第3話:猪突猛進の一手
とうとう三笠戸は彼女の胸ぐらを掴むと、「黙りなさい」と怒鳴り散らした。しかし一重トセは涼しい顔で彼女の手を撫でると、「まあ落ち着きましょう」と笑った。
「ねぇねぇ、君。この動画を見てご覧。君の欲しかった証拠がそこにあるから」
龍一郎はスマートフォンを受け取り、羽関と共に動画を見始める。途端にバレー部員の顔色が青くなり、落ち着き無く身体を捩った。
「……どの先輩も、髪を弄ったり口に手を当てたり、何かをしているな」
羽関は龍一郎が手札を検めた時、バレー部員が不審な動きを見せている事に気付いた。
「その通りだよ。こういうサマは堂々とやれば、意外とすんなり通じるものなんだ。そもそも……こんな場でサマを使うなんて有り得ない――その良心を突いたのがミソだね」
観客は「私も見せて」とスマートフォンに殺到すると、見終えた者から三笠戸達を睨め付けた。トセは「現金な人達だ」と言わんばかりに、溜息を吐いた。
「……ぐ、偶然よそんなの! 偶然部員が髪を触ったからって――」
「嘗め腐りやがって、このクソアマぁ!」
その筋の人でも震え上がりそうな程の声質で羽関が怒鳴り、三笠戸に掴み掛かろうとした時、彼の行動を制止した男がいた。
「止めないでくれ近江! 俺はこういう奴が一番嫌いなんだ、停学でも退学でも構わん、一度痛い目を見せてやらねぇと気が済まねぇんだ!」
「いいから止めろ! 親御さんが泣くぞ、羽関!」
羽関の拳がピタリと止まる、ワナワナと震える羽関であったが、果たして暴力沙汰は回避されたようだった。
その場でへたり込んだ三笠戸は、イカサマがバレたショックと男の怒りに触れた事で、上手く立ち上がれないようだった。
「一重……トセさん、だったな。ありがとう、君のお陰で流れが戻った」
流れ? と小首を傾げるトセに、龍一郎は丁寧に一礼してから――部員の手を借りてようやく立ち上がった三笠戸に言った。
「三笠戸さん、文数も月もこのままで良いです。続行しましょう」
「なっ……近江、お前本気で言っているのか!?」
「本気だよ。この人達が言うように、本当に偶然かもしれない。それに……イカサマだとして、その証拠を掴めなかった俺が悪い」
三笠戸さん――龍一郎の呼び掛けにビクリと肩を震わせる三笠戸。
「残りの水無月……本当の差しでやりましょう。折角揉め事解決の手段があるんだ、正々堂々と行きませんか?」
この瞬間――初めて龍一郎は笑った。
最終局、水無月戦。
三笠戸は三七文、龍一郎は一文のまま、最後の「
今、龍一郎達を囲む者はいない。バレー部員は廊下の外に出され、観客は二人から二メートル程離れて勝負の行方を見守っていた。
松に鶴 梅に短冊 梅のカス 桜に短冊
萩に短冊 芒に月 菊に短冊 柳に小野道風
場に光札が三枚晒され、それに追随するように《赤短》の構成札が二枚……というものだが、この中で通常、取得を後回しにされやすい札が一枚ある。
《柳に小野道風》、一一月の光札だ。この札は《五光》《雨四光》のみに絡む為、どうしても優先順位が低くなりがちであった。
水無月戦の親は龍一郎、彼の手札は次のようなものである。
梅のカス 藤にカス 牡丹に蝶 牡丹のカス
萩に猪 芒に雁 紅葉に短冊 柳に燕
三笠戸、トセ、羽関に至るまで、可能なら彼が取りたい札は《芒に月》《菊に短冊》だろうと思考したに違い無い(九月札を場に残せば、それだけ速攻役の《月見酒》が牙を剥いてくる可能性を高めてしまう)。しかしながら――。
「な、何故アイツは一一月の光札を……」
羽関が戸惑いながら言った。
龍一郎が一手目に打ったのは《柳に燕》、一一月上札の《柳に小野道風》取得であった。セオリーを壊す打ち方に如何なる未来が待つか、トセは目を輝かせて彼の打ち筋を見守る。
「《桜に幕》です」
龍一郎は顔色を一つとして変えず、起き札である三月の光札を《桜に短冊》へ叩き付けた。
