近江龍一郎、立ち上がらん

第1話:札問いの場へ

 龍一郎と三笠戸は今、机に載せられた座布団を挟んで座っていた。二人を取り囲むようにバレー部員が立ち、その傍ではクラスメイトが、そして輪の外では羽関が楢舘を説教していた。




《こいこい》による紛争解決――そんな事が有り得るのか、この学校は……?




 往々にして、学校毎で育まれる事のある独自文化……龍一郎は花ヶ岡に息づく不可思議なそれを、未だ信じ切れずにいた。


「……さっきもそうだけど、呼ばなくて良いの? あの人達」


 部員の一人が三笠戸に耳打ちをするも、しかし彼女は「バレやしないし、すぐに終わるわ」と笑った。意味深な会話を耳にした龍一郎だが、今は座布団を見つめるだけだった。


「さて、こっちは部活もある事だし……《半ドン》、所謂六ヶ月戦でお願いするわ」


「はい、それで大丈夫です。……俺が勝てば、本当に楢舘を許して貰えるんですね」


「勿論。さぁ、引きなさい」三笠戸が山札を指差す。


 こいこいでは一枚ずつ札を引き、として打ち始める。果たして三笠戸が親となった。


 三笠戸は素早い手付きで札を切り始める。チャッチャッという小気味良い音が響き、俄に観客から歓声が上がった。往々にして素人は手を滑らし、札をその場に撒き散らす事が多い。


「《望む》のかしら?」


 札を二組に取り分け、上下を入れ替える行為……これを《札を望む》と言う。龍一郎は頷きながら山札を望んだ。


 続いて三笠戸は手際良く手札として八枚、場札として八枚を撒いていく。今ここに――準備は全て整った。


「初手は気持ちが良いわね、いつでも」


 一月、睦月戦……場札は次のようなものであった。




  松に短冊 桜に幕 桜のカス 藤のカス

  菖蒲に八橋 萩に猪 柳に小野道風 桐に鳳凰




 光札(二〇点札)が三枚現れただけではなく、その内には《桜に幕》が混在している……という様相である。《桜に幕》は《三光》《花見酒》といった速攻役に絡む危険な札である為、如何にこれを手中に収めるか……がポイントとなってくる。


「まずは……これね」


 三月の光札にパシンと叩き付けられた札は《桜に短冊》、タンは勿論、赤短に絡む重要な札である。三笠戸は山札から《菖蒲に短冊》を起こし、一度目の手番を終了した。


 大きく息を吸い込み、龍一郎は《柳に燕》を一一月の光札に叩き付け、山札から一枚を場札に出す。


 龍一郎の眉がひそめられた。


 最悪のタイミングで《菊に盃》を起き札にしてしまったのだ。思わず彼は三笠戸の取り札を見やる、《桜に幕》が笑ったようだった。


「ご馳走様、ね?」


 しなるような手で三笠戸は《菊に盃》へ《菊のカス》を打ち付ける。「わぁ」と歓声が上がった。


「《花見酒》は五文、これで勝負とするわ」


 をしないのか――龍一郎は札を混ぜる三笠戸を見つめて思った。七文以上倍付けを使わずとも、容易く倒せる……と声に出さず言われたようだった。


「まずは五文……堅実な女なのよ、私」


 不届き者を説教し終えた羽関は、「俺も手伝う」と採点役を買って出た。三笠戸五文、近江〇文……手痛い出だしだった。


「次は札撒きお願いね」


 大丈夫、まだ五ヶ月残っているさ――龍一郎はゆっくりと札を切り、座布団の上に札を撒いていく。二人を取り囲むバレー部員が、クスクスと笑った。




「三笠戸先輩、二四文。……近江、一文」


 羽関の暗い声が横から聞こえ、龍一郎は歯噛みしながら札を撒いていた。三ヶ月が終了したにも関わらず、彼の上がり役はタネ一文のみであった。


「近江君……強くないのに勝負するんだね」


 ヒソヒソと囁くクラスメイトがうるさかった。


 大勢の前で花札を打つ事の無かった彼にとって、は非常にやりにくかったのだ。


 フフン、と笑ってみせる三笠戸。


 札を撒きながら龍一郎は……ある疑惑を覚えていた。


 相手が作ろうとする役は大体読む事が出来るものだが、しかし三笠戸は、次々と場札を荒らしていく。


 これが花ヶ岡のレベルか――彼は項垂れる楢舘を一瞥する。




 俺が勝たなければ、楢舘の席は明日から消える……。




 確かに、花ヶ岡高校にとってそれは良い事かもしれなかった。


 だが龍一郎は発奮する、それでも楢舘は友人なのだ。この戦いは友人の未来を賭けて行われる闘争だ――。


「始めます」


 手札を扇状に開き、場札と照らし合わせて作戦を練る。残り二三文以上を如何に獲得するか、龍一郎のビジョンはゆっくりと形を浮かび上がらせた。




  松に短冊 桜に幕 菖蒲のカス 牡丹に短冊 

  芒に月 菊に盃 紅葉に鹿 紅葉に短冊




「怖い場札、私も気を付けなくちゃ」


 三笠戸がジッと龍一郎の方を見つめる。その視線は彼の思考を読み取るようなものであり、龍一郎は努めて気にせず《芒に月》を、そして――運良く起き札で《菊に盃》を勝ち取った。


「こいこいっ」


 おぉ、と観客が色めき立つ。


 黙っていてくれとも言えず、龍一郎は自らに向いた流れを感じつつ、三笠戸の手番を見守る。


「強気ね、じゃあ……これ」


 またしても三笠戸は《桜に幕》を《桜に短冊》で取ると、起き札で《松に鶴》を引き当てた。


 あっという間に三光、赤短の準備が整い、三笠戸はケラケラと笑い出した。


「味方しているのよ、花札の神様が。正義はこちらだ……とね」


 ギリッと噛み締める龍一郎を心配そうに見つめる羽関、そして楢舘。


 特に楢舘はごく近い破滅に恐怖したらしく、最早生気は感じられなかった。


 その時――観客の群れに、が加わった。


 彼女は廊下から歓声を聞き付け、別のクラスである事も厭わずにやって来たのだ。


 を揺らし、背伸びをして対局を見守る彼女は、ふと龍一郎の方を見やり――やや垂れて優しげな目が鋭いものへと変化した。

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