40:天空橋葉月の苦笑

 ちゃぷり、と湯船に身を沈めながらわたしはぼんやりとお風呂場の天井を見上げていた。立ち上っていく湯気を視界に捉えながら、今日の放課後のことを思い返す。

 クラスメイトである花梨ちゃんの手引きで、甲洋くんと隣のクラスの望月さんが会話を交わしていた。


 それ自体は別に、なんてことの無い話なんだ。

 だけど、教室の外、笑顔混じりで話しかけてきた甲洋くんに対して、照れと不安がない交ぜになった望月さんのその表情が。

 横目にしてしまった、彼女が纏う雰囲気と、甲洋くんに向ける視線の色――憧れと好意――が、どうしようもなくわたしの心をざわつかせた。


「…………」


 わたしも立場は同じだから、わかるんだ。

 望月さんはきっと、甲洋くんに対してわたしと同じ想いを抱いていた。


 ――月守甲洋という男の子に、恋愛感情を抱いている。

 

 そして、望月さんは先んじた。他のどの子よりも先に、甲洋くんに想いを告げたのだ。

 望月さんの告白の結果は、帰宅したあとの甲洋くんの様子を見ればなんとなくわかった。少し吹っ切れたような雰囲気をまとって、詳しいことをなにか言うわけではなかったけれど。


 そこに安心する気持ちがなかったと言ったら、それは真っ赤な嘘になる。そんな浅ましい思いを抱いてしまうことを恥じる気分になりながら、わたしはさらに深く湯船に身を沈めた。口元までお湯につかりながら、ぶくぶくと泡を立てる。


 甲洋くんはあまり前に出たがるタイプではないけれど、困っている人がいたら手を差し伸べることを厭わない、優しい男の子だ。ちょっと鈍感なところが玉に瑕ではあるけれど、彼の良さをわたしに語らせたら、きっと半日ではきかないと思う。

 なにせ中学二年生の初邂逅から、中学三年生の時の文化祭やら、高校一年生の諸々とか、わたしが彼から目を離せなくなっていった出来事は色々あるわけで。


 ただ、わたしが気づいているのだから、周りの子たちだって甲洋くんの良いところに気づかないわけがないのだ。

 望月さんもきっとそのたちで、甲洋くんがそうやって評価されていることを嬉しく思うのと同時に、みっともない当てつけみたいな感想が湧き出てくるのを止められそうになかった。

 叶うなら、甲洋くんの良さはわたしだけのものであってほしかった……なんて。


「……性格悪いかな。あはは」


 甲洋くんはいつもわたしのことを完璧な女の子のように褒めてくれるけれど、わたしは自分自身、そんなに褒められた性格をしてはいないと自覚している。


 すぐにやきもちを焼いてしまうし、好き嫌いだってするし、こうやって性格の悪いことを考えたりもしてしまう。

 甲洋くんが他の女の子に笑顔を見せていたらもやもやするし、伊吹が甲洋くんの肩に手を回しているときなんて冷静な顔でいられているのかわからないし、甲洋くんの口から、他の女の子を誉めるような言葉、聞きたくないし。

 自分のみっともなくて情けないところなんて、いくらでも挙げられてしまう。


「でも、いやな子なのはわかってるけど、仕方ないじゃない……。好きなんだもん……」


 お湯の中に言い訳のような独り言が溶けていく。


 わたしは甲洋くんが好きだ。

 義理の兄妹になる前から、きっと好きだったけれど、兄妹になってからいっとう、この想いが止まることはなかった。

 言葉にも、行動にも、そういう想いがでてしまっているという自覚はある。伊吹にもよく言われる。


「そもそも、甲洋くんの好きなコって誰なのかな……」


 前に甲洋くんが教えてくれた、彼の好きなコの存在。

 すぐそばにいる、と語られたそれに、「もしかしてわたしのこと!?」なんて心を躍らせかき乱されたりもしたのだけれど、最近はそんな自惚れじみた思いは霧散しつつあった。

 甲洋くんからの親愛の情は確かに感じる。彼は家族を――義理の妹であるわたしをとても大事に思ってくれているから。ただ、それが恋慕まで行っているのかまではわからなかった。


