第6話:私が殺したモノ

 京香の決意に、鶉野は少しの反応も見せずに再び歩き出す。「録画された出来事」を見返すかの如き様子であった。


 やがて二人は――グラウンドの片隅に建つ小屋へ辿り着いた。


「……焼成、室?」


「そう。読んで字の通り、工作品を焼き上げて完成させる場所。工芸部が所有しているけど、今は備品庫も同然よ」


 古臭く、塗装も剥げた粗末な小屋に……どのような「猛毒」が仕込まれているのか、京香は見当も付かずにいた。後輩の悩みなど意に介さぬように、鶉野は引き戸に手を掛けると、思い切りにスライドさせた。


 不意に――中からが聞こえた。


「油を差してみたんですぅ」


 誰だろう……京香は鶉野の背後から、焼成室内を覗き込んだ。


「いやぁ、まさか三〇分も前に来るだなんて思いもしなくて……」


 パンを片手に、モグモグと口を動かす女――初めて見る顔だった――が、「おや?」と京香を見つめた。柔和な目付きではあるが……薄闇から此方を見やる双眼からは、ハッキリとしたが滲み出ていた。


「鶉野さん、後ろの子は何でしょうかぁ?」


 問われた鶉野はすぐに答えた。


「一年生。羽関京香さんよ」


 あははっ、と女は楽しげに笑い出し、鶉野の前に立つと――。


なんですかぁ?」


 コクリとパンを飲み込んだ女は、真正面から鶉野を見据えた。柔らかく、甘ったるさを覚える声質ではあったが……言葉の一つ一つに、隠された「棘」を京香は見出した。


 では無い――そう推測した京香は、しかし二人の会話に割って入る程の胆力は持ち合わせていなかった。


「何か問題でもあるの」


 この時ばかりは鶉野が頼もしく思えた京香であった。一方の女はパンをいつの間にか食べ終え、ポケットからバナナミルクを取り出すと、勢い良くストローを挿してから「ありますありますぅ」と笑った。


、書いたの鶉野さんですよねぇ」


 女はやはりポケットから小鳥の置物を取り出し、引っ繰り返して鶉野に見せ付けた。底面には日時を記した文字が書かれており――その置物に、京香は確かに憶えがあった。


 購買部のレジ近くで売っていたものだ。それに、ここは工芸部の管轄らしいし、この人……工芸部なんだ。


 それだけだった。触り心地の良さそうな癖っ毛を生やし、ノンビリとした口調の恐らくは工芸部員――有用な情報では無かった。


 鶉野摘祢と浅い仲では無いらしいこの女から、何故か感じられる――鶉野とは別種の――の正体を、未だ京香は掴みかねていた。


「そうね。私が書いたけど」


 ジューッ、とバナナミルクを吸い込む女は、わざとらしい程の「困ったなぁ」といった表情を浮かべ……鶉野を盾に隠れる京香の方を一瞥した。


「まさかとは思いますけどぉ、その子は……」


 ですかねぇ? 女の目が薄らと開かれ、京香の頭頂部から爪先までを見渡した。「警戒を解いて良い人種かどうか」を計るような視線に、思わず京香は顔を背けてしまう。


「さぁ。それは彼女自身が決める事だわ」


 鶉野が素っ気無く答えると、女は癖っ毛を左右に揺らして「困りますよぉ」と返す。


「一切合切、何もかも、ぜーんぶじゃないと……私だけじゃないです、鶉野さんだって、面白く無い事が起きちゃいますよぉ?」


 大丈夫よ――鶉野は女を見つめて言った。


「ここで教えるから」


「んぅ? 鶉野さん……」


 心配そうな顔付きで……女は小首を傾げた。


「頭でも?」


 いいえ、と鶉野は涼しげに答える。


「貴女には負けるわ」


 途端に女は「手厳しい返しですねぇ」と笑い出した。一頻り笑った後――深い溜息を吐いてから「仕方ありませんねぇ」と椅子を三脚用意した。どれも酷く痛んでおり、着席を勧められるまで京香は立ったままでいた。


