第6話:お茶目

 同時刻――二年生の《代打ち》であり、「素手喧嘩ステゴロ柊子」の異名を持つ宇良川柊子は、親友の斗路看葉奈の部屋で寝転んでいた。


「ふわぁー……みーちゃんの部屋は相も変わらず面白く無いわねぇ。もっとこう、乙女の心を刺激するようなものは無いのぉ……?」


 ゴロリ、ゴロリと部屋の中を転がる内に、もう一人の客人――史氷ミフ江の膝に激突した。


「あ痛っ。小さいお膝は尖っていて痛いわねぇ」


「うるっさいのですわ! 斗路さんのお部屋に文句を言うわ、芋虫みたいに転がって膝にぶつかってくるわ、やりたい放題ですわね……! 大人しくお待ちなさいな!」


 現在、部屋の主は一階のキッチンで紅茶を淹れている。先程まで宇良川は本棚の後ろに「いかがわしい書籍」が秘匿されていないか捜索し、正座して待機する史氷に叱られたばかりだった。


「だってしょうがないじゃないのぉ。本棚を見てご覧なさい、一ページ読んだだけで虫歯になりそうな甘ったるい恋愛小説ばっかり……」


「人によって好みがあるのは当然ですわ、とやかく口出しする資格なんて、宇良川さんでもありません事よ」


「私はどんな事でも赦されるのよぉ――あら? ちょっと史氷ちゃん、見て見て……!」


 な、何か見付かりましたの!? 鼻息の荒い史氷が素早く近付いた。


「この書類ケース……怪しいわねぇ、不透明だし。ちょっと開けてみましょうよ……!」


「で、でも……流石に斗路さんに悪いと言うか……」


 ニヤリと宇良川は笑い、史氷の柔らかな頬を突いた。


「『見たい』って、プニプニほっぺに書いてあるわよぉ? 我慢は身体に毒、身長も伸びないわよぉ? それにぃ……もしかしたら、とんでもない写真とかぁ、とんでもない手紙とかが――」


「お待たせ致しました」


 不意に扉が開き、トレーに紅茶とクッキーを載せた斗路が笑顔で現れた(ジャージ姿であった)。二人は「あぁあぉ!」と両肩を震わせ、ケースを本棚にしまおうとしたが……。


「あら? どうされました?」


「えっ!? あぁ、いやその、ねぇ? あのぉ……史氷ちゃんが本棚を買いたいらしくて、その高さを測っていたのよぉ、ね!?」


 計測器具を持たない宇良川から視線を外し、震える史氷を見やる斗路。


「そう、そうですわ! 本棚ってこんなに大きなが入る――あぁ……」


「ケース?」


 硬直する二人の後ろに回り――斗路は書類ケースを認めた。しかしながら激昂する訳でも泣き出す訳でも無く……「あぁ、それでしたか」と微笑み、テーブルに紅茶を並べていった。


「お、怒らないのぉ……?」


 うんうんと頷く史氷。


「別に怒りませんよ、それぐらいでは。私達の仲ではありませんか」


「良い人ですわ……! 何処までも……!」


 感動に打ち震える史氷を他所に、何処かに反省を忘れてきたらしい宇良川が、教師に質問するかのように手を挙げた。


「じゃ、じゃあ……ケースの中には何が入っているのかしら……?」


「この人は……」


 中身ですか? 斗路はケースを手に取り、テーブルの上で気軽な様子で開いた。出て来たのは怪しい写真や、念の込められた手紙では無く――。


「…………随分と古い本、ですわね」


「えぇ……これも恋愛小説?」


 いえいえ……斗路はかぶりを振って、少し強張った表情で答えた。


「《毒法千手詳細覚書》。昔の花ヶ岡で発行された、言ってしまえば忌手イカサマのマニュアルです」


 長い年月、幾人もの手を渡って劣化したその古本こそ――公明正大である事を第一とする賀留多闘技に「崩壊」をもたらす禁書であった。宇良川と史氷は茶褐色の表紙をしばらくの間眺めた。


 ホルマリン漬けとなった毒蛇を観察する子供のように……蓄えた「猛毒」の致死性も理解出来ず、唯々、「好奇心」が二人を虜にした。


 そしてこのは、未だに触れる者を殺めかねない劇物であった。《毒法千手詳細覚書》は――。


 今も花ヶ岡にて、ヒッソリと生命活動を続けているのだ。


「現在、この本はが二冊確認されています。一冊は私が、もう一冊はが保管していますが……一応、その方の名前は伏せさせて貰います。申し訳ありません……」


「謝らなくて大丈夫ですわ、私達は斗路さんの立場を理解しているつもりですから……でも……」


 史氷の疑問を引き継ぐように宇良川が言った。


「正規版、って事は……つまり、のようなものもあるって事でしょ……?」


 静かに斗路は頷いた。


「恐らくは、正規版より情報量が増したものが……水面下で流通している事でしょう。どれ程取り締まろうとも、忌手イカサマの放つ魅力は計り知れません。読み物としても興味深いのですが、それ以上に……使が良過ぎるのです」


 パラパラと宇良川が捲っていくと、古めかしいイラストと文章によって――実に詳細に「種々の技術」が説明されていた。幾つかは彼女も知っているものがあったが、「塗薬を塗布する箇所」「暗室での闘技時」などという項目の充実さに……思わず閉口したのだった。


「斗路さんは……これを全部、憶えていて?」


「技には系統があります。それを憶えておけば、細かな名前や手順は分からずとも、大抵は看破出来るかと。ですが……恥ずかしながら、これらの技を憶えていく毎に、正直……恐怖もありまして……」


 恐怖? 宇良川が首を傾げた。


「はい、恐怖です。絶対に使わない、不正はしない――それは当たり前なのですが、技を沢山習得すると、例えば闘技で不利な状況に陥った時……『今、あの技を使えば逆転出来るな』と考えてしまうのです。誓って使用した事はありませんが、それでも、私も人間です……忌手の確実性、即効性に一切の魅力を感じないと断言は出来ません」


 ケースの中に封印するかのように、斗路はゆっくりと古本を収め……静かに閉じた。


「今はこうして筆頭目付役として、花ヶ岡の賀留多文化維持の一助となっておりますが……一歩間違えば、私も忌手イカサマに侵食されたかもしれませんね」


「ちょっとぉ……そんな怖い事を微笑んで言わないでよぉ……」


「そうですわよ! 何だか……周りを疑っちゃいたくなりますわね……」


 すっかり気落ちした二人を和ませるように、斗路はクッキーを一齧りして「美味しい」と笑った。


「これ、私がお二人の為にしたのですよ。さぁ、お試し下さい」


「うん…………うん! ちょっとこれ美味しいわぁ! 凄い上手に焼けたじゃないのぉ!」


「本当ですわね! シットリしていて、それでいてしつこくなく食べ飽きない美味しさ……! どうやって作ったんですの?」


 ニッコリと笑んだ斗路は、「簡単です」と答え……レシートを見せた。


「スーパーで買って来ました。早起きして……。それに、一言も『作った』とは言っていませんよ。ウフッ」


 ポカンと呆けた相貌となった宇良川と史氷。やがて二人は声を揃えて――。


忌手イカサマじゃないのよぉ!」


忌手イカサマですわよ!」


 斗路を糾弾したのである……。

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