明らかに雰囲気が違う――彼の変化を一番間近で感じている三笠戸は、逃げるように《菊に盃》を打ち、起き札として《菖蒲に短冊》を場に残す。
「不味いな……盃が取られた」
羽関の不安がる声に構わず、龍一郎は無言で《芒に雁》を八月の満月に叩き付ける。続いて起き札は《松に短冊》、僅か二手で《雨四光》を完成した。
「こいこい」
当然の流れである。
龍一郎は何としても一八文以上を獲得しなくてはならない(七文以上倍付けがここで利いてくるのだ)。
今後も続くであろう
タンまで残り二枚……徹底的に防ぐしかない――。
龍一郎の三手目。隠し持っていた《梅のカス》を短冊札に叩き付けた。
「赤短まで速いなぁ……彼」
嬉しげなトセの声を遠くに聞きつつ、龍一郎は山札から《桐のカス》を起こす。三笠戸は即座に《桐にカス》を出してそれを制圧、《牡丹に短冊》を起こした。
これも頂く――。
龍一郎は蝶の舞う札を場にぶつけ、三笠戸の行動を阻害する。
「あっ……」三笠戸が思わず声を上げてしまう。気にせず龍一郎は札を起こし、《紅葉に鹿》を場に晒す。
「……どうしてここで無いのよっ」
取れる札も無く、三笠戸は悪態を吐きながら《藤に郭公》を座布団に打ち付けた。
「困った時の藤打ち」などと言われる逃げ手であったが、果たして功を奏したらしく、山札から《藤に短冊》を起こせたのだ。
「後一枚、後一枚あれば……」
先程ならば――狼狽したはずの龍一郎が、しかし表情を一切変えない。
何かを潜った顔……トセは彼の横顔を見つめて呟いた。
「これ、貰います」
野山を駆け巡る鹿を捕らえたのは、龍一郎の《紅葉に短冊》であった。
俄に三笠戸の顔が歪む。加算役のタンが完成したのだ。続いて龍一郎は山札を捲り《芒のカス》を起こしてから「こいこい」と宣言すると、ふと自分の取り札を見やった。
残り五文取れば勝てる、しかし相手はいつ上がるか読み切る事は難しい……どうする、俺はどう動けば良い?
手札に目を移す龍一郎。一枚の札が、まるで命を持ったかのように動き出すのが見えた。
七月の山を猛進する獣、猪が「私を出せ」と地面を後ろに蹴っている。
取られれば負ける確率がグンと上がる……しかし……。
三笠戸は蓄えていた《桐にカス》を吐き出すと、幸か不幸か起き札に《桐に鳳凰》が現れ、水無月初めての光札獲得と相成った。
龍一郎の手番が来た。
手の中で鼻息を荒げる猪を見据え、彼は目を閉じ――高鳴る鼓動もそのままに場へと解き放つ、この瞬間――猛獣は三笠戸を目掛けて突進を開始したのだ。
「ここで猪……」
トセが身を乗り出して場を見つめた。
恐らく……こいつを取れなければ、俺は敗北するだろう。でも……何故だ、不思議だ、怖いくらいだ。負ける未来が全く見えない――!
積まれた山に手を伸ばし、一番上でその時を待つ札を取る。
一同が息を呑んで札の表を待望した。
友に今一度、再起の機会を与えるべく――近江龍一郎は、「猪武者」と姿を変え、三笠戸という牙城を粉砕したのだ。
「あっ……あぁ……」
「《萩のカス》、猪鹿蝶です。加えて雨四光、赤短、タネ一文、タン一文……三笠戸さん」
楢舘の身柄は貰いました。
彼が静かな勝ち鬨を上げると同時に、羽関が、そして楢舘が彼に抱き着いて勝利を喜んだ。
「龍一郎、龍一郎……! ありがとう、本当にありがとうな……!」
「凄いよ、お前! 近江……花札凄く強いんだな!」
観客は大いに盛り上がり、やがては割れんばかりの拍手が三人の男を包んだ。
トセはそのまま三笠戸の方へ歩いて行くと、彼女に「逃げた方が良いですよ? 来ますよ、あの人達」と耳打ちした。
三笠戸と部員達は、酷く慌てた様子で走り去って行った……。
「さてと、明日は華の金曜日だし……楽しみだね――近江君」
楢舘に抱き着かれる龍一郎を横目に、トセは実に楽しそうな顔で教室を後にした。
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