「まぁ、鶉野さんの事です、信頼してあげましょうか。特別大出血腹切りサービス、ってところですぅ」


 ストンと椅子に座った女は、両足を交互に動かし……この空間を楽しんでいるらしかった。時折京香と視線を交わしては、ニッコリと笑った。


「羽関さん」


「は、はい……」


「暗くて、怖い声だよねぇその人ぉ」


 女に囃し立てられながら、京香は鶉野の方を見やった。


「もう戻れないわよ」


 そうじゃないでしょお――女が明るい声で訂正した。


「もう、でしょ?」


 微かに肩を震わせてしまった京香は、その反応が二人に知られないよう……努めて無表情を保ちつつ、鶉野の言葉を待った。


 数秒程待った後、鶉野は「羽関さんは」と口を開いた。


「賀留多が強いのかしら」


《いすり》での敗北をすっかり忘れたような質問に、多少の動揺を以て京香は首を傾げた。


「弱くは……無い気がします」


 おぉ、と女が興味深そうに食い付いた。


「一年生なのに、自信あるって感じだねぇ?」


 鶉野は女に構わず、「だったら」と質問を続けた。


「どのくらい強いのかしら。勝率を教えて頂戴」


 問われるまで――京香は自身の勝率を考えた事が無かった。「勝率」とは、各技法の事なのだろうかと悩んでいる傍から、「勿論」と鶉野が追補した。


を含めるのよ」


「…………六割ぐらい、でしょうか」


 あらゆる技法の勝敗を合算した上でのは――手札や場札の運も絡む賀留多闘技において、並々ならぬ戦力を意味する。


 しかしながら……鶉野は驚きもせず、癖っ毛の女に限っては欠伸をした。


「六割なのね。誇って良い勝率よ、羽関さん」


 全く喜ぶ気になれない京香は、適当な礼も言わずにを待った。一拍置き、鶉野は更に問うて来た。


「じゃあ、その勝率をにするには、どうしたら良いかしら」


「…………はい?」


 無理に決まっていますよそんな事――京香は即座に吐き捨てたかった。一応は年長者を立てるべく、考える振りをしてみたが……。


「流石に、それは無理かと思います」


 答えは同じであった。一方の鶉野は「工夫が足らない」と怒りもせず、「どうして」と返すだけだった。


「どうしてと言われても……幾ら闘技に慣れて、戦術を構築していても、負ける時は負けてしまいますから」


「負ける理由が何か、貴女は分かるかしら」


 余りに短絡的な答えではあったが、京香は消え入りそうな声で述べるしかなかった。それ以外に検討が付かなかったからだ。


「……運、でしょうか」


 鶉野は「正解」とも答えず、質問を重ねて来た。


「その『運』は、


「どっ、どういう……事ですか」


 女がニコニコとしながら「言葉の通りだよぉ」と両足を交互に動かした。


「『運』ってものをぉ、自由自在に扱えますかって事ぉ」


 即座に――京香はかぶりを振って、強い語調で言い切った。


「出来っこありません! 配られた手札、撒かれた場札は常にランダムです、戦術も毎度違うし、起こす札の正体も分からない! だから、だから勝率だって決して――」



 鶉野は興奮する京香を見据え、静かに告げた。


「『運』を支配……或いは、勝率を一〇割にする事は勿論、逆に――にする事だって可能なのよ」


 思い出して、羽関さん……囁くような鶉野の声が、京香の脳内で木霊した。


「《いすり》、二人で打ったでしょう。貴女が勝利する一局前、定めた五〇点まで丁度、だったはずよ。そして最終局、羽関さんは化け札を加えて、一二月の札を三枚出せた……」


 突風でページが勢い良く捲られるように――京香の記憶が次々と蘇る。


 手札に紛れていた「三六点」を目指せる三枚。


 鶉野が指定した「化け札」の月数。


 鶉野が起こした「牡丹」の札。


 何もかも――


 呆然とする京香など構わず、鶉野はを止めなかった。


「供出点は無視して――三六点の獲得、これってだと思う? 貴女が純粋に、戦術を組み立てて戦い、『運』に勝利したと信じている?」


「……っ、じゃ、じゃあ……あの闘技は全部……!」


「残酷な事を言うようだけど、一切は私の支配下にあった」


 一秒後、鶉野は告白した。


 告げられた者をさせ……。


 酷くさせる、劇薬に似た一言であった。


忌手イカサマを使って、山札を……貴女の手札を操作した。いいえ、貴女との闘技だけじゃない。一年間――私は忌手で花石を稼いで来た。言っている事が分かる? 私はね、本当に……『運』を殺したのよ」

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