迷い人の戯れ

茅田真尋

1

 名光綾(なこうあや)が失踪した。

その報せを聞いたとき、私は自分の気持ちがよく分からなかった。

驚くことのような気もするし、取り立てて騒ぐようなことでもない気もした。知り合いの子が行方不明。それは十分にショッキングなのだけれど、綾なら、前触れもなく姿を消しても不思議はない。そんな気もした。

綾は、私が通う小学校の同級生だった。特定の友人を持たずに、いつも適当なグループに入り混じっては、場をかき乱している。そんな不思議な子。傍から見ていても、正直何を考えているのかよくわからなかった。

だけど私にとって、あの子は友達、なのかもしれない。

決まった友人を持たない綾を不思議な子だと言ったが、私だって他人のことを言えたものではない。だって、私にも特に仲の良い友達はいないのだから。綾とは違って、適当な集団にまじろうともしない。学校では、いつも周囲の喚声を遮断して読書にふけっている。

人付き合いが嫌いなわけではない。だけど、無理に交流する必要も感じられないのだ。だから、クラスメートとは、最低限の会話を交わす程度である。そんな私の態度は相手にもよく伝わっているのであろう。積極的に話しかけてくるような子も皆無であった。

だけど、綾だけは例外であった。複数のグループをのらりくらりと巡回する綾は、一週間に一度くらいの割合で私の元にやって来る。

関わり始めたきっかけはもう覚えていない。あの子は名光、私は芳崎(ほうざき)だから席が近いということもないのに。それは本当に些細なことだったのだろう。

綾がやってくるのは、決まっていつも夕方だった。下校時間。ちょうど夕暮れのチャイムが鳴るころである。校門を出たところで私を待っているのだ。

一緒に下校した翌日は、一日中私のそばを離れない。私が本を読んでいると、突然とりとめもない話題を振ってきたりした。無理に交流の幅を広げる必要はない。そうは思うけれど、無理に相手を無視する必要もないので、私はいつも適当に話を合わせていた。

そして、その日の下校時間が訪れると、綾は別のグループの元へ渡っていくのだ。

低い頻度でも恒常的に交流のある綾は、気が付くと最も距離の近いクラスメートとなっていた。友達かもしれない、と言ったのはそういうことである。

八月の昼下がり。喧しい蝉の鳴き声にまじって、市役所の放送が聞こえてくる。迷い人のお報せ。もうこれで四日目だ。綾の失踪を知ったのは三日前のことであった。

私は机を離れ、自室の窓を閉めた。途端に室内に静寂が満ちる。この家にいるのは私一人だ。両親は共働きである。

夏休みに入ってから、行方不明の件数が微かに増えたような気がしていた。それも、行方不明者は私と同い年くらいの、十一、二歳の子供が多かった。こういった放送の対象となるのは大抵お年寄りだから、少し心にひっかかっていたのだろう。もちろん、行方不明者の年齢も、私の記憶に一役買っていたに違いない。

――だけど。

今回の行方不明者は自分の知り合いだなんて。やっぱり、現実味がない。

けれど綾なら、知らぬ間にひょっこりと戻って来るのではないか。そんなことも同時に思っていた。

そのとき、机のスマホが微かなバイブ音を立てた。画面を覗くと、ラインの通知が映し出されている。相手は既にわかっているような気がした。


『てまりちゃん、おもしろい物を見つけたのー。はやくきてきて』


 案の定、綾からだった。巷では行方不明者扱いだというのに、呑気なものである。

だけど、綾とはこういう子なのだ。私は妙に納得してしまった。

一分ほど待つと、待ち合わせ場所の情報が送られてきた。

私は妙な違和感を覚えた。なぜなら指定されたのは、隣町の公園であったからだ。何度か行ったことのある場所ではある。だけど、綾はこんな所で何をしているのだろう。

私は少しだけ胸騒ぎがした。



 公園のベンチにちょこんと座る綾は、呆けた顔で虚空をぼうっと見つめていた。無関係な通行人から見れば、不審なことこの上ないだろう。だけど、綾は普段からこんなものだ。

私の姿を認めた綾は、ぴょんと跳ねるように立ち上がり、とことこと足早に駆けてきた。

「やっと来たねー。てまりちゃん。遅かったじゃない」

 呆けた表情を崩さずに、綾は形だけ頬を膨らませてみせた。奇妙な仕草だが、特に他意はないのだと思う。

「ねぇ、それよりお家に帰らなくていいの? 名光さん、捜索願い、出されてるんだよ」

 一応、身を案じるようなことを言っておく。だけど、たぶん聞く耳なんて持っていない。興味もないのだと思う。

「気にすることないよー。ささっ、早く行こう」

予想通りの返答をして、綾は軽やかに舞うように歩き出す。

気分が良いのか、そのうち綾は妙な節回しの歌を歌いだした。厭に甘ったるい声である。綾のお気に入りの童唄。学校でもたまに口ずさんでは、周りに少し気味悪がられている。

本当にマイペースな子だ。改めてそう思う。捜索願を出すほどだ。両親だって大分気をもんでいるだろうに。

だけど、私にそれを咎める筋合いもないだろうし、その必要もないだろう。こうして安否は確認できているのだ。綾が満足するまで遊んであげて、その後、連れ帰ればよいのである。

