近江龍一郎、打ち場へ

第1話:誘う女

 翌日、金曜日の事だ。


 元を正せばを、しかし諦めずに救出した近江龍一郎の下駄箱に、一通の封筒が入っていた。


 中を検めると可愛らしい文字で「放課後、購買部の前にてお待ちします」と書かれている。


 思い掛けないイベントに朝から胸を高鳴らせる龍一郎に、羽関と楢舘は首を傾げるばかりであった。


「妙に色めき立っているな、龍一郎」


「いやぁ、別にね?」


 などと答える龍一郎は、まさに色めき立っていた。




 昨日の熱戦を見届けたクラスの女子が、「素敵! 付き合って欲しいワ!」と思ったに違い無い……。




 彼は鼻歌まで歌いながら、お楽しみの放課後を心待ちにした。そして約束の時間が近付いた頃――。


「二人とも、悪いが今日は先に帰ってくれ。ちょっと図書館で読書がしたいんだ」


「読書? だったら俺も付き合うよ、俺だって本くらい読めるんだし」


 楢舘に正拳を叩き込みたくなるのを抑え、紳士的にお断りを続ける龍一郎。


「すまないな、たまには一人で過ごしたい日もあるんだ。なあ羽関」


「ああ、分かるぞ。俺も今日は妹と買い物に出掛けるんだ、母親の誕生日が近くてな……」


 素晴らしいタイミングである。「だから悪いな」と龍一郎は暇人の楢舘に頭を下げた。


「何か怪しいな……よし、やっぱり俺も一緒に――」


「生徒会に行ってくるよ。昨日、変態が覗きを働いたらしいんだ。悪人を見過ごせない質でさ……」


 果たして便に楢舘を説得し終えた龍一郎は、二人に手を振りながら購買部へと向かう。


 放課後も営業を続けている店内に入り、ブラブラと歩いて時間を潰す龍一郎は、《賀留多各種》コーナーにて見慣れない札を見付けた。


「……《うんすん賀留多》《黒札くろふだ》《小松札こまつふだ》《伊勢札いせふだ》《福徳ふくとく》……何だこりゃ。見た事も聞いた事も無いぞ」


 これも花札と同じように遊べるのか……龍一郎は次々と手に取っては、独特な紋様が描かれた札を見つめていた矢先――。


「見ぃー付けたっ」


 何者かにコツンと後頭部を小突かれた。


 振り返るとそこにいたのは、三笠戸のイカサマを看破した女子生徒――その人であった。


「手紙、読んでくれたんだよね?」


 えっ、と思わず顔を赤らめた龍一郎に、しかしトセは微笑みながら続けた。


「下駄箱の手紙だよ。あれ、私が書いたんだ」


 思い込みで――龍一郎は彼女の書く文字が何処か、大人びた達筆風なのではと考えていた為、胸ポケットにしまい込んでいた手紙を取り出し、トセの顔と筆跡とを見比べた。


「何さ、問題ある?」


 不満げな表情を浮かべるトセにかぶりを振り、店の外へ出てから手紙の意味を問うた。


「これって……その、何というかな……で、で……デートの……」


「うん、ちょっと付き合って欲しいところがあるんだよね、時間は大丈夫?」


 全く問題無い。


 即答した彼に満足した様子で、「じゃあ行こう」とズンズン歩を進めるトセ。しかしながら彼女の進む先は玄関ホールではなく、二階へ続く階段であった。


「……え、まさか生徒会に……」


「そんな訳、だよ。是非とも君に見て欲しい場所があるんだ」


 彼女に半歩遅れて追従する龍一郎は、トセの発する涼やかだが甘い匂いに誘われる蝶のようであった。


 スンスンと鼻を利かせる龍一郎に、トセは何も気付いていないようだった。


「じゃーん! 着いたよっ」


 二人は人気の無い廊下の更に奥、使われる事の無くなった空き教室の前にいた。


 まさかここで何かを……などと楢舘よろしく下卑た妄想に取り憑かれる龍一郎であったが、戸口に手を掛けようとした瞬間――人の、それもを中から感じた。


「……誰かいるのか?」


 訝しむ彼の背中を押し、トセはニッコリと笑った。


「お楽しみだから。きっと気に入ってくれると思う」


 恐る恐る戸を開けた龍一郎の眼前には……。


「こ、これって……《賭場とば》か?」


 畳が敷かれた教室には、所狭しと生徒が座り、座布団の上で花札や株札、加えて先程購買部で彼が見掛けた賀留多が並んでいる。


 三人で札を囲む者達もいれば四人、六人、八人で打っている箇所もあった。


「いらっしゃいませ、一重さん。……そちらの方はですね?」


 トセではない、艶やかな声が横から聞こえた。


 濡れ羽色の長髪をフンワリと背中に纏める女子生徒は、龍一郎の顔をジッと見つめている。


「こんにちは、彼……今日が初めてなんです。見学しても大丈夫ですか?」


「ええ、構いません。こちらにご署名、頂けます?」


 訳も分からずペンを渡された龍一郎は、とりあえずと己の名前を書類に記していく。


「……近江、龍一郎さん……はい、確かに頂きました。近江さんは、今日が全くの初めてという事でよろしいでしょうか」


 一メートル離れていてもなお、耳に囁かれているようなその声質に困惑しつつ、龍一郎は素直に「そうなんです」と大きく頷く。


「かしこまりました。……それでは私、斗路看葉奈とうじみはながこの約盆、《金花会きんかかい》についてご説明致します。ご質問があればその場で何なりと……」


「……金花会?」


 はい、金花会でございます――斗路看葉奈は笑みを浮かべて頷いた。

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