第8話:忌雲

 忌手イカサマ――正々堂々を絶対とする賀留多闘技において、様々な手口を以てして結果を捩じ曲げる行為である。花ヶ岡高校では単に「イカサマ」と書くのでは無く、「忌まれる手」と字を当てて……生徒達への啓発とした。


 かつて、賀留多文化の中心に据え置かれる組織、《金花会》の前身である《姫天狗同盟》に参加した者には、《毒法千手詳細覚書》という冊子を配布した。それまでに発覚した忌手の技術、道具を明け透けに記載し、自衛と打ち場の平等性の維持に役立てる為の「薬」は……。


 一部の心無い生徒達により、他人を殺める「毒」へと転じた。


 今では絶版となり、数冊が《金花会》の手で厳重に保管されていたが――発禁本とは須く、監視の目を潜り抜けるエキスパートであった。


 公明正大を打ち出す花ヶ岡の賀留多文化、その裏側に巣食う「無法者」がその内の一冊を手に入れ、水面下で改訂と増版を繰り返し……高値で売り捌いて来た。同時に《姫天狗同盟》や《金花会》は購入者を捕まえ、そこから「販売者」を突き止めては厳罰を下し、増殖している「発禁本」を押収した。


 しかしながら……「悪」程にしぶとく、人を惹き付けるものは無い。そして「悪」は一層の繁栄を求め、自らの栄華を約束するを生み出す。




 ここにいては駄目だ!


 来てはならない、知ってはならない、加わってはいけない――禁忌タブーに溢れた空間はグラウンドの片隅にあると知り、京香はゆっくり立ち上がると……息の詰まるような焼成室から逃げ出そうとしていた。


 しかしながら、彼女の「これからしようとしている事」は容易く見抜いているのか……柔らかな髪の女が、入口でにこやかに立っていた。


「何処行くのぉ? まだ鶉野さんのお話、終わっていないんだけどなぁ?」


「……申し訳ありませんが、私は帰らせて貰います。鶉野さんから聴いた事、知った事は決して誰にも言いませんし、書面にも残しません。それと……お名前を伺っていませんが、貴女の事も――」


矧名涼はぎなすずみっ。二年一組、矧名涼って言うんだよぉ。よろしくね」


 癖っ毛の女――矧名涼は笑みを絶やさず、右手を差し出して握手を求めてきた。一方の京香は目礼だけを返し、差し出された手を握る事無く、一歩後退するだけだった。


「鶉野さん、ここからは私が羽関さんにお話しても良いですかぁ? 私、馴れていますから……」


 問われた鶉野は表情を変える事無く、「ご勝手に」と素っ気無く答えた。了承を得た矧名は京香の方を振り返り……。


「と、いう事で。羽関さん、もうちょーっとお話を聴いていってよ。損はさせないし、色々と楽だよぉ? 私と仲良くしておくとっ」


 数秒の間を置き、京香は凜とした声で返した。


「必要ありません」


「えっ? 何で何でぇ?」


 矧名は「信じられない」と言わんばかりに目を見開き、首を左右に傾げた。


「元々、鶉野さんと何か約束的なものがあったんでしょ? だからこうして私のところまで来て、を知ろうとしているんじゃないのぉ?」


「……もう、良いんです。最初は鶉野さんに協力したいと思いました。でも! 鶉野さんが忌手イカサマに関わっているだなんて……知りもしませんでした。私、それだけは協力出来ません、絶対にしたくありません!」


 糾弾されているにも関わらず、鶉野は取り乱す事無く京香を眺めていた。


 正義の心を信じ、悪道を滅せんと発奮する若き勇士を見守る老婆のように……温かみと、「世の無常さ」を知り尽くした諦観が鶉野にはあった。


「ありゃあ……」


 鶉野とは対照的な女――矧名は、苦味に喘ぐような表情を浮かべ、「羽関さん?」と、優しげだが声色で言った。


「帰るのは自由だけどさぁ、今後……面白く無い事が起きちゃうよ?」


「……脅しているんですか」


 即座に矧名は答えた。


「うん、脅し。貴女の為だよ?」


 指を一本ずつ折り込み、好きな菓子を挙げていくような調子で――矧名は「災厄」を列挙した。


「まず、賀留多は打てなくなるかなぁ。犯人の見付からない、怖ーい悪戯もされちゃうかも。花石だって無くなるしぃ、友達だけじゃない……信用も失っちゃうかな? 勿論、《札問い》でなんて解決しないからねぇ。でもでも、私達と仲良くしていたらね? いーっぱい嬉しい事が起きちゃうんだよぉ! 例えばねぇ――」


 次々と提示される「脅し文句」に、思わず京香は噴き出してしまった。


「んぅ? あれっ、何か面白い顔していた?」


 有り得ない、たかが生徒に何が出来るのだ――彼女は笑った。


「……いえ、随分と矧名さんは強い権力をお持ちだなぁ、と」


 そりゃあね! 矧名は無邪気な笑顔と共に、親指を天に向けた。




「何たって私――《目付役》だからっ!」




 矧名の軽やかな声が、幾度も、幾度も幾度も……。


 京香の脳内で響き渡った。


「その女の言う事は本当よ、羽関さん」


 鶉野の言葉に、しかし京香は反応一つしなかった。


「彼女はね、賀留多文化を支える《金花会》、そこに所属して公明正大とやらを守る……ご立派な《目付役》なのよ」


「いやぁ、あんまり褒めないで欲しいなぁ……えへへ」


 照れたように頭を掻く矧名を無視し、鶉野は呆然とする京香に向けて……。


 花ヶ岡の中枢で蠢く「大逆人」について、端的に語った。


「前に言ったでしょう。人は誰しも『裏の顔』を持つと。矧名さんにとって、表の顔は《目付役》、今……私達と喋っているのは――」


 忌手の技術、道具を教授販売する《造花屋》なのよ。


「…………っ」


 眼球が零れ落ちそうな程に見開く京香の肩を、実に楽しげな様子の矧名がソッと叩いた。


「知りたいでしょ? 私の事ぉ……嫌がっても教えてあげるよ? 今日からぁ……私と、鶉野さんと……羽関さんは――」


 お友達だから……。

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