 綾はひらひらと歩を進め、するすると細い路地を抜けていく。その後ろ姿はどこか浮世離れしている。

このあたりの土地は古めかしい住宅が目立つ。長年の風雨に晒され、木造の建物は真っ黒く朽ち果てていた。

こんなボロボロの家にも住民はいるのだろうか。そんなことをふと思った。だって、住む人がいないのなら、こんなボロ屋が大量に残されるものだろうか。もしそうなら、妙な話である。早い所、全て取り壊して新しい家を建てればいいと思う。

いや。そうではないのかもしれない。最近は、所有者不明の家や土地が増えているらしいのだ。相続の手続きをきちんと行わなかったがために、正式な所有者が記録されていないのだそうだ。だけど、所有者が特定されないだけで、相続の権利を持つものは無数に存在してしまっているらしい。あまりの数に、一人一人確認をとるすべもない。だが、彼らに無断で建物を取り壊すことは、行政にもできないそうである。

そんなようなことが、以前テレビ番組で取り上げられていたような記憶がある。もしかしたら、この地域も事情は同じなのかもしれない。

「ここだよー。てまりちゃん」

 前を行く綾が、くるりとこちらを振り返る。大仰な仕草で、件の目的地を私に示した。

 大きな家だった。

瓦葺の屋根を有した三階建ての日本家屋。周囲の建物と同様にかなり古い物らしく、家の外壁には縦横無尽に罅(ひび)が走っている。だが、家の敷地は高い石塀にぐるりと囲まれており、その全容は一目で確認できない。

綾も酔狂なものに興味を示したものである。こんなもの、ただの廃墟だ。どこも面白くはない。

「早く入ろう。みんな待ってるよー」

 綾はすでに敷地内に侵入し、家の引き戸に手をかけている。変なことを言う。誰が待っているというのか。

「待って、名光さん。みんなって?」

 当然の疑問に、綾はくすくすと笑って答える。

「おともだち。こないだ知り合ったんだ」

「ここに住んでるの?」

「うん。早く、てまりちゃんにも紹介したくて。きっとすぐに仲良くなれるよ」

 綾はガラリと戸を開いた。戸口の隙間から、薄暗い玄関が顔を覗かせる。

なんだか、少し怖くなってきた。

「ごめん、名光さん。せっかくだけど、私やっぱり帰ろうかな。残念だけど、今日はゆっくり遊んでる時間はないの」

 遠慮がちに私は申し出る。綾のことだ。たぶんこれで素直に引き下がってくれると思う。

 だけど。

「えー」

 綾は非難の声を上げた。抑揚がなく、ひどく棒読みではあったのだが。

「それは困るよー。もうみんなにてまりちゃんが来るって言っちゃったよ?」

「うん……。ほんとにごめんね」

 私はどうにかこの場をやり過ごそうとする。だけど、綾は私を逃しはしなかった。とてとてと駆け寄ってきて、私の手をきゅっとつかんだ。

「お願い、てまりちゃん。私もみんなもすごく楽しみにしてたの……」

 甘えるような目で私を見つめる綾。意外なこともあるものだ。綾は基本的に自由人である。一つのことに執着することはないと思っていたのだが。

 それだけ彼女には大切な用事なのだろうか。事情はよく分からない。

だけど、ここは複数の集団を練り歩いていた綾がやっと見つけた居場所なのかもしれなかった。本心ではこの子も普通の友達が欲しかったのかもしれない。

そう思うと、このまま突っぱねてしまうのは、いささか可哀想な気もしてきた。

「……分かった。一時間くらいならいいよ」

 それでも、恐怖心が払拭されたわけでもないので、時間に制限をかけておいた。だけど、綾はそれでもかまわないようだった。

「ありがとー。てまりちゃん。さぁ、早く入ろう」

 綾はふらりと身をひるがえし、覚束ない足取りで家の敷居をまたぐ。寝ぼけているような、酔っているような、奇妙な動作だった。さすがに異様な雰囲気だとは思う。でも、相手は不思議ちゃんの綾だ。気にするだけ損。そんな気もした。

 戸口をくぐると、奥へ続く廊下と二階へ上がる階段があった。綾は靴も脱がずに上がり込み、廊下をまっすぐに進んでいく。そんな綾の行動に、私は一瞬戸惑いを覚える。だけど、足元に目線を落として納得した。