「伊吹ではないと思うし、弥生でもない……」


 甲洋くんのすぐそばにいる女子と聞いてぱっと思い浮かぶのは、わたしか伊吹だろう。だけど伊吹と甲洋くんはそういう間柄というよりも、憎まれ口を叩きあいつつも付き合っている悪友みたいな雰囲気がある。それはそれで羨ましいし伊吹に思うところがないわけではないけれど、好きなコに該当するかと言われると疑問だった。


 では弥生はどうなのかといえば、彼女の仕事もあってそんなにそばにいるわけではないし、甲洋くんも弥生本人も、あくまで同い年の従兄妹以外の何者でもない様子だ。彼女もまた、好きなコに該当するかと言われるとたぶん違う、と思う。


 そうすると消去法で甲洋くんの好きなコはわたし、というあまりにも都合のいい答えが導き出されてしまうのだが……、


「これでもし違ってたりした日にはわたしもうこの家で暮らしていけないよ」


 一番の問題点はそこだ。

 わたしと甲洋くんは同級生であり、クラスメイトであるが、同時に家族でもある。学校だけでなく、ほぼ毎日家で顔を合わせている相手だ。

 家族であり義理の兄妹でもあるという関係性がこれまでの諸々を許容してきたわけで、その関係に一石を投じるような真似をして万が一にでもそれが崩れた日には、あまりのいたたまれなさにわたしは家出せざるを得なくなる可能性があった。


 それは、怖い。


 これまで通りに甲洋くんと話すことも、彼の傍にいられることも出来なくなる可能性があって、それを想像するのはとても怖かった。

 お風呂にいるのに、そんな未来を考えるだけで背筋が凍えるかのような気分だ。

 そう感じるということは、わたしがそれだけ甲洋くんに惹かれ、恋していることの証左でもあるのだろうけれど、何の慰めにもならない。


「だけど、このままでいいわけがない……」


 そう、このままでいいわけがない。

 わたしが甲洋くんに恋しているなら、なおのこと。


 今日がいい例だ。望月さんだけじゃない。甲洋くんに惹かれている子は、彼の性格を思えば、きっと少なくない。誰も彼もが告白する勇気を持てるわけじゃないにしても、告白することを厭わない子は、きっといる。


 そのたびにわたしは、甲洋くんに恋人が出来てしまうことを恐れながら、女の子からの告白を受ける甲洋くんの背中を見続けるのか。

 今日は横に振られたのだろうけれども、いつ彼の首が縦に振られてしまうかなんて、わからない。

 いつ来るかわからないその時を恐れながら、わたしは笑顔で彼を送り出すのか。送り出せるのだろうか。


 彼の隣に、よく知らない女の子が陣取って。幸せそうに笑うふたりを見つめて、「よかったね、おめでとう」って、顔には笑顔を貼り付けながら、祝福を述べられるのだろうか。 


「――そんなの、ぜったいに、いやだ」


 わたしは、結構わがままで、結構いやな子だ。

 好きな男の子の笑顔はわたしにだけ向けられててほしい。

 好きな男の子の隣はわたしだけの特等席であってほしい。

 好きな男の子の優しさはわたしにだけ向けられてほしい。

 好きな男の子の好意はわたしだけのものであってほしい。

 子供じみた独占欲が、いつだって胸の内にある。


「――ほかの女の子に、とられたくない」


 早くこの想いを告げなくちゃいけない。

 わかってはいる。危機感はある。だけれど、わたしにはまだ勇気が足りない。


 ああ、甲洋くんの声が聞きたいな。

 甲洋くんと話したい。彼の包み込むような笑顔を見て、心安らかにありたい。

 甲洋くんの声を聞いたら、想いを告げる勇気も出てくるだろうか。


「――大好きだって、言いたい」


 簡単に伝えられるようなら、お風呂場でこんなにうじうじ悩んではいないよね、と。自分で口に出しておきながら、苦笑いしてしまった。

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学園のアイドルと義理の兄妹になった件について 国丸一色 @tasuima

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