第3話:代打ちとは何ぞや?
「どうだった? 私もまだ三回しか参加していないけど、とても面白い場所なんだよ!」
二人は熱気冷めやらぬ金花会を後にして、夕焼けの差し込む廊下を歩いていた。
「正直、凄く楽しそうだ。……でも、どうして俺を誘ったんだ?」
それはね? トセが三階に続く階段を指差した。
「この花ヶ岡と賀留多の関係を知って欲しかった事と……もう一つ、理由があるんだ。付いて来てくれるかな」
果たして二人は三階に到着すると、そのまま廊下を進んで古びた扉の前に立った。室名札には何も書かれておらず、代わりに小さな天狗のキーホルダーが下げられている。
「何かの部室か?」
「そんなところだね。誰かいるかな……」
扉を開けるトセの後ろから、龍一郎は室内を見渡す。長机とパイプ椅子、そして戸棚が置かれただけの簡素な内装であったが、椅子には可愛らしいクッションが敷かれていた。
「あー、今日は誰もいないみたいだね。残念だなぁ」
どうぞ、と招かれるままに入室した龍一郎は、新たに一脚椅子を開いてそこに座った。
「お茶でも淹れるよ、リラックスリラックス、だよ」
「……いや、ここは一体何なんだ?」
まあまあ――トセは電気ポットに水を入れて、戸棚から二つの湯飲みを取り出した。
落ち着けと言われても……龍一郎はソワソワと室内を見渡す。
本来は文化系の部室だったらしく、茶器や分厚い辞書などが段ボールに詰められて隅に追いやられている。
「はい、どうぞ。お婆ちゃんにいつも褒められるんだ、お茶を淹れるのが上手いって」
湯気の立つ湯飲みを手に取り、ソッと啜る龍一郎。確かに美味かった。
「美味いな、これ」
フゥと息を吐いて肩の力を抜く龍一郎は、ようやく心に平穏が戻り……そして「違う、そうじゃないだろう」とかぶりを振った。
「違う違う、そうじゃないって」
「うん? 何かの歌?」
「いや、違うって。どうしてここに連れて来たんだ? そしてここは何なんだ? 分かるように説明してくれよ」
ごめんごめん。トセは一頻り笑ってから、「本題に入るよ」と身を乗り出した。ややたじろぐ龍一郎は、机に潰れた彼女の胸を一瞥した。男の本能が悲しかった。
「君、昨日賀留多を上級生と打っていたよね? それも……揉め事を抱えてさ」
「うん、成り行きだけどな……」
「本当はあれ、目付役の人を呼ばなきゃ駄目なんだよね。君は無理矢理な形だったかもしれないけど、もしかしたら――」
これだったかも。トセは自分の首を掻き切るような仕草を取った。
「……大したもんだな、要求は何だ? 金か?」
龍一郎の目が鋭くなる。しかしトセは怯える事も無く、「違うよ」とかぶりを振った。
「揉め事は当事者同士で解決するよね? でも、この高校は賀留多での解決を認められている……勿論、腕に自信がある人は良いんだ。だけど、もし腕に自信が無い人だったら?」
「そのまま負けるか、口論でねじ伏せるしか無いだろう」
「その通り。でも弁が立たない人だって一杯いる。それじゃあ、余りにもにも可哀想だって事で……この揉め事解決、正式には《札問い》って言うんだけど、この時に限っては――《
麻雀の代打ちみたいなものか……と、龍一郎は昔に見た映画を思い出した。
「昨日、君がやっていたのはまさに代打ちだよ。当事者の代わりに賀留多を打ち、決着の一切を引き受ける行為……違うかな?」
「……いや、確かにあれは代打ちだった。楢舘――俺の友人だけど――は花札をろくに知らないからな、多少知っている俺が打ったんだ」
「本来なら、代打ちというものは花石を報酬に引き受けるんだ。昨日のような案件なら……軽く一〇〇個は欲しいところだね」
金花会で貰える五ヶ月分じゃないか――龍一郎は思い、しかし何となく楢舘の状況を鑑みれば、大体適正価格なのではと感じられた。
「この高校にいる代打ちは、今のところ全部で三人。各学年に一人ずつさ」
「一年生にもいるのか、代打ちが?」
龍一郎の問いに、トセはニヤリと笑った。
