第5話:殴り合い

 五臓五腑――龍一郎が初めて耳にする単語であったが、しかし内容自体は目新しいものではなかった。


 互いに最初から一〇文ずつ持ち、それを出来役によって取り合い、どちらかが〇文になれば対局は終了……というものだった。


「親はそちらからで良いですよぉ。倍付けは全部無し、それだけ」


 先攻が有利とされる《こいこい》において、わざわざ親を譲るとは……龍一郎は場札と宇良川を交互に見やる。




  藤のカス 芒に月 芒のカス 菊のカス(二枚)

  紅葉のカス(二枚) 桐に鳳凰




 カス札が場に六枚並び、残りはどちらも《三光》に掛かる光札、といった状況であった。


 とりあえず……と龍一郎は手札から《芒に雁》を光札に当て、《松に鶴》を起こした。


「豪腕ねぇ、この分だとすぐに三光は出来そう」


 ジッと龍一郎の手を見つめる宇良川は、《菊に短冊》をカス札にぶつけ、《松に短冊》を引き当てる。嬉しそうに一月の光札を攫い、鼻歌交じりに取り札を並べた。


「鶴って、枝には留まれないんですよ? 知ってたぁ?」


「いえ、初耳でした……」


 何処か調子が狂うようだった龍一郎は、仕切り直しとして《桐のカス》を鳳凰に打つ。そして山札からは《菖蒲に八橋》、という流れであった。


「えー、もう三光出来そうで怖いよぉ……」


 どうしよっかなぁ……宇良川は悩ましげに頭を捻り、「じゃあこれで」と《菖蒲に短冊》を場に晒し、山札からは《藤のカス》を引き出す。


 藤札ならそこまで怖く無いな。


 龍一郎は《梅のカス》を置き、山札から《萩に猪》を起こした。七月の山を走る猪、今の彼にとって縁起の良い《生き物札》である。


「うーん、もう欲しいものが無いなぁ……これ、通るかな」


 宇良川が怯えるように出した札は《桜のカス》であった。龍一郎は努めて笑わぬよう手札で口元を隠すが、彼の手に忍ぶ《桜に幕》が「笑え笑え」と頬を引っ張るようだった。


「よぉーし、起きてっ!」


 彼女の願いに応えたのか、起き札は《藤に短冊》、辛うじて短冊札が増えただけとなる。


「じゃあ、遠慮無く頂きます」


 龍一郎の手から躍り出たのは《桜に幕》、六文の出来役である三光の完成と相成った。


 早々に勝負を決められるかも……と踏んだ龍一郎は、《牡丹に蝶》を起こしつつ「こいこい」と宣言、勝負の続行を申し出た。


「うぅーん……困ったなぁ、とても」


 いやぁ、困った困った――宇良川は腕を組んで小首を傾げると、「まぁ良いか」と呟きながら……手札から《牡丹に短冊》を、赤い花に飛び交う蝶へと叩き付けた。


「あっ……持っていたんですね、短冊」


 勝負です、宇良川がつまらなそうに紙とペンを取り出すと、「一戦目、ウラ一一文、コノ九文」と書き記した。


「どうかしたんですか?」


「うぅん? いいえ……」


 口を尖らせる宇良川はかぶりを振るが、何かに退屈しているのは明白であった。しかし何があったと深追いする気にもなれず、龍一郎は次局へと移行した。




 闘技は進んで四戦目。


 宇良川は地道に文数を増やして一六文、一方の龍一郎は……一度も上がれずに文を減らし、残り四文という冷や汗の出る経過となっていた。


 途中二回、彼は役を完成させる事が出来たものの、「逆転しなくては」という見えない欲に背中を押され、勝負続行を宣言、果たして宇良川に踏みにじられるのであった。


「何だかなぁ……」


 宇良川は不満げな顔で札を配っていた。


 札を打つ毎に彼女の機嫌が悪くなるようだった。


 出会った当初は明るい声色と表情が印象的な彼女が、今は何かを憂う訳ありの女、といった様子である。


「あの、何か……俺、悪い事しました?」


 気にしないよう、気にしないようにと座布団を見つめてきた龍一郎は、果たして彼女の落下し続けるテンションに堪えかねた。宇良川は顔を上げると――ニュッと腕を伸ばし、彼の頬を抓り上げた。


「痛いっ! ちょっと痛いですって!」


「しているわよぉ、近江君。


 頬を千切るようにスナップを利かせて手を離す宇良川は、横目で龍一郎を睨め付けた。


「き、気持ち……?」


「そうですよぉ、私は折角……を求めているのに、それに応えてくれないんですもんね、近江君は!」


 宇良川はプンプンと怒りながら続けた。


「大体、近江君は《こいこい》し過ぎよぉ。五臓五腑の肝を分かっています? 一度の激痛よりもしつこい疼痛なのよぉ。一文二文を取ったり取られたり、気の抜けない殴り合いをたまには楽しみましょう?」


 比喩表現が多量に混在した宇良川の言葉を――龍一郎は自己流の解釈によって、すんなりと飲み込む事が出来た。




 この人、俺が代打ちとしての柔軟さを持っているかどうかを試しているのか……。




 昼休みに羽関へ語った戦術を、こうもあっさりと別の形で返されるとは!


 龍一郎は自らの打ち筋を如何に変化させるか、そこが今回の肝なのだと悟った。


「……宇良川さん、やっぱり貴女は――」


 ステゴロ柊子ですね。龍一郎は自らの頬を強く叩き、彼女の大きな双眼を見つめる。




 場札を片っ端から攫って手を伸ばし、安手で上がりまくる。《喧嘩札けんかふだ》か――。




「どうもすいませんでした、宇良川さん。……ようやく俺も同じ土俵に入りますよ」


 龍一郎の目付きが大きく変わったのを、宇良川はすぐに悟ったらしく――「そう、それですそれ」と頷いた。


 徐々に口角が持ち上がる宇良川。


 場に置かれた《藤に郭公》へ、《藤に短冊》を叩き付けながら龍一郎に手招きをした。


「おいで、近江君」


 宇良川は山札から《松に鶴》を起こし、「僥倖ねぇ」と熱の籠もった声で呟いた。


「縁起の良い鶴……先に撃ち落とすのはどちらでしょう?」


 俺ですよ――龍一郎は手札から《松に短冊》を取ると、軽やかな音を立てて松の光札へとメンコのように叩き付けた。


「殴って殴って殴りまくります。楽しみにしていてください」


 あらぁ……と、宇良川が身を捩りつつ、ウットリとした目で龍一郎を見つめた。


「今は勝っているのに……何故か私が蹂躙されるような感じがしますねぇ。不思議だわ、本当に不思議ねぇ……」


 龍一郎は山札から《柳に小野道風》を起こすと、「凄いですね」と微笑んだ。


が出来るとは」

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