第7話:特別行動員

 遡る事、実に数週間前――花ヶ岡が夏期休業期間の只中にあった頃。


「怪しいどころの騒ぎじゃないわね」


 生徒会の一組織であり、生徒活動の健全性と公平性を監督する部署――監査部の長、は、部員の酒田が持参したメモを睨め付けた。週に一度、例え長期休業であっても開かれる監査部会議には、余りに重たい議題であった為……。


 酒田は会議終了を狙い、扇風機の前に陣取る間瀬を廊下に呼び出した、という顛末であった。


「酒田、この話を誰から聞いたの?」


 間瀬の鋭い視線に狼狽しつつも、酒田は「その……」と、消え入りそうな声で答えた。


「噂、なんですよね……」


「噂ですって?」


 多少の呆れを見せる間瀬。しかしながら酒田の表情から「見過ごせぬ事態の深刻さ」を感じ取り、彼女の肩を叩いた。


「風説に惑わされては業務にならない、それは分かっているわよね」


「は、はい」


 でもね――間瀬は口角を上げ、後輩の報告を褒めたのである。


「火の無い所に煙は立たぬ、とも言うわ。貴女の聞き付けた噂が風説かどうか、調べてみましょう。酒田、報告ありがと」


 かつて「《札問い》は不幸を生むだけだ」と賀留多文化の撲滅を画策し、大いに校内を掻き乱そうとした間瀬であったが……裏を返せば、真に「平穏」を願っている生徒だった。二年生の酒田も時折、間瀬の突拍子も無い言動に溜息を吐いたりもしたが、全ては「悪を見過ごせない」という彼女なりの正義感が起因する事を、心の奥では理解し、慕っていた。


「ありがとうございます、部長。でも……どうやって調べたら良いんでしょうか。会計部と連携も一案ですが、余り事を荒立てては、に逃げられる可能性があります」


 ふっふーん、と間瀬は自信ありげに胸を反らした。


「私達は監査部よ、生徒活動を表から、そして監出来るの! 酒田、部室のソファーで寝転がっている女を連れて来なさい」


 露骨に酒田は嫌な表情を浮かべた。


「えぇーっ……だって、さっきも『誰も起こさないで』って大きな声で……しかも寝起き、滅茶苦茶に悪いじゃないですか……」


「大丈夫よ。唯、こう言えば良いのよ。『出番ですよ』ってね」




 会議を終えたと同時に、殆どの部員達が帰宅した為……酒田が監査部室に戻った頃には、エアコンの動作音と「静かな寝息」だけが聞こえていた。


 向山仁礼むかやまにれ。ソファーに横たわり、毛布を腹に掛けてグッスリと寝入る三年生の名である。賀留多の実力はそこそこではあるものの、花石遣いが大変に荒く、常にで喘ぐ浪費家であった。


「向山さん、起きて下さーい……」


「うぅーん……後一時間だけ……」


 酒田は初めて「一時間も追加をねだる人間」を目の当たりにした。当然、一時間も待っている程に間瀬は気が長くない為、寝起きの異常に悪い向山を平穏に起床させようと手を尽くした。


