第3話:不穏と馬鹿者

 次の日、昼休みに羽関はが作っているという弁当を食べながら、龍一郎に「赤短と青短に絡むタンの扱いを教えてくれ」と言った。


 頭に大きなハテナマークを浮かべる楢舘を放置し、龍一郎は鞄から花札を取り出して解説を始めた。


「この高校では赤短、青短にタンの役を絡める時、『五枚』という枚数に依存するらしい。赤短が揃えば三枚、そこに二枚の短冊札を加え入れてようやくタンが完成する。この時点で六足す一で七文だ」


「……では《あかよろし》の札が三枚、青短が三枚なら六足す六足す一足す一、合計一四文。更にで二八文となるのか」


「その通りだ、もう充分理解しているじゃないか」


「俺、ぜーんぜん理解出来ないわ」


 照れたように頭を掻く羽関、投げ槍な楢舘の近くで、今日も女子生徒達は花札に興じていた。


 教室の後ろに積まれた座布団は、名目上は「固い椅子に痛みを覚えた者の為」であったが、専ら花札を打つ為に使われる《場》となっていた。


「こいこいっ! 猪鹿蝶だけじゃ物足りないもん!」


「……やった! 上がり! カス一文で勝負!」


「ちょっと、狡くないそれー? もうちょっと大きく勝負しようよー」


 やいのやいのと騒ぐ女子の声に、羽関は「ふむ」と頷きながら目を閉じる。彼の頭の中には白い座布団に広がる札が動き回っているらしい。


「近江、勿論ああいうのもアリなんだろう?」


「ああ、時にはを抑えるのが重要だ。そうでないとあのように、取りっぱぐれる事もある」


 花札談義に花を咲かせる龍一郎達に、三〇分で技法習得を投げ出した楢舘は恨めしそうな視線を送った。


「……俺も、もう一回勉強しようかな」


 龍一郎と羽関は「頑張れ」「気合いだ」と口々に激励を飛ばす。


 数少ない男子として、二人も楢舘を仲間外れにしたくは無かったのだ。


 男臭くも微笑ましい光景が教室の一角に広がり、三人の友情はより強固なものへとなった。


「偉いな、お前もようやく目覚めたのか」


「いやいや? まあ……ちょっとな、フフッ」


 学習意欲を高めた楢舘は怪しく笑いながらも解説書を読み耽り、うんうんと唸りながらも花札の世界へと足を踏み入れたのである。


 そして――彼の心変わりが、やがて龍一郎を賀留多という大海に引き摺り込む事になろうとは、誰も知る由が無かった……。




 次第に太陽が橙色に染まり始める放課後、事件が起きたのはこの頃だった。


 今日も喫茶店で花札を打とうと羽関に誘われた龍一郎は、楢舘も誘おうと教室を見渡す。


 しかし何処にも姿は無い、掃除当番でも日直でもない彼は一体何処へ消えたのか?


 廊下にいるのかと引き戸を開けようとした瞬間、龍一郎よりも早く何者かが大きな音を立てて戸を開けた。行方を眩ませていた楢舘その人であった。


「た、助けてくれ龍一郎!」


 ゼエゼエと息を切らしながら教室に飛び込んで来た楢舘。他の女子達も何事かと目を丸くしていた。


「何が一体どうしたってんだ」


「お、俺……花札で……入れて欲しくて……」


 支離滅裂な説明に首を捻った龍一郎だが、やがて遠くから「いた!」という声が響いた。


「見付けたわよこの変態!」


「ひ、ひええぇ!」


 お助けを! などと時代劇の小悪党じみた声を上げる楢舘は、バレーボールのユニフォームを纏う女子達に取り押さえられた。


 心無しか悦楽に満ちた表情を浮かべる彼に、龍一郎は訳も分からず「そういうプレイか」と問い質す。


「違う、違うんだって! 俺、どうしてもバレー部のマネージャーやりたくて……でも駄目って言われて……だから花札で勝ったら入れてくれって頼んだんだよう!」


 あの話、本気だったのか……龍一郎は情けないやら同じ男として恥ずかしいやらで思わず目を逸らしてしまう。


「黙りなさい変態! 技法も理解していないのに勝負だなんて、頭おかしいの? 挙げ句の果てに着替えまで覗いていたでしょうが!」


 猛り狂った彼女曰く(二年生の三笠戸みかさどと名乗った)、楢舘は付け焼き刃の技法知識でバレー部の部長に、マネージャー採用を賭けた《こいこい勝負》を挑むも、面倒を理由に部長は三笠戸に勝負を委ねた。


 光札を三枚しか取っていないのに「五光!」と叫んでみたり、ただの短冊札で「赤短!」と宣ってみたりと、滅茶苦茶な勝負を披露した。


 果たしてボコボコに輪を掛けてボコボコになった楢舘は、追い返された仕返しか、更衣室をチラリと覗いた……という顛末であった。


「この度は変態がご迷惑をお掛けしました。どうぞ煮るなり焼くなり刻むなりご自由に」


「あら、話の分かる一年生ね。さあ皆、に連れて行きましょう」


「ひいぃいぃい! 生徒会は、生徒会だけはご勘弁願いますぅぅう!」


 悲鳴を上げつつも引き摺られるその姿は、やはり何処か嬉しげなものであった。龍一郎は羽関に生徒会について問うてみた。


「生徒会はそこまでヤバいのか?」


「花ヶ岡は校風として『自治精神』があるだろう。殆どの問題は生徒会で解決するらしい。あの男の罪状は覗きだ。立派な軽犯罪法二三条違反だから……最低でも停学は免れまい」


 一六歳にして下劣な犯罪者になってしまった楢舘は、しかしながら……龍一郎の幼馴染みであった。一応。


 一〇割彼に非があれども、それでも黙って見捨てられる程龍一郎は賢く、また愚かではなかった。


「全く面倒な奴だな……あの、三笠戸さん!」


 ポニーテールを揺らしながらクルリと振り返る三笠戸先輩。楢舘の背中を踏み付けながら龍一郎の元へ歩み寄った(おうっ! と嬌声を上げた楢舘は実に気色が悪かった)。


「どうしたのよ」


「その……申し訳無いんですけど、やっぱり今回は許してやって貰えませんか。反省しているようですし、まだ入学したばかりなんです、俺達……」


「そうはいかないわ。あの変態の蛮行を許してしまえば、一度、二度と繰り返すに違い無いもの。見てみなさい、悲壮感に溢れる男はあんなにと息を切らすの?」


 楢舘を見やる龍一郎。バレー部員達に踏まれるその顔は何処か蒸気したものであった。


「……あれは風邪ですね、インフルエンザHヘンタイ型です。とにかく、非はアイツにありますが……お願いします、許してやってください」


 自分からもお願いします、と羽関は低い声で頭を下げる。変態の為に頭を下げられる男は、果たして日本国に何人いるだろうか?


 龍一郎は彼の侠気にいたく感動した。


「うーん……まぁ、私達としても面倒なのは勘弁だし……じゃあ……貴方、この、知っているかしら」


 三笠戸の言葉に呼応して、一人の部員が小箱を彼女に手渡した。


「伝統……ですか?」


「そうよ、素晴らしい伝統……知らないなら教えてあげる。この高校ではね、なかなか決着しない揉め事を、あるによって解決出来るの。憶えておくと良いわ」


 三笠戸はニヤリと笑った。


「その闘技は《こいこい》……貴方、出来るでしょう? そこの変態を賭けて――勝負よ」

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