第2話:監査部
この日、姫天狗友の会を訪れる依頼人は果たしておらず、一七時を少し過ぎた頃に解散となった。
目代と宇良川を見送った龍一郎は、「おトセ」と横に立つ者の渾名を呼んだ。
「靖江天狗堂に行くんだろう、今から」
「そうだよ、最近京香ちゃんにも会っていないし、暇しているかなーってね」
リュウ君、もしかして――トセは彼の顔を覗き込んだ。
「あの子と距離を置こうとしているのかい?」
「そうじゃないけど……」
結局龍一郎はトセの申し出を断れず、羽関妹の元へ向かう事となった。校舎を出てから会話が無かった二人だったが、重たい空気を嫌うように沈黙を破ったのはトセだった。
「自覚、足りないのかな。私って」
「自覚って……代打ちとしてのか?」
「うん……。私はただ、京香ちゃんとも仲良くしたいだけなのに……やっぱり、リュウ君も不味いなーって思う?」
「……正直に言うと、全く思わない――と言えば嘘になるな」
彼の本心であった。
友情や罪悪感といったものを抜きにして考えた結果、目代達の言う要らぬトラブルが、羽関妹と関係を持つ事で起きやすくなるのは明白だったからだ。
代打ちとして《札問い》に明け暮れ、一度は潰れ掛けた経験を持つ龍一郎は、ある種の俯瞰的思考を会得していた。
羽関妹を切り捨てる訳では無いが……しかしながら龍一郎はどうしても、「大丈夫だろう」と楽観的に笑い飛ばす事が出来なかった。
「俺もあの子と、出来れば仲良くしたい。羽関の妹だからって事じゃなくて、一人の友人として考えた時、魅力を感じたからだ。でも……」
「……でも?」
「俺達は代打ちなんだ。目代さん達の言う事は間違っていない、むしろ当たり前だと思う。だからこそ……真剣に考えないといけない気がする」
やるせない表情で歩を進める龍一郎の顔を、トセは横目でジッと見つめていた。少し言い過ぎたか……と龍一郎が後悔した時、トセは「ねぇ」と縋るような声で言った。
「リュウ君は、代打ちになって良かったと思う?」
何だかさ……と、トセは伺うように続けた。
「私が軽い気持ちで誘った事、怒っているかなって……」
「怒る? どうして俺が怒るんだ?」
トセの歩く速度が遅くなる。龍一郎も彼女の足取りに合わせた。
「最近、不安だったんだよね。……先輩方から聞いたんだ、リュウ君が疲れていた事」
安請け合いからの精神的疲弊を、龍一郎はあえてトセだけには伝えなかった。同年代の女子に弱く見られない為の気負いもあったが、最大の理由としては――彼女に格好悪いと思われたくなかった、という単純なものだった。
「そんな事もあったな……今は何も問題無い、むしろそのお陰で俺は色々と強くなれた気がする……ってのは臭い台詞だな」
笑う龍一郎をしかしトセは、何処か物憂げに見つめていた。
「それに、誘ったのは確かにおトセだけどさ、最終的に代打ちになると決めたのは俺なんだ。子供っぽいけど……実際、『こんな高校生活があるのか』って喜んでいたよ」
「……嘘じゃない?」
「嘘じゃねぇよ。本当に本当だ。おトセが誘ってくれなかったら、もしかすると俺は楢舘の一件で、それこそ天狗になっていたかもしれん。遅かれ早かれ痛い目を見ただろうさ。どうせ痛みを感じるなら、小さく完治が望める方が良いだろう?」
うん。トセはか細い声で相槌を打った。
「だから俺は怒っちゃいない、むしろ感謝すらしているよ……そんな暗い顔をするな」
今から会うんだろう、友達に。龍一郎が微笑むと、トセは気恥ずかしそうに一度そっぽを向き――満面の笑みで彼を見た。
「うんっ」
生まれ出た小さな不安を、屈託の無いトセの笑顔が覆い隠し……龍一郎は俄に気楽な思いになった。
やっぱり、笑っていた方が――。
龍一郎は照れ臭さから続きの言葉を思い浮かべる事を取り止め、靖江天狗堂を指差した。
丁寧に入り口を箒で掃く店員を認めたトセは、「おーい」と手を振る。黒い長髪を白いリボンで纏めた美しい店員は、二人の来店を心から喜ぶように手を振り返した……。
「駄目だ、今回はやらかしたぞ俺」
七月の中旬。
《八八花》では猪が山野を走り回る季節だった。
一年四組の片隅で、楢舘は青い顔で筆箱を開けては閉めてを繰り返しながら、黒板に書かれた「定期考査」の文字を見つめていた。
年度に四回行われる重大なイベントに、彼は殆ど準備も無く立ち向かい、果たして自らの玉砕を感じ取っていたのだ。
「お前らはどうだった? どうせ俺と同じだろう?」
龍一郎と羽関は声を揃えて「まあまあ」と答える。楢舘は大きな溜息を吐き、「裏切り者だ」と意味不明な恨み言を呟いた。
「今日で定期考査は終わりだ、これからは毎日の予習復習を心掛けるんだな」
徹頭徹尾完璧な羽関の忠告に、しかし楢舘は「そんなの分かっている」とふて腐れながら返した。
きっとこの男は今後も同じ失敗を繰り返しては、同じ恨み言を言って同じ忠告をされるんだろう――龍一郎は呆れ顔で幼馴染みを見つめていた。
「たまには何処か行こうぜ? おっと、龍一郎君は可愛い彼女がいるかな? クソが」
定期考査とは温厚な男すら獰猛にさせるものか? 龍一郎はお定まりの「彼女じゃねぇよ」という返答と共に、解答用紙一枚で変わってしまった楢舘を不憫に思った。
「そうだな、今日は四時間目で終わりだし、飯でも食いに行くか。近江はどうだ?」
定期考査の影響で短縮授業となったこの日は、羽関も妹手作りの弁当を携えていないようだった。
龍一郎は「俺も行くよ」と快諾し、鞄を肩に掛けた瞬間――教室に一人の生徒が入って来たのである。上履きの色から二年生らしかった。
「近江龍一郎君はいますか?」
クラスメイトの視線が一気に龍一郎へ集まる。何人かは彼を指差して「あの人ですけど」と不安そうに答える者もいた。
「誰だ近江、知り合いかあの先輩は」
「分からん、心当たりが全く無い」
訝しむような羽関の眼光にやや怯えつつも、その二年生は龍一郎の元へと歩み寄った。
「近江龍一郎君ですか?」
「そうですけど……」
代打ちの依頼なら部室で聞きますよ、と口を開き掛けた龍一郎に被せて彼女は言った。
「生徒会監査部の者です。少しお時間、よろしいですか?」
これ、一応生徒会の証拠です――二年生は《監査部》と厳めしい金文字が書かれた手帳を取り出し、彼の眼前に見せ付けた。
「な、何かしましたか、俺……?」
とにかくこちらへ、と生徒会監査部員は彼を教室の外へと連れ出した。何事かとクラスメイトは扉から顔を出し、連行される龍一郎を見送った。
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