 木製の床は足の踏み場もないくらいに汚れていた。この上を靴下や裸足で歩くことのほうがよっぽどためらわれた。

 そして、私は同時に確信した。

 やはり、この家は空き家だ。住民などは一人もいない。さっき綾は友達が住んでいると言ったけれど、それはおそらく綾の言い間違いだろう。

 ここは近所の子供たちの遊び場。いわば、秘密基地のようなものなのではないか。

ふとした機会に、綾はその仲間に入れてもらったのだろう。そして、今日は同級生の私を紹介する約束になっている。そんなところなのではないだろうか。

廊下の先は居間に続いていた。玄関と同じくひどく暗い。ガラス戸が設けられているが、高い石塀にさえぎられて、満足に陽光が取り入れられないのだろう。

ガラス戸の向こうには荒れ放題の庭が見える。草木が生い茂り、隅に立つ納屋は丸ごと植物に飲み込まれそうになっている。

古風な木目のちゃぶ台にはみっしりと埃が積もり、部屋のどこもかしこも廃墟然としていた。生活の痕跡は見られない。

人の手が入っていないことは明らかだ。確かにここなら、大人に干渉されずに好き放題遊べそうである。

――だけど。

「名光さん。お友達はどこにいるの?」

 人の気配が感じられない。空き家なら当然だが、さっき綾は、みんな待ってる、と言っていた。なら、その肝心の友達はどこなのだろう。

「もー、てまりちゃんのせっかち。みんなはそっちだよー?」

 綾はケタケタと笑って、居間の隅の襖を指さした。襖の紙は所々破けていて、格子状の骨格が露出している。格子の隙間から中を覗いてみるが、内部は暗く何も見えなかった。

 声をかけることもなく、綾は襖を無造作に開け放った。

 居間の微かな明かりが漏れ出し、襖の奥をにわかに照らす。

 襖の向こうは仏間であった。奥の壁に接して、小さな仏壇が鎮座している。

 こちらも相当に古い。活けられた草花はとうの昔に枯れ果て、萎びた茎を残すのみとなっている。仏像も位牌も長い時間をかけてくすみ、何とも言えぬ不気味な雰囲気をかもしている。

 そして、やはり人の姿はなかった。

 綾が仏間に足を踏み入れ、くるりと私を振り返る。ちょうど綾の身体が仏壇を隠す形となった。

「名光さん、私をからかっているの?」

 私がきつめの口調で問い詰めても、綾は機械的な動作で首を横に振るだけであった。

「……もう、帰るね」

 だけど、一度私が踵を返すと、綾は必死な声音で呼び止めてきた。

「からかってなんかないよ!」

「それなら、あなたの友達は一体どこ――」

 仏間の綾に視線を向け、私は言葉を失った。

「……ほら、こっちを見て? みんなてまりちゃんに会いたがってるよ?」

 綾の足が。仏間の畳に沈んでいる。足首から先がない。

まるで泥田に足を取られているみたいだ。

――そして。

綾の脚と並ぶように、細長い二本の腕がにょきりと生えている。醜く筋張った双腕は、獣の前足のようにがっしりと畳を掴んでいた。まるで地の底から、何かが這いあがろうとしているみたいである。

畳の腕に力がこもる。呼応するように、綾の身体がぐいと持ち上がる。沈んでいた足首から先がぬるぬると外に抜けた。

だけど、畳から現れたのは綾の足ではなかった。

――あれは。

人の、胴体だ。頭部はどこにも見当たらない。だって首の部分からは、綾が生えているのだから。

綾と繋がれた胴体は足首の手前まで這い出て、止まった。

そして、畳から新しい二本の腕が生える。

次の胴体が現れる。

そしてまた腕が。

既に綾の頭は天井に着きそうだ。

それでも、綾の生長は止まらない。

ぬるぬると四つ目の胴体が。

にょきにょき。ぬるぬる。にょきにょき。ぬるぬる。にょきにょき。ぬるぬる。にょきにょき。にょきにょき。ぬるぬる。にょきにょき。ぬるぬる。にょきにょき。ぬるぬる。にょきにょき。にょきにょき。ぬるぬる。にょきにょき。ぬるぬる。にょきにょき。ぬるぬる。にょきにょき……。

