S.Fujino 2044
四肢の運動神経に麻酔注射をされた私は、VRカプセルから運び出され、別の椅子にくくりつけられる中、抵抗することも隙をついて逃げることも叶わなかった。今の今までジュリアの体に〈
私が椅子に括り付けられたのは廃屋らしい古びた建物の一室だった。むき出しのコンクリート壁に覆われた、出入り口が一つだけの六畳程の部屋を、天上から吊るされた裸電球がだけが照らしている。昼か夜かすら分からない。
〈自由意志の砦〉を自称する彼らは六、七人いるようで、銃器こそ見えないが、若い男性が多く、迂闊に逆らえそうにはなかった。時折囁く日本語が聞こえたから、全員が日本人だろうとは予想が着いた。
尋問の用意ができたのか、柄の悪そうなアロハシャツの浅黒く若い男と三十過ぎと見えるスーツ姿の男だけが私の前に立っていた。出入りしていた他のメンバーも今は部屋にはいない。
「どこからがVRだったんだ?」
私が訊くと、柄の悪そうな方が私の前髪を掴んで、顔を思い切り近づけた。自分の髪が整えられた長い金髪でなくなったことに違和感を覚えられる程度には冷静だった。
「全部だよ」
顔を近づけた男の唾が私の頬にかかる。水滴のひんやりとして、粘性のじめっとしたその感覚は全感ならではの不快感を催させ、頬の筋肉をひきつらせた。
「全部とは? 今は何年だ?」
「二〇四四年の九月です」
答えたのはもう一人、スーツ姿だった。
「成程ね」私は肩を落とした。膝の上に載せられていた両腕がだらりと脇に垂れる。混線していた記憶をほどいていく。今はまだ〈プロテウスの祝福〉の試作版が完成し、その被験者への実験を開始した段階だ。実証実験の結果を判断するだけのデータすら、まだ集まってすらいない。
「〈プロテウスの祝福〉を子供向け教育用VRとして開発する方向にシフトするところから幻だった」
「そうだ」とアロハシャツが吐き捨てるのと、「いや」とスーツ姿が首を横に振るのは同時だった。柄の悪い方が後ろを振り返り、スーツ姿を睨んだ。
スーツ姿はそれには目もくれず、私の方をまっすぐ見て言った。
「幻ではありません。未来です」柄の悪い方が舌打ちをした。スーツ姿は続ける。
「私たちが見せたのは、あなた方が開発しようとしている〈プロテウスの祝福〉がもたらす悲劇的な未来を予言するVRです」
「何が未来だ」私は吐き捨てた。スーツ姿は口元を緩めるとゃがみ込み、下から私の目を仰ぎ見た。
「どうでした? 美しく成長したジュリアさんのお姿を見られて、さぞご満悦でしょう」
にやついた額に唾を吐きかけてやった。スーツ姿は一瞬目を瞑ったが、眉はぴくりとも動かなかった。胸ポケットから静かにスカーフを取り出し、唾を拭う。
「冒涜する気か」
「とんでもない」
スーツ姿の声が上ずった。けれども、計算されたかのような綺麗な上ずり方で、私は顔を伏せて唇を噛んだ。
「お前たちの目的は何だ。私をプロジェクト・プロテウスから引きずり下ろすことか?」
「ああ、そうだよ」
アロハシャツがスーツ姿を押しのけて私の前に立った。
「だったら、何故あんな手の込んだVRを? 〈プロテウスの祝福〉の開発を阻止したければ、私を殺すことだってできたはずだ」
「それでは、世論の賛同を得られないからです。私たちも一枚岩ではありません。過激派があなたを殺す可能性もありましたから、先手を打たせていただきました」スーツ姿が再び言葉を継いだ。
「我々の目的は、教育用、治療用VRの撤廃ではありません。VRの使用の自由を守ることです」
「犯罪者に対する認知治療も、精神疾患患者に対する治療の拒否も認めるつもりか?」
「そうは言っていません。ときにはVRが必要になることがある――その立場は我々もあなたと同じです。我々が危惧しているのは、VRを使う自由を〈プロテウスの祝福〉が完全に奪うことです。
確かに、あなた方のVRは鮮烈で、効果的で、健全な社会の創生に間違いなく役立てることができる。私だって、〈
「悪用? シェンチェン条約の遵守はもちろん、非健全なコンテンツへの規制を強める取り組みも積極的に行っている。犯罪やテロを助長するコンテンツは徹底的に排除するつもりだ」
「そうじゃありません」スーツ姿は眉をあげて、深く息を吐いた。アロハシャツが壁に肘をついてそっぽを向いた。
「犯罪は防ぐべきだという考えには全面的に賛同します。では、肉牛に〈
今まではどのVRを利用するかを選ぶ権利は利用者にあった。しかし、〈プロテウスの祝福〉ができれば話は変わります。VRを利用する自由を奪い、VRへ対する過信――いや、依存状態を作り出す。この状況で、提供するVRコンテンツを絞れば、VR社が望む通りの価値観を持った人間だけを生み出すことができます。この洗脳がイデオロギーの侵略と言わずに何と言えますか!
だからこそ、藤野さん。我々はあなたに、〈プロテウスの祝福〉の開発を止めさせにこのような暴挙に出たのです。渋谷のマンションの屋上からベランダに降り、EMPで警報装置を無効化しから窓を割り、リモート出勤を終えた直後のあなたを誘拐したんです。
あなたに体感させたこのVR〈自由意志の砦〉は、〈アンチ・プロテウス〉の試作品です。それも、あなた専用にチューニングした、ね。あなたが体験した十年間のダイジェスト――この体験は、仮想だと分かっていても、現実のあなたの記憶とリンクし、あなたの心に根を張ります。たとえその上に咲かせた幻の花を摘み取ったところで、あなたという人間に起きた変容を完全に元に戻すことなどできない」
「当たり前だろ」私は思わず声を絞り出していた。
「何故だ、何故、架空の十年にジュリアを絡めた?」
「それがあなたにとって最も効果的だと判断したからです。二年前、任意のVR認知治療を拒否した再犯者が起こした、八歳の少女性的暴行殺害事件。その被害者となった藤野ジュリアさんとの涙の再会程、あなたの心に訴えかけるものはないのだから」
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