第2話:季節外れのサクラが咲いて

「そうね……ここは一つ、度胸が必要ね」


 軽やかな音を立てて《梅に短冊》を場に晒す三笠戸。


 完成間近の《赤短》が潰されるリスクに動じず、彼女はフラつく吊り橋を渡ったのだ。龍一郎は三笠戸を見やる、多少の焦りも感じさせない彼女は、またしても龍一郎の手札を暴いたかの如き笑みを湛えている。


「さて、起き札が重要ね?」


 ジワジワと舐るような手付きで山札を捲る三笠戸は、先に自分だけで確認し……クスクスと笑いながら《梅に短冊》へと叩き付けた。


「運が良いのね、私ったら!」


 起こした札は《梅に鶯》――三笠戸は赤短を完成させ、即座に勝負へと持ち込んだ。


 本来の役代六文に加え、《こいこい返し倍付け》を加算し……占めてを三笠戸は獲得、四月戦はこれにて終了となった。


「えーっと……私は三六文、貴方は……一文か。差は三五文、残り二ヶ月で取り返せるのかしら……?」


 三笠戸はチラリと楢舘を見やる。


 すぐにでも彼を断罪したくて堪らない――とでも言いたげに舌舐めずりしている。その様子を見て……羽関は「あの」と三笠戸に声を掛けた。


「お願いします、自分達が身の程知らずでした! どうか……どうか楢舘を許してやってくれませんか! お願いしますっ!」


 厳つい相貌の男が深々と頭を下げる様子に、観客は勿論の事、幾分か三笠戸達も驚いたようだった。


 しかしながら三笠戸はかぶりを振り、龍一郎を指差した。


「悪いけど……今はこの子とをしているの。貴方の気持ちはよく分かった、でもね、どうにもその子は……勝負を続けたいみたいだけど?」


 一同の視線が龍一郎に集まった。四方から刺さるような眼光に加え、またしてもヒソヒソと節介事を話す者もいた。


「近江、もう充分やってくれたよ。頼む、一緒に謝ってくれないか……楢舘の為にも……」


 羽関が龍一郎の肩を叩く。ゴツゴツとした岩のような手も、今は怯えに負けて震えているようだった。


 そのやり取りを見つめるバレー部員は、未だにニヤニヤと薄ら笑いを浮かべ、「その方が良いよ」と要らぬ世話を焼く。


「なあ、近江――」


 羽関は目を見開いた。龍一郎が彼の手を肩から叩き落としたのである。そして――近江龍一郎は札を混ぜ合わせ、三笠戸に手渡した。


。撒き……お願いします」


 勝てる訳が無い、諦めの悪い男、格好良くない男……。


 口々に彼を龍一郎を罵る観客はしかし、三笠戸の配る札を見つめて熱気を取り戻した。


 一方的な虐殺――得てして人間はこの「ショー」を嫌悪し、だが楽しむ性質を持っている。


「待っていなさい、変態。すぐにお友達を負かして、生徒会に連れて行ってあげる」


 げんなりとした様子の楢舘は、もう座布団の上の戦いを注視する事も無かった。


 そして――龍一郎の蛮勇を見つめていた一人の女子生徒は、栗色の髪を揺らして喧噪に紛れ、スマートフォンを取り出すと三笠戸の後ろに移動した。




 五月、皐月戦。


 場札に《菊に盃》と《芒に月》が露出するという、多少の心得がある者なら眉をひそめてしまう展開となった。


 龍一郎の手札にこれらを取得する手立ては無く、仕方無しに《猪鹿蝶》を狙う流れとなった。


 彼の手札に転がり込んだ猪、鹿、蝶……如何にして三笠戸に悟られる前に手中へ納めるかが鍵となった。


 うーん、と三笠戸はわざとらしく唸ってみせてから、龍一郎が起こした《萩に短冊》を即座に取り上げる。


 起き札を取る――であるこの行為に、しかし龍一郎は妙な臭さを覚えた。《猪鹿蝶》に絡む九枚の札が、殆ど姿を見せないのに加え、決して三笠戸は手札から出そうとしなかった。


「タンも安手だけど、使い勝手が良い役なのよね」


 次々と短冊札を攫っていく三笠戸は、時折龍一郎の方を見やっては微笑んだ。

 単なる警戒か、それとも無いだけか……違う、この女――あぁ、そうだったのか……。


「出来たわ! タン一文! これで終わるわね?」


 観客が響めき立つ。両者の差はこれで三六文、通常なら戦意を喪失する程の負け額に、龍一郎はある種の「悔しさ」を覚えていた。




 証拠も無いのに、それでも俺は感じている。この女は――




 嵌められた――龍一郎は全身の血液が煮え立つような感覚に陥った。


 勝負を始めた時から、既に三笠戸は楢舘を連行すると決めており、当たり前のように俺を撃破出来ると踏んでいた。


 悔しい、腹立たしい……何としても勝ちたい……けれども、もう後ろのバレー部を散らしても無駄か……。


 ――声に出さず、三笠戸がそう言ったような気がした。龍一郎は大きく息を吸い込み、最後の撒きを始めようとした刹那……。




 彼の腕を横から掴む者がいた。




「な、何だ――」


 知った顔だった。購買部で《八八花》を買うよう勧めてくれた生徒、後ろ姿に揺れる髪が印象的だった少女がすぐ傍にいたのだ。


「やる事無いよ、こんな


 勝負を中断しただけではなく、「茶番」と蔑んだ飛び入りを見過ごす程、三笠戸は温厚な女ではなかった。


「ちょっと、邪魔しないで貰える! それに何よその言い草、私達は正々堂々と――」


 正々堂々? 謎の生徒はそう言い返してからクスクスと笑った。突然現れた異質な女に、羽関や観客は戸惑いを隠せない様子だった。


「あんた……購買部で会った人か?」


 確かにそうだ、と羽関が懐かしむように頷いた。


「うん、やっぱり同じ新入生だったんだね。また会えたねっ。……それよりも、先輩方、今は何回戦目ですか?」


「六ヶ月戦目、水無月よ。見ていなかったの?」


 なるほどなるほど、と彼女は微笑み、龍一郎の後ろに立つバレー部員を見やった。


「水無月……でしたら先輩方、


「……何を言っているの? もしかして私達を疑っているの?」


 この子、俺と同じように《通し》を予感しているんだ――龍一郎は悟った。


「疑う? 先輩方、何か後ろめたい事でもしているのですか?」


 観客がざわつき始め、それを嫌うように三笠戸は舌打ちをして立ち上がった。


「……っ、ちょっと、年下だからって容赦はしないわよ!? 煙に巻いたような嫌らしい発言、どう責任を取って貰えるの? 一年生」


 私にも名前はありますよ……クスクスと笑み、少女は名乗った。


「私は一重ひとえトセといいます。お見知り置きを、

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