第2話:栗色の彼女

 花ヶ岡名物。それは敷地内にドンと構える、実に大きな購買部だった。


 小腹を満たす菓子パンから種々のドリンク類、雑誌、女性用小物がズラリと並び、この購買部を目当てに入学する豪の者もいる程であった。


 揃わぬものは、試験の解答だけ――古くから伝わる花ヶ岡の格言であった。


ですか? あちらのコーナーです」


 ニッコリと笑う高学年の女子に促され(自立精神を育む、という名目で店員も生徒が担当していた)、龍一郎達は一際大きく《賀留多各種》と書かれた一角へと進む。


「……どれだ?」


 楢舘が所狭しと並ぶ小箱を取り上げ、唸り声を上げる。


 男三人であれでもない、これでもないと首を捻っていると、一人の女子生徒が龍一郎の隣に立った。


「ごめんね、ちょっといいかな」


 その女子は迷う事も無く《八八花》と書かれた小箱を二つ手に取った。


「何故、二つ買うんだこの子は」


 低い声で龍一郎に耳打ちする羽関。


「一つでは駄目なのか」


「それは……何でだろうな?」


 話し声が聞こえたらしい。その女子は振り返り、笑った。


「これ? 単に速度を上げるだけだよ」


 打つ、という表現に龍一郎は何故か「ただ者ではないな、この女」と理由無く悟った。


「お困りのようだね。何か探している?」


 ニコリと笑う彼女に、思わず心臓が高鳴った龍一郎は努めて冷静に「《こいこい》をしようと思ったんだ」と、視線を外して答えた。


「だったらこれだね。はい、どうぞ」


 彼女は持っていた二つの小箱を龍一郎に手渡し、もう一組売り場から取るとレジに向かった。


「技法は、レジ前で解説書を貰えるみたいだから。参考にすると良いよ」


 振り返って補足した女子生徒は、「じゃあね」と手を振って去って行った。フワフワと揺れる、栗色でセミロングの髪に、龍一郎はボウッと見とれていた。優しげな双眼、可愛らしい鼻、口元……。


「おい、近江。大丈夫か」


 羽関が龍一郎の肩を叩く。すぐにでも遊びたいらしく、レジの方へ足が向いていた。


「あの子……何か良い匂いするな、そして可愛い……フフッ」


 嫌らしい声で楢舘が笑う。いつもなら「馬鹿か」と罵る龍一郎であったが――今だけは、彼に同意の握手を求めたかった。


「いや、何でも無い。早速やろうぜ」


 龍一郎は二人を連れてレジへ向かうと、謎の女子から受け取った花札を購入した。


「こちら、です。ありがとうございました」


 タイミング良く、もしくは悪く昼休み終了を告げるチャイムが鳴った。三人は放課後に喫茶店へ行く事を約束し、五時間目の準備に取り掛かった。




「駄目だ、俺。才能の一欠片も無いよ」


 楢舘が溜息交じりに項垂れる。一方の羽関は一月から一二月の札を並べ始めた。

 高校近くの喫茶店、その最奥のテーブルで龍一郎達は《こいこい》に興じていた。


 手札から任意の札を一枚出し、場札に対応する月の札があれば併せて二枚を取る、無ければ場札の仲間入り。


 次に山札から一枚引き(、と表現する)、場札に対応する月の札があればやはり併せて二枚を取る。これが基本の流れであった。


「役が憶えられない、タネとかタンとかカスとか。大体点数が何で『もん』なんだ。点じゃないのか」


 購買部で貰った技法解説書を睨み、楢舘は龍一郎に説明を乞うた。


「タネは種札五枚、タンは短冊が五枚、カスはカス札一〇枚集めれば一文。それに一枚増える毎に一文追加、それだけだ。得点の呼び方は諦めろ、伝統的な遊びなのに一ポイントとかじゃ雰囲気が出ないだろう」


「一月が松……二月が梅……三月が桜……四月が藤……五月が菖蒲……六月が牡丹……七月が萩……八月が芒……九月が菊……一〇月が紅葉……一一月が柳で一二月が桐……おいおい、これ七月と一緒じゃないのか? 雑草かよこれ」


 初めて花札に触れた者から出る文句を、次々と並べていく楢舘。


「四月は藤、七月は萩だ。色が違う、よく見ろ馬鹿者」


 羽関が四月の札と七月の札を指差し、不満を漏らす楢舘に解説を始めた。楢舘の子守から解放された龍一郎は、今の内に解説書――特に役代の表――を読み込む事とした。土地土地によって出来役の文数が違う、という現象は往々にしてあるからだ。


「『花ヶ岡高校内においての役代』……これぐらい厳密に取り決めた方が、後々いざこざも無いだろうな……」


 花ヶ岡高校では次のような役代となっていた。




五光……一〇文 四光……八文 雨四光……七文 三光……六文 赤短……六文 青短……六文 月見酒……五文 花見酒……五文 猪鹿蝶……五文 タネ……一文タン……一文 カス……一文


(タネ、タン、カスは一枚増える毎に一文加算)

なお、《こいこい返し倍付け》《七文以上倍付け》を認める。




「勉強以外にこれも憶えろなんて、やっぱり花ヶ岡おかしいだろ」


「いや、別に高校は憶えろなんて言ってねぇよ。というかこれぐらい憶えろよ。麻雀より少なくて良いだろう」


 プシューとポンコツの機械が故障するような音が、憶えられぬと嘆く楢舘から聞こえるようだった。グラビアアイドルのスリーサイズなら三秒で記憶する楢舘にとって、こいこいの出来役は無味乾燥に思えたのであろう。


「近江、相手をしてくれないか。通してやってみたい」


 傍らのチョコパフェを移動させた羽関は、龍一郎と自分の方へ札を配り始めた。


「手札が八枚……場札も八枚……だったよな」


「あぁ、合っているよ。やった事あるのか? 習得が早いじゃないか」


「昔に少し、な……。じゃあ、よろしく頼むよ近江」


 かくして龍一郎は羽関とテーブルを囲み、久方ぶりのこいこいを打ち始める。今は亡き祖母と座布団を囲んだ記憶を、彼はふと思い出したのである――。

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