「てまりちゃん。いっしょにあそぼー」

 遥か頭上から綾の声がした。

全身に怖気が走った。

私は玄関を目指して廊下を全力で駆けだした。

私をここへ招いたのは綾だ。だけど、仏間のあれは。あれは綾であって、すでに綾ではない何かだ。私は騙されたのだ。

とにかく逃げるしかない。

だけど、家の出口を目前にして、わたしの足はぴたりと止まった。

――いる。

引き戸の向こうに。

すりガラスを通して、あの子のシルエットが見える。

引き返すしかない。

だが居間へ戻ったところで、その先は仏間か、高い石塀に囲まれた庭しかない。綾は恐らくあの長い体躯を活かして、庭から玄関へ回り込んでいるのだ。

咄嗟の判断で、私が二階へ続く階段を上り始めるのと、綾が玄関の引き戸を開け放つのはほぼ同時だった。

「てまりちゃーん。少しの間ならいいって言ってくれたじゃない」

 戸口をくぐり、綾がぐねぐねと中へ侵入してくる。階段からは大量の背中と腕が見下ろせた。そこで私は気づいた。

 綾に連なる胴体はみな未熟で小柄だった。

恐らくあれは子供の肉体。

市役所の行方不明者放送が脳裏をよぎった。多発する子供の失踪。

――まさか。

私は必死にかぶりを振って、その気味の悪い妄想を頭から追い出した。

二階に上がった私は手近な部屋に入り、扉に鍵をかけた。すぐに窓にも向かい、錠を下ろす。

綾の身体はどこまで続いているかわからない。二階くらいの高さであれば、窓から簡単に侵入できてしまいそうな気がした。

綾が長い身体をくねらせて、私を探す気配がする。すぐにここへ来ないところを見ると、ひとまず私を見失っているようだ。

扉越しに、あの甘ったるい歌声が聞こえてくる。

私を追うことを、あの子は楽しんでいるのだ。

気分が悪くなった。

私は廊下側の壁を離れ、窓から庭を見下ろした。

綾の身体は見えない。全ての胴体が屋内に入り込んでいるようだった。

私は部屋の中央に膝を抱えて座った。

あれは姿形こそ悍ましいが、所詮は子供の肉体の集合である。施錠された扉を破るほどの力はないだろう。ここに立て籠っていれば、ひとまず安全は保障される。私はそう考えた。

だけど、いずれは敷地の外へ脱出しなくてはならない。

私は改めて窓に目を遣る。

石塀の高さと二階はちょうど同じくらいだ。飛び移ってその先の道路に降りれば――。

いや。この家の庭にはそれなりの奥行きがある。小学生の脚力では、とてもじゃないが飛び越えられないだろう。

今度は廊下に通ずる扉に視線を向ける。綾の歌声は聞こえてこない。気配も感じられなかった。見当違いの場所を探しに行ったのだろう。

辺りは不気味なほどの静寂に包まれ、耳鳴りがひどかった。

その時。

ぎしっ……。

突然の物音に私はびくりと身をすくませる。天井のあたりで家鳴りがしたのだ。古い家屋である。別段おかしなことではない。

ぎしっ……。

まただ。家鳴りではないのかもしれない。なら、鼠かなにかであろうか。

そんなことを考えていると、音は瞬く間に増幅しはじめた。

ぎし、ぎし、ぎし、ぎしぎし、ぎしぎし、ぎしぎしぎし、ぎしぎしぎしぎしぎしぎしっ!

これは鼠なんかじゃない!

反射的に立ち上がり、私は扉の鍵を開けた。

直後、背後で天井板の剥がれる音がした。

恐る恐る、私は後ろを振り向く。

天井裏から、綾の身体が室内へ垂れ下がってくるところだった。

私を見つけて、綾はにんまりと笑う。

私はすぐに扉を開け放ち、部屋から逃げた。

一階へ続く階段を急いで駆け降りる。

綾は恐らく三階の床板を外して天井裏に忍び込んだのだ。ならば、綾の身体があるのは二階と三階だ。玄関はがら空きである。

思った通り、すりガラスにあれの姿は見えない。安堵感が広がるのがよく分かった。

目いっぱいの力で、私は戸を引いた。だが、引き戸はびくともしなかった。

そんなはずはない。入る際にはすんなりと開いたはずだ。

――鍵をかけられたのか。だが、それなら中からでも開けられるはずである。

私はすぐに鍵の状態を確認した。

――そして。

先ほどまでの安堵感は鳴りを潜め、代わりに絶望感が胸の内に広がった。

――壊されている。施錠をしたまま、鍵の開閉を行う部分だけが器用に破壊されているのだ。

「……てまりちゃん、約束してくれたでしょう?」

 階上から、綾の声がした。私は冷や水を浴びせられたように背後を振り向く。

「みんなと遊んでくれるって。逃げるなんてひどいよー」

 綾がずりずりと階段を這い降りてくるところだった。その姿はまるきし大蛇のようだった。いや、個々の胴体が持つ腕が器用に段差を一段一段下りているではないか。蛇ならば足は存在しない。

――あれは蜥蜴、いや百足か。

私は居間へ続く廊下を戻るしかなかった。背後で無数の足音が鳴り響く。綾の全身が全力で私を追走しているのだ。

居間に入る。私はすぐに庭へと続くガラス戸に目を向ける。

開いている。やはり綾は庭から玄関へ回り込んでいたのだ。

――このまま敷地の外へ出られれば。

そう思った瞬間、足首がものすごい力で引っ張られた。そのまま私はうつ伏せに倒れ伏す。

「こっちだよー。てまりちゃん」

 綾と無数の胴体が私に覆いかぶさった。夥(おびただ)しい数の腕ががっしりと私の身体につかみかかる。悍ましさと恐怖に支配され、私は悲鳴を上げることすらできなかった。

綾は、私を仏間へ引きずり込む気のようだ。徐々に、徐々に私の身体はあの朽ちた襖のほうへ引き寄せられていく。

私はどうなってしまうのだろう。殺されてしまうのだろうか。喰われてしまうのだろうか。

いや、そんな生ぬるいことではないだろう。私はその答えを知っているような気がした。

私も、あの醜い化物の一部にされてしまうのだ。きっと然るべき準備が整った後、綾の首は刎ねられる。そして、代わりに私が繋がれるのだ。まるで瓶へ挿される生け花のように。