「向山さーん……起きて、起きて下さい……その、美味しいお菓子がありますから……」


「うぅーん……何味?」


「味? えっ、えーっと……林檎味……?」


「あぁ……パスぅ。私ぃ……葡萄派だからぁ……」


 段々と腹が立って来た酒田は、間瀬から伝え聞いていた「合言葉」を苛立ちと共に言った。


「向山さん! !」


 刹那――バネ仕掛けの如き勢いで、向山が即座に起床した。


「うぉわぁ!?」


 身体を限界まで伸ばし切った向山は、「出番かぁー」と呟き立ち上がった。


「酒田ちゃん、アレでしょ? が呼んでいるんでしょ?」


 そうです、と酒田が頷いたと同時に部室のドアが開いた。二人の様子を見るべく、間瀬が出向いて来たのであった。


「遅いわよ酒田! 私だって録画したドラマ見たり――あら、起きているじゃない」


「おはよぉー、咲恵っち。酒田ちゃんから出番って聞いたんだけどさー」


「咲恵っち、って渾名は止めてくれる!? なんか卑猥に聞こえるから!」


 間瀬の文句を「へいへい」と適当に答え、向山は大きな欠伸をした。


「向山、そろそろソファーで寝転んで花石を散財するだけの毎日は飽きたでしょう? 貴女に良い仕事を与えるわ」


 その実――酒田は向山のを羨ましく思っていた。しかしその事を間瀬に悟られてしまうと大目玉を食らう為、温みの残っている毛布を畳む事にした。


「そりゃあ有り難迷惑だねぇ。とりあえず聴かせて?」


 間瀬は正義感の滲むような……凜々しい双眼を向山に向けた。


「ある三年生が、


 どのくらい? 向山は何気無く問うた。


を越えそうなの。増加の度合いから見て……《仙花祭》が終わった頃には、優に六〇〇〇以上は貯まる気がする」


 俄に――向山の眉がひそまる。


「お笑いだね。そこまで勝てるだなんてさ」


「ええ、笑えるけれど、笑い事じゃないわ」


 それで、私はどう動けば良いかな――向山は首を傾げ、午睡を楽しんでいた時は打って変わった「目付き」で問うた。


 珍しく……監査部長らしい態度と声色を以て、間瀬は向山に命じた。


「一ヶ月。一ヶ月で真相を暴きなさい。それまでは《金花会》に毎週出向き、全闘技終了まで残る事。必要な花石は用意するわ」


「おぉ! 大判振る舞いだね。それで――その曲者の名前は?」


 曲者以上よ……間瀬は「容疑者」の名を告げた。


。貴女も知っているでしょう? 目代小百合の一件を」


 あぁ、と向山は合点がいったように手を打った。


「咲恵っち、はねぇ……会計部も巻き込んだ方が良いなぁ」


「理由を訊かせて?」


 腕を組み……普段の様子からは想像出来ぬ程の真剣さを滲ませ、独自の推論を語った。


「ぶっちゃけね、会計部でも噂になっているんだってさ。でも、噂は噂……もうちょっと情報が出てから言おうと思っていたんだ。咲恵っち、あんまり会計部を好きじゃないじゃん? でも、今回ばっかりは……協力を仰いだ方が良い。打ち場に来た人間、花石の流通事情を把握しているのは彼方さんだよ」


 以前――龍一郎達と賀留多文化の存続を懸けて争った彼女は、未だに賀留多とは「唯々、楽しいだけのもの」と考えており、そこに花石や《札問い》といった不純物を混ぜ込む《金花会》を嫌っていた。


「そうね、ハッキリ言って、会計部の連中は好ましくないわ。全てが花石の多寡で説明出来ると思い込むような節、一切を賀留多で解決しようとする姿勢が、どうにも鼻に付くのよ」


「人には色んな考え方もあるから、咲恵っちが間違いだとは言わないよ。けれど、今回のケース――鶉野摘祢が絡んだとなれば、事情は大きく変わってくる」


「あ、あのぉ……」


 酒田が怖ず怖ずと手を挙げた。間瀬は振り返り、「ごめんなさいね」と笑った。


「酒田は知らないものね、鶉野摘祢の事。簡単に言えば、一年前、彼女の友人が《札問い》に負けて転校したのよ。その時、友人の代打ちを務めたのが――目代小百合、知っているでしょう」


 あの人だ……目の下に隈を作り、かつて《鬼百合》と呼ばれたという三年生を酒田は思い出した。


「以前から鶉野摘祢は物静かだったけど、友人が転校してから……何と言うか、近付き難い存在となったの。笑いもしないし、かといって非行に走る訳でも無い。何を考えているか、誰も理解出来ない」


「まぁ、酒田ちゃんは下の学年だから、あんまり鶉野摘祢を知らないと思うけどね。会計部の人も、『怪しいなぁ』って思っているらしいね」


「……単純に、闘技に強いという事は?」


 向山は「うーん」と唸り……。


「考えにくいな。賀留多は運が絡む。勝つ事もあれば、反対に負ける事だってある。延々と勝つ事が出来る人間なんて、果たしているのかな?」


 それを調べる為に――間瀬がニヤリと笑った。


「貴女を送り込むんでしょう? さん」


「まぁ、そういう事だね?」


 エヘヘ、と気恥ずかしそうに笑う向山。


「頑張りなさい。何かあったらすぐに報告する事、あの女は何を考えているか分からない……恐らくは――」


「どしたん? 咲恵っち……」


 物憂げな表情を浮かべ、間瀬は静かに言った。


「目代小百合が危ない」

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