高い推測を披露した。お互いが悪党であると自覚してはいたが、鶉野は悪党同士が最も重要視する「口の堅さ」を勝手に信じ込み、正解の時は頷いたりもした。


 矧名が京香に対し、「計画」を暴露した事を責めようとした鶉野は、彼女の狂おしい程の好奇心を前に……遂に諦めてしまった。幾ら責めても「ごめんなさい、でも我慢出来ません」と言われればそれまでだし、これ以上の無駄骨を折りたくなかった。


 魔が差した――殺人犯がこう告白したとして、より深く「動機」を聞き出せる者はいない。犯人にとって人を殺めてしまう程の動機は、何処まで追求しても「魔」が関与したからと答える。しかも大真面目に、一切の嘘が無い、純粋にして真実の動機なのだ。


 矧名が鶉野に怨みや敵愾心を抱き、京香に計画を吐露したとすれば、鶉野はまだ対処の仕方を考えられた。


 彼女は言った。「死んでしまうかもしれない程の好奇心」に背中を蹴られたと。


 彼女は言った。「羽関さんを私に紹介する」というのは悪手だったと。


 彼女は言った。「燃え盛る炎にガソリンを注いだのは貴女だ」と。


 総括すれば――矧名をさせたのは鶉野自身であった。


「…………」


 今後、何が起きるか……鶉野は皆目見当が付かなかった。唯一つ……ハッキリしているのは「最悪の事態」が待ち受けている事だけだった。


 目代小百合を討ち倒した後、彼女が背負う罪を全て公表して絶望の淵に叩き落とす――しかしながら、この闘争によって発生する被害者は「鶉野摘祢」「目代小百合」の二名だけでなくてはならなかった。ここに矧名という要素が紛れ込めば――。


 被害者の数は一〇、二〇どころの騒ぎではなくなる……鶉野は思った。


 矧名が何をするかは予測出来ずとも、必ずや賀留多文化に甚大な被害を与える事は容易く考えられた。根本では賀留多を愛する彼女は、忌手イカサマを扱った自身を誰かに罰して貰おうとした。決して他人を巻き添えにしてはならなかった。加えて……。




 羽関京香――自身に欺され、矧名に誘導され、挙げ句の果てに破滅を迎えるであろう一年生の事が……どうしても心配だった。




 本来、鶉野は一重トセと羽関京香、二人の一年生を利用して、目代小百合の逃げ場を潰そうと考えていた。しかしながら二人を最後まで欺す事はせず、時機を迎えたら「自分を怨むように」誘導し、共倒れを防ぐ算段であった。


 当然の事だ――鶉野は思った。トセと京香にこそすれ怨みは無く、二人を道連れにする気も無いからだ。


 だが……事情は大きく変わった。


 トセの洗脳を解くのは容易く思われたが、もう一方――京香は彼女に。更には鶉野を「唯一の理解者」と信じ込み、自らを駒として扱って欲しいと願いもした。


 何より……連絡も途絶えてしまった親友と京香が、不思議と重なるのが鶉野は辛かった。


 タイミングさえ合っていれば――京香とは「親友」になれたかもしれない。最近考える事が多くなった。


「…………」


 鶉野は焼成室を出て行くと、力無い足取りで帰路に就いた。通常なら――友人に電話の一つでもして「相談があるんだけど」と泣き付く事が出来た。


 彼女は、鶉野摘祢はそれが出来ない。


 相談に乗ってくれる友人は一人としておらず、誰もが遠巻きに鶉野を気味悪がるか、或いは「触らぬ神に祟り無し」と接近を避けた。そして……事態を嫌がる事無く、平気な顔をして受け入れたのは鶉野自身であった。


 あらゆる危機が、鶉野の撒いた種だった。


 目も眩むような絶望感と共に……校門を潜ろうとした鶉野は、ふと背後に「あっ、あぁ!」と慌てるような声を聴いた。


「あかん、あかんあかん! あかんてこれぇ!」


 購買部長の安居春音が、何故か台車に段ボールを山積みにしていた。高く積まれているそれは、今にも横へ轟音と共に倒れそうだった。


 咄嗟に――鶉野は走り出し、自らの方へ倒れ込んできた荷物を……何とか抑える事に成功した。


「あっ……あらぁ? 何で鶉野さんがいるんや? いつもご贔屓にぃ……ってちゃうわ、ほんまにありがとぉ、ありがとぉ!」


 肩を上下させる鶉野は、「どうでも良いけど」と安居を睨め付けた。


「考えたら分かるでしょう。これだけ積んで、崩れそうだと思わなかったの?」


 堪忍してな――安居は気恥ずかしそうに頬を掻いた。


「今日は休みやろ? 部員もおらへんし、勿論お店も休みや。せやけど、ぼちぼち《仙花祭》も始まるし、荷物の整理くらいせなあかんなぁって……」


「だからと言って、一気に物事を進めようとしても返って危険よ」


 憤慨する鶉野に対し、安居は「せやなぁ」と真剣そうに頷き――。


「ここで会うたのも縁や、悪いけど鶉野さん、手ぇ貸して貰えへん? 心配あらへんよ、これを購買部の倉庫に運ぶだけやから! 一生のお願い! 神様仏様鶉野様ぁ!」


 大袈裟に頭を下げた安居。やがて彼女は顔を上げると、呆れ返って声も出さない鶉野に対してニッコリと笑んだ。


「…………何」


「『かまへんよ』……って事やろ? 優しいなぁ自分!」


 鶉野さんは手伝ってくれる、いいやそうに違い無い! そう考えているらしい純真無垢な安居の笑顔に、鶉野はそれ以上――何も言えず……。


 嫌々ながら、荷物の運搬を手伝ったのである。

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