きっと、綾はこの化物から逃げきれなかったのだ。そして、私を次の贄に選んだ。

私は強く仏壇に押し付けられた。その拍子に古びた位牌や仏像が畳に散乱した。

「これでてまりちゃんもおともだちだね」

 吐息の混じった声で、綾がそっと私の耳元で囁く。総毛が立った。

 今更ながら、私は持てる限りの力であがきだした。けれど、身体に絡まる無数の腕はそんなことで解けてくれたりはしなかった。

 けれど、暴れた拍子に私は小さななにかを手につかんだ。

この感触は紙のものである。小さな箱。

それは携帯用のマッチだった。恐らく、位牌や仏像が倒れた際に一緒に落ちてきたのだろう。

これだけ古い廃墟である。すでに湿気てしまっている可能性が高い。だけど、私が助かるとすれば、もうこれしかなかった。

箱には五、六本のマッチが仕舞われていた。赤茶けた横薬に沿って、私は全ての中身を思いっきり擦り上げた。

幸い、しゅーっと軽快な音を立てて、真っ赤な炎が燃え上がった。仏間に煙の臭いが満ちる。

私はそれを思いっきり綾の腕に押し付けた。

「アアアアアアアァァァァァ!」

 奇声を上げて、綾の全身が大きくもだえた。各胴体は感覚を共有しているようで、他の腕もみなわらわらと蠢めきだし、私の身体は解放される。

 仏間を抜け出し、今度こそ私はガラス戸をくぐって庭に出る。

 このまま家の周囲をぐるりと回れば、門の前へ行けるはずだ。だが、居間は恐らく家の間取りの最奥に位置している。少なくとも二つ、建物の角を曲がる必要がある。門からはかなり離れている。だけど玄関を塞がれた以上、逃げ道は一つしかない。

私は全速力で庭を駆け抜けた。

角を一つ曲がる。背後に綾が迫る気配はない。予想以上に、マッチの火が効いたのかもしれない。少しだけ、希望が湧いてきた。

二つ目の角が迫る。ここを曲がれば出口だ。だが逸(はや)る気持ちを押さえて、私は角の前でいったん足を止めた。

またも玄関の前で、綾が待ち伏せしているような気がしたのだ。

おかしな話である。もちろん、玄関の引き戸は開けられないし、庭に出るにも、先ほどの居間から抜けるほかないだろう。先回りをする術など既にないのだ。

――だけど。

どうにも厭な予感がした。まんまと、あの子の策略に嵌められているのではないか。そんな気がしてならなかった。

恐る恐る角を覗き込む。

――誰もいない。

出口は既に目と鼻の先だ。

しかし、なにか妙な雰囲気であった。その違和感が私を先へは進ませない。

何かおかしい。

その時、前方で乾いた物音がした。金属の蓋が外れるような音。かなり低い位置である。

どきりとして視線を下方に落とす。

地面すれすれの位置。建物の土台に当たる部分。嵌まっていたはずの鉄格子が外向きに開かれている。

あれは――床下通気口だ。

そこで、私は違和感の正体に気付く。

なぜ、綾は追ってこない。マッチが効いたにしても遅すぎるのではないか。

あの子はすぐそばまで来ていたのだ。

鉄格子の陰から長細い腕が二本、にょきりと生えた。皮膚は焼け爛れ、見るに堪えないありさまである。

化物の全身は子供の肉体から成る。床下の通過など造作もないことだったのだろう。

焼けた両腕に続き、綾の頭部がゆっくりと生えてくる。まるで巣穴で獲物を待ちわびるうつぼのようである。

冷汗が背中を伝った。もしここで躊躇せずに、あのまま走り抜けていたら――。

あの子は絶対に私を逃がさない。

通気口から覗く綾の姿には、そんな忌々しいまでの執念が感じられた。

そうであるなら。

もう手段を選ぶことはできない。

幸い、まだこちらに気付いた様子はなかった。私は極力物音を立てぬようにして、来た道を引き返した。



埃の臭いが鼻を突いた。淀んだ空気は不愉快だ。小学校の薄汚れた体育倉庫を思い出す。だけど、今の私に必要な物はここにきっと保管されている。我慢するほかなかった。

荒廃した庭に立っていた納屋。幾本もの植物が絡まり、半分崩れかかっている。

納屋の戸は立て付けが悪く、思うように開かなかった。なんとか身体一つ分の隙間を作り、中に滑り込んだ。念のため、戸は少しだけ閉めておいた。

内部には、錆びついた園芸用具が所狭しに詰め込まれていた。私は慎重にそれらを漁り、目的に適う物をひたすら探した。

そして。

壁際に押しやられた小さなバケツの中。擦り切れた布に巻かれた小さな持ち手が、顔を覗かせている。

私はそれをそっと引き抜いた。

小ぶりの鉈であった。金属の刃は赤茶けた錆に覆われ、既に本来の用途は果たせそうにない。だが、私にはこれで十分であった。必要な物は武器となるものだ。

――通気口で待つ綾を切りつけ、隙を作る。

姿こそ奇怪だが、綾にあるのは無数の胴体と腕だけである。言ってしまえば丸腰だ。鉈を携えた相手を組み伏せられるとは思えなかったのだ。

直後。

ガタガタガタッ!

