第8話:問い証文

 長く美しい長髪の内の、おおよそ一本に至るまで偽証が見受けられないような振る舞いに、間瀬は返す言葉も見付からないのか、それとも心奥に潜む「賀留多愛」がこれ以上の反発を生ませなかったのか――果たして彼女は龍一郎の方を見やった。


「さっきの言葉、嘘じゃないわね」


「勿論です」龍一郎は首肯した。


 間瀬は酒田に耳打ちし、何処かへと走らせた。心無しか酒田の顔が先程よりも明るいものとなっており、果たして三分と経たずに一枚の長い紙を携えて戻った。


「……《問い証文》?」


 口を開いたのは目代だった。皆が彼女の発言に驚きつつも、間瀬が頷き同調した。


「そうよ、目代さんも書いた事があるでしょう。《札問い》の一番厳格なやり方。『絶対遵守を約束する』と誓うものよ」


 酒田の用意した筆を使い、間瀬は自らの名前を証文に記すと、龍一郎に手渡して言った。


「署名しなさい。覚悟の多寡を計る場よ」


 一同が黙していた。


 花ヶ岡高校に連綿と受け継がれた賀留多文化の是非を問う、恐らくは史上最大規模の《札問い》が決定する瞬間を、皆は果たして一言も発さずに見守っていた。


 龍一郎は大きく息を吸い込み、吐いた。「間瀬咲恵」と記された横に、彼は自らの名を一字、また一字と記していく。




 如何なる批判を受けようとも、長期に渡り続いた賀留多の歴史に終止符を打とうと覚悟する間瀬に匹敵する程の、絶大な覚悟が果たして俺にあるのか?




 彼は名字を書き終え、今一度深呼吸を終えてから――残りの「契約手順」を完了させた。


 動機はどうであれ、生徒の幸福の為に賀留多を廃絶させたい間瀬。


 継承されてきた影の文化を、それでもなおと護りたい龍一郎。


 両者は正反対の願いを抱いていたが……根底には「賀留多を愛するが故に」という共通の意志が確かに根差していた。


「酒田、証文に不備が無ければすぐに会計部へ持って行きなさい。一応は《札問い》を管轄している部署だから」


 分かりました――酒田は証文を持参していた筒にしまい込み、一同に深々と頭を下げてから廊下へと出て行った。間瀬がドアに手を掛けた際、振り返って龍一郎達を見やった。


「生意気な一年生ばかりね、今年は」


 間瀬は言い残し、静かに退室した。残された羽関妹は緊張の糸が切れたのか、その場にへたり込んでしまった。トセが近寄るも、しかし羽関妹はかぶりを振って拒否した。


「私……私……皆さんに、いえ、全校生徒に迷惑を……つい売り言葉に買い言葉でした……叔父に話せばきっと分かってくれるはずなのに……」


「……あれで良いんだよ、羽関さん」


 声を掛けたのは目代だった。嘆く羽関妹に語り掛けるように、彼女は屈んで目線を同じ高さに下げた。


「あそこで貴女の一押しが無かったら、もっと酷い事になっていたかもしれない。あの場面では、羽関さんの言葉が正解だった。共倒れしかない結末を、少しでも好転させたのは……貴女の決断があったからなの」


 正直に言うとね――目代は龍一郎達にも語るように続けた。


「遅かれ早かれ、こういう事になるかもって思っていたんだ。実際、私のせいで一人が転校したのは事実だし……。間瀬さんのやろうとしている事は、本当は正しいかもしれない。だから、だからね……近江君、羽関さん。どちらが勝っても、どちらが負けても、私はそれを受け入れるだけ。二人を責める人がいたら……その時は、私が盾になる。旧きを愛でるも、新たを望むも……優劣は絶対に付けちゃいけないから。ね? 柊子ちゃん」


 宇良川は「当たり前ですよぉ」と頷き、羽関妹を無理矢理に立ち上がらせた。


「いつまでも花の女子高生がメソメソしちゃいけないわぁ? 姐さんが盾になるんだったら、私は二人の矛になってあげる! どう? 最硬の盾と最強の矛、矛盾を通り越せばきっと何かあると思うのよねぇ。大丈夫、学校で打てないのなら、靖江天狗堂で打ちまくれば良いだけじゃない! ねぇ、おトセちゃん?」


 話を振られたトセは我に返ったように「は、はい!」と明るく答えた。




 ありがたい。こんなに素晴らしい先輩達に見守られて、俺は何と心強いんだ――。




 それから羽関妹は畏まって姿勢を正し、龍一郎に向かって一礼した。


「このような事をお願いするのは間違っていますが……金曜日、どうか全力で闘技をお願い致します。私も全身全霊でお応えしますが……私としては――」


 いえ、何でもございません。羽関妹はもう一度、深々と一礼して去って行った。


「……さて、と。近江君、やる事は分かっているかな?」


 目代が彼の方を見やる。心得たりと頷く龍一郎は、《八八花》を取り出した。


「特訓、お願い出来ますか」


「……滾っているね。近江君?」


 良い心掛けだよ――目代は座布団を長机に置き、ブレザーを脱いで腕まくりをした。


「これから金曜日まで、……。二人も協力して欲しいな」


 トセと宇良川が黙したまま頷いたのを認め、それから目代は「多分、羽関さんは」と札を手早く切りながら言った。



「……それでも勝ちます」


 龍一郎の表情が無に近い、しかし静かに熱く燃え滾るようなものへと変化していくのを、トセは何処か物憂げな顔で見つめていた。

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