「一年生の代打ちはこの私、一重トセなんだ。私のお母さんもお婆ちゃんも、この高校出身でね、代打ちだったんだよ」
全ての合点がいく――龍一郎は目を見開いた。
何故、この女は一年生にも関わらず花ヶ岡の「伝統」に詳しいのか……絡んだ糸が一人でに解れていく気がした。
「金花会で毎週打つのも楽しい、でも……誰かの依頼を受け、全身全霊で札を打つっていうのは、単なる闘技以上の意味があると思うんだ」
湯飲みを撫でながらトセは続けた。
「中には言いくるめられて、肩身の狭い思いをする人もいるかもなんだ。……どうかな、近江君。この学校初めての、男の代打ち、やってみない?」
内心――興味はあった。
公的に許された訳では無い代打ちや、所謂「代理闘争者」というアウトローな存在に、彼も惹かれた時期があった。
しかしながら……実際にその立場になれると分かった今、「他人の運命を背負う」という余りに重たい責任感の重圧が、一挙に彼の肩へとのし掛かるようだった。
「……俺、特別強い訳じゃない。昨日だって、あれは偶然勝っただけなんだ。正直に言って……怖いよ、そんな代打ちだなんて」
「あはは、だったら大丈夫。私だって怖いもん。似ているね、私と君」
トセは鞄から《八八花》を取り出し――昨日の対局、水無月戦の場札を再現してみせた。
憶えているのか、彼女は――トセの記憶力に龍一郎は敬服した。
「昨日、君は《柳に小野道風》を最初に取ったよね。あれはどうして?」
「《雨四光》が好きなのもあるが……昔から取っちゃうんだよ。それも負けそうな時に」
「どうして?」
「……昔、婆ちゃんに聞いたんだ。『小野道風は人間臭い、とても身近な人だ』って。スランプでイライラしたり、他人の作品を馬鹿にしたり……その辺にいそうな人が小野道風だ……って。そんな身近な人だからこそ、困った時は庶民の俺でも、『馬鹿野郎、そうじゃねぇだろ』って、助けてくれそうな気がするんだ。それだけだよ、下らないだろう」
恥ずかしい話をしてしまった……彼はトセから顔を背け、残った茶を一気に飲み干した。
「こんな夢見がちな馬鹿だ、俺なんて。だから代打ちなんて出来ないよ……悪いけど、他を当たってくれないか――」
立ち上がり、部室から去ろうとした瞬間であった。龍一郎は背中から不意に衝撃を受け……それはトセが抱き着いて来たのだとすぐに察した。
「なっ! 何をしてんだよおい!」
「最っ高だよ君! 私、正直言ってビックリしたもんね!」
何を言っているんだこの女――龍一郎は振り返ると、目を輝かせたトセを認めた。
「私と一緒だよ、その考えも好きな役も! 怖いくらいだよ! 運命かもしれないよ、私達! 凄い凄い、本当に凄いよ! もう付き合っちゃおうか!」
「えっ、いや……えぇえぇえ!?」
もう何が何だか分からないと、彼の頭は正常かつ冷静な思考を放棄した。
このような流れで俺は初めて彼女を手に入れるのか?
この子の言う通り、確かに奇妙な運命すら感じてしまっている……余りにも唐突でラッキーじゃねぇか……!
「まあ、冗談はさておいて、だよ」
冗談なのか…………龍一郎の目が暗く淀んでいく。トセは吹けば倒れるような彼の身体をバシバシと叩き、満面の笑みで続けた。
「とりあえず、来週の月曜日、ここに来てよ! 多分誰かいるからさ!」
「まだなるとは言っていないぞ……というか月曜日、あんたはいないのか……?」
「私駄目なんだ、その日はお婆ちゃんの家に遊びに行くから! それじゃあ絶対だよ、約束したからね! それと、あんたじゃなくて、『おトセ』って呼んでね! よろしく!」
いやっほう! と、トセはご機嫌な様子で扉を開け放つと、廊下を駆けて行った。賀留多より陸上競技に向いているようだった。
「え、鍵はどうするの?」
彼女のテンションに付いて行けない龍一郎は、至極当たり前の疑問に頭を悩ませた。
間も無くチャイムが鳴り響く、理由無く残る生徒に「早く帰れよ」と促す為であった……。
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