 背後で、戸を揺さぶる音が聞こえた。

 咄嗟に後ろを振り返る。

 納屋の戸は、無数の手にびっしりと覆われていた。

 ガタガタガタガタガタッ!

 立て付けの悪さが幸いし、すぐには入ってこられないようだった。だが、戸が突破されるのも時間の問題であった。

 私は両手で鉈をまっすぐ構え、納屋の戸に歩み寄った。そして、手首の一つをめがけて、思いっきり鉈を振り下ろした。

 鉈を通して皮膚を裂いた感触が伝わり、鮮血が噴き出した。

 遥か頭上から綾の悲鳴が降り注ぐ。あまりの痛ましさに思わず耳を塞いでしまう。だけど、躊躇している暇などはない。

 私は次から次に、綾の手首を切り続けた。できるだけ綾の声を遮断して、黙々と、淡々と、私は綾を切った。

 ほとんどの手首を切り裂くと、遥か上方から綾自身の胴体が頽(くずお)れてきた。支えとなる脚の力を失い、体勢が崩れたのだ。

 その隙をついて、私は外に抜け出す。これで綾はもうほとんど動けないだろう。生き残った腕で身体をゆするくらいが精一杯のはずだ。

 血に染まった鉈を片手に、私は庭から居間へ戻ろうとして――。

「……待って。どうして……こんなことするの?」

 綾の声だった。酷く震えた声である。その悲痛な響きに、私は思わず足を止めてしまった。地面に伏した綾へ目を向けると、あの子は泣いていた。

身勝手な涙だと思う。泣きたいのはこちらの方だ。

「そんなの、名光さんが私を襲うからじゃない!」

「わたしはてまりちゃんと遊びたいだけ……。いつもと何も変わらないよ」

 綾はぬけぬけとそんなことを言ってみせた。ならば、その姿をどう説明する気なのか。いつもと変わらぬわけがない。私の知っている綾は、こんな醜い化物ではない!

 綾の寂しげな泣き声が廃墟の庭に満ちる。耳障りだった。姿形が醜く変貌しても、声だけは私の知っている綾だから始末が悪い。まるで私がこの子を虐めているみたいではないか。

 これも綾の策略なのだろう。知人の声真似をして人間に襲い掛かる。そんな妖怪もいたような気がした。情にほだされたら最後、やられるのは私のほうだ。

 そんなことは百も承知なのだ。

 だけど。

 綾は本当に遊びたいだけなのではないか。綾は自分の身に起きた変化に気が付いていないのではないか。心の片隅には、そんな都合の良い展開を期待する私も存在した。

馬鹿な考えだと思う。身体がこんなにもなって、無自覚でいるなんてただの阿呆ではないか。結局私は、綾に対する情にほだされているのかもしれない。

 だけど、もしそうであるなら。

 私は家屋を取り巻く胴体に目をやった。

 恐らく、この化物は徐々に生長している。この家に誘い込んだ子供を捉え、次々にその身体を付け足しているのだ。この考えが正しければ、現時点で最後の被害者は綾だということになる。つまり、綾に連なる胴体はすべて過去の被害者だということだ。

だけど、末端の胴体だけは例外だ。そいつは決して最初の被害者などではないはずである。

 被害者がいるなら、当然加害者、事の発端を忘れてはならない。恐らくこの長大な胴体の列の末端は、綾を襲った張本人である。

 そして。

 元凶を止めれば、綾も元に戻れる。そんな淡い希望が、私の胸の内に沸いていた。

 私はもう一度、泣きじゃくる綾に視線を落とした。

 本当の脚があれば話は別だが、しばらく綾は動けないであろう。先頭の動きが止まった以上、後続するだけの末端などに移動する術は残されていないはずだ。

 ――退治するなら、今しかない。

 そう判断した直後、胴体の群れが一斉に身体をゆすりだした。眠りから覚めた獣のような振る舞いであった。そして、一歩、また一歩と後退を始めた。それに応じて、地面に伏した綾の身体もずるずると引きずられていく。

 予想通りだ。やはり元凶は最後尾にいる。だが、動けないという判断は間違っていたようだった。

 私は素早く綾のもとへ走った。胴体の群れに引きずられながらも、綾は不思議そうなまなざしでこちらを見上げた。

 ちょっとだけ心が傷んだ。だけど、仕方がない。これはこの子を助けるためでもある。

「ごめんなさい、名光さん!」

 私は杭を打ち込むように、血に染まった鉈を綾の手の甲に貫通させた。

 言葉にならない綾の悲鳴が、苦痛に歪む表情からまざまざと伝わってくる。

 だけど、これで末端の動きは完全に封じられたはずである。後は、直接叩くのみだ。

 化け物の全長は知る由もないが、末端はあの床下通気口のあたりにあるのではないか。私はそう見当をつけた。



 赤錆に侵食された刀身。輝きを失った金属に私の顔は映らない。

 私はどんな顔をしているのだろう。恐怖に歪んだ悲痛の表情か。それとも、友達を滅茶苦茶にされた憤怒の形相か。いずれにしろ、まともなものではないだろう。

通気口の手前。私は建物の壁に背中を預け、必死に息を殺していた。

改めて鉈を握る手に力を込める。化物を、全ての元凶を殺すため、納屋から代わりを手に入れてきたのだ。

建物の陰から、私は通気口のある場所を覗き込む。

ずらりと並んだ胴体の列が見える。角を折れて、その先の庭に向けて伸びている。その先頭には綾がいる。

そして。

列の末端。そこにあるのは、異様な物体であった。

黒い球形の物。微かな陽光に照らされ、ぬらぬらと光っている。側面から生えた触角のようなもので、這うように移動しているみたいだった。

こいつは。

蛇でも蜥蜴でも、ましてや百足なんかでもなかったのだ。

――蠍(さそり)だ。

長大な胴体の列をくゆらせるその姿は、巨大な尻尾を有した蠍そのものであった。

ずりっ……。

蠍が、私の方へにじり寄った。連動するように、背後に連なる胴体も一歩ずつこちらに迫る。だけど、その位置はさして変化しない。綾の身体を通じて、私が楔を打ったからだ。移動の振動で黒球の表面が波打つように揺らいだ。

あれは――人間の頭部だ。表面は全て黒い人毛に覆われている。

人面の蠍。正真正銘の化物だ。

鉈の柄を両手で握り直し、私は蠍の眼前に飛び出す。

はぁぁぁぁぁぁぁぁ。

微かな呼吸音が聞こえた。一応は生き物だということか。それならば話は早い。ちゃんと殺すことができるのだから。

蠍が緩慢な動作で触角を伸ばす。

遅い。結局尻尾なしには何もできないのだ。

渾身の力を込めて、私は迫る触覚に鉈を振り下ろす。ぐにゅり、と柔らかな感触が伝わり、触角が真っ二つに断ち切れる。真っ青な体液が周囲に飛び散った。

気味の悪い声を上げ、蠍はもがく。髪の毛の隙間から、ちらりと人間の口のようなものが見えた。

私はすぐさまもう一本の触手も切断してやった。もうこいつには何もできまい。

触手を失った蠍は尻尾をいたずらにゆすり、私を必死に威嚇する。今まで散々驚かされてきたのだ。そんなちゃちな物に意味はない。

私は毛むくじゃらの頭部の前で仁王立ちになる。こいつを殺せば、私も綾も助かる。そう願った。

私は――蠍の脳天に鉈を突き刺した。



 私の姿を認めると、地面に伏したまま綾は弱弱しく笑った。

「戻ってきたんだね。てまりちゃん」

「ええ。全部終わったから。一緒に、帰りましょう」

 本当のことを言えば、一緒に帰れるかはわからなかった。連なる胴体を攻撃した際にも、綾は苦しそうに呻いていた。綾は化物と一体化してしまっているのだ。

 まずは手の甲に刺さった鉈を抜いた。綾は甲高い悲鳴を短く上げた。

出血を抑えるには刃物はそのままが良いと聞いたことがあった。だけど、これは元々自由を奪うために打ち込んだもの。このままでは綾は家に帰れないのだ。

 鉈は庭に放った。もう必要はない。

私は直後の胴体から生える綾の脚を掴んで、思いっきり引っ張ってみた。足を引っこ抜いてみせるつもりだった。だけど、綾の足は繋がれた胴体に埋まって微動だにしなかった。まるで瞬間接着剤か何かで固定しているかのようである。

 それでも、私は力を緩めなかった。

 だって綾は綾なのだ。あの毛むくじゃらの蠍に操られていただけ。この子は、私の知っている綾なのだ。見捨てるような真似はしたくなかった。

「てまりちゃん……」

 後ろからか細い声で、綾が呼びかける。

「安心して。必ず助けてあげるから」

 私は早口にそう言った。綾の台詞には、諦めの言葉が続きそうな気がしたからだ。

「ううん、そうじゃないの」

「じゃあ、どうしたというの?」

 私は首を回して、背後の綾に視線を向けた。綾は呆けたような顔で、私をじっと見つめていた。

「てまりちゃん」

 厭に甘ったるい声だった。

「どうしてみんなからわたしを引き離すの?」

「え」

 頭の中が真っ白になった。

 焼け爛れた綾の腕がそっと私の胴に巻き付く。へたり込んでいた胴体の群れも途端に活力を取り戻した。血みどろの腕を地面に突き立て蠢(うごめ)き出す。

 ――どうして。

既に本体は死んだのに。

まさか、殺し損ねたのだろうか。まだ、あれは生きている?

――そんなはずはない。この手で鉈を奴の脳天に打ち込んだのだ。

――ならば。

「わたしとてまりちゃんはおともだち。わたしとみんなもおともだち。だったら、てまりちゃんとみんなも……。そうだよね?」

 耳元で甘やかに囁く綾の声は総毛立つほどに悍ましかった。

「嫌っ! 放して、名光さん。放しなさい!」

 私は身をよじらせて抵抗するほかなかった。武器はさっき捨ててしまった。

 綾が、化物が蜷局(とぐろ)を巻くように私を縛り上げていく。その過程を楽しむように、綾はあの耳障りな童唄を口ずさんでいる。

 手遅れだったのだ。元の人格を保ちつつ、綾の本能はあの化け物に侵食されてしまっていたのだ。子供を攫い、生長する。それが今の綾を支配する行動原理なのだ。

 喜色を浮かべた綾の顔が眼前に迫る。対照的に、私は絶望に染め上げられていった。

「てまりちゃん。これからもよろしくね」

 綾はそう言うと、私の胴体に絡めていた腕を解き、自身の首に手をやった。

 めちっ、めちめちめちっ!

 骨と肉の引きちぎれる気色の悪い音を立てて、綾の首が胴体から分離する。

 目の前にぽっかりと黒い穴が開いた。頭部を失った首から、だらだらと赤黒い血液が流れだす。

 ああ。

 今から、私はあそこに活けられるのだ。これまでの被害者たちと同じように、化物の一部となるのだ。そして、友人を誘い込み、生長の糧とするのだ。目の前にいる綾と同じように。

 何もかも手遅れなのだ。私は全てを諦め、静かに目をつぶった――。


「……あ、」


 酷く淡白な声であった。綾のものである。

 私はうっすらと目を開けた。

綾の――顔だ。首が元に戻っている。

 綾は心底つまらなそうな顔で、私を無遠慮に見つめている。

 突如、胴体の群れから力が抜けだした。縛られていた私の身体が徐々に解放されていく。

 何が起こったのだろう。私はこの化物に取り込まれるのではなかったのか。

 長い身体を引きずって、綾は居間に戻り、仏間の奥へ消えた。

 私はしばし呆然として、その場に座り込んでいた。

 助かったのだろうか?

 どうにも実感がわかない。私はよろよろと立ち上がり、居間に通ずるガラス戸に近づいた。

「……名光さん?」

 よせばよいものを、私は仏間の奥へ声をかけていた。しかし、返事は一向に返ってこなかった。

 その折、遥か上空から聞きなじみのある旋律が流れてきた。

 ――夕焼け小焼け。

 夕暮れのチャイムであった。

 夏だから、まだまだ陽は高い。だけど、時刻はすでに夕刻を迎えていたようである。そして、学期中であれば、この時間はちょうど下校時間に当たる。

 綾は別の友達の元へ行ったのだ。私に興味を失ったのはそういうことだったのである。

 あの子はもう二度と元には戻れない。自宅に帰ることも、学校に登校することもないだろう。

――だけど。

やっぱり綾は綾だったのだ。



 結局、私はあの家の出来事を誰にも話さなかった。だから、綾は依然、行方不明のままとなっている。

 九月になり、学校が始まっても綾は姿を現さなかった。当然ながら、それを不思議には思う者は誰もいなかった。だって、あの子は迷子のままなのだから。

 私も驚きはしなかった。私はあの子のなれの果てを知っている。私の知る綾はもういない。

 けれど、始業から半月もたったころには、妙な噂が流れた。行方不明であるはずの綾から、スマホに通知が届くというのだ。

 通知の概要は決まって遊びのお誘い。隣町の公園で待っているというのである。

 最初のうちは、怪談だの都市伝説だのと騒がれた時期もあった。だけど、すぐにこんなものは悪戯だという見解が一般になった。

綾の失踪は幾度となく街中で放送されている。その情報を知る者であれば、偽物の通知をでっちあげることなど容易いことだというのだ。

そんなことが果たして可能なのか。本当のところはよくわからない。騒ぎを嫌った大人たちが流した嘘の情報なのかもしれない。

 だけどそのうち、皆の意識から綾は忘れ去られていった。

 だけど、綾の通知が絶えることはなかった。

今でも、一週間に一度綾からのメッセージが届く。もちろん内容は、あの家へのお誘いだ。

 けれど、そんなものには私も目をくれない。

だって。

名光綾は――私の友達は、もう死んだのだから。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

迷い人の戯れ 茅田真尋 @tasogaredaru

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