第39話 千歳の救い

 春川先輩は、手紙の中で「私といた時を幸せと思わないで」や「いつでも忘れてね」と言っていた。そんな事できる訳ないのに。

 だからこそ、この手紙と向き合うのが怖くなってしまった。幸せの二人が引き裂かれ、孤独になる。相手が同じ気持ちかどうかもわからない状況が、更に孤独の闇を濃くしていく。

 そう考えれば、千代に沙奈先輩の手紙を見せる気になったのは、ある意味必然的だったのかもしれない。千代に読んでもらったからといって、孤独を解消できる訳では無いが、同じ事を共有し合えている点、心持ちが楽になった。


「変でも、僕は弱虫なんだよ。沙奈先輩の顔色を窺って、手紙を千代に見せて良いのか天秤にかけていたんだ。でも、僕自身のことでも弱虫で、言い出せずにいた」


 だから、千代が「手紙を見せて」と言ってきた時は嬉しかった。しかし、すぐに沙奈先輩の面影が浮かんでしまい、渋ったのだ。

 今だって千代の方を向けないのは、手紙が視界に入りそうだからだ。あの手紙の端っこを見るだけでも、目の前に想い出が広がってきそうで怖かった。


「人は誰だって弱いよ。助けて貰いたくて仕方ない、わがままな生き物なんだよ。助け合えるってわかった瞬間、変に自信がついたりね。だから、そばにいてくれる誰かの存在が、自分の救いになると信じたいんだ」


 千代はそう声をかけてくれるが、僕の中では納得するところまでは至らない。だって、誰しもがこんなに弱いところを見せている訳ではないからだ。自他ともに弱いと見られる自分は、果たして千代の言う“誰か”の内に入れているのだろうか。


「僕は、普通になりたい……」


 何気なく芽生えた小さな願望だった。人並みに生きられるようになりたい。夢はその後でも構わないから、せめて普通になりたい。

 こんな言葉でさえ、僕の口からは弱音のように力がない。


「千歳は、自分を好きになりたいんだね」

「そうかも」


 曖昧に答えているようで、かなりの図星だった。普通になることは自分を好きになることじゃないかもしれないが、少なくとも僕にとっては、唯一無二の解答だった。


「ねぇ、聞いてもいい?」


 やや改まって、千代が背中越しに聞いてくる。


「あぁ、良いよ」

「春川先輩は、可愛かった?」

「あぁ」


 正直、あれだけ美人でころころ笑っていたら可愛いの体現者、いや申し子だろう。あんな人と普通に付き合っていたなら、さぞかし自慢の彼女だっただろう。実際には、自慢なんかせずに一人締めするだろうが……。

 千代がベッドから立ち上がる気配がしたと思えば、近い位置から声が聞こえる。


「こっち、見て」


 言われるがままに、チラリと目だけ千代の方に向ける。


「違う。ちゃんと見て」


 両頬を掴まれ、無理やり顔ごと振り向かされる。

 千代の顔と真正面から向き合った。


「これが、今の私」


 何を言っているのか意味がわからず、瞬きを繰り返す。

 千代の瞳はまっすぐ僕の瞳を捉えて離さない。瞬き越しに、千代の表情が鮮明に写る。


「私、春川先輩より可愛くなるから」


 はっきりと宣言された。その真意の察するところはもちろん僕もわかっているつもりだ。


「あ、あぁ、わかったよ……」


 頰に添えられた手が離れる。

 確認、などというのは蛇足だろう。これでも小学校から一緒の幼馴染なのだ。察せなくてどうする。

 頰が熱いのは、照れている訳じゃない。さっきまで千代の手が触れていて、その余熱なだけだ。


「約束、したからね?」


 自分で宣言しておきながら、約束というのはちょっとおかしい。でも、意味はわかる。


「うん、わかった」


 確固とした声で答えることが出来た。


「ありがとう。千代に手紙を見せて良かった」

「私も、嬉しかった。ありがと」


 千代は「それじゃあ、さ……」と言うと、もじもじしながら顔を赤らめ始めた。何かを言おうとして言い出せないでいる、そんな感じ。


「言ってみて。場合によっては善処するから」

「善処って! まぁ、わかってるなら、良い……」


 そう言うと、千代は両腕を前に開いた。これは……。


「何これ?」

「契約」


 どうやら、指切り代わりに抱擁をしたいらしい。約束した以上、僕は拒めない。

 椅子から立ち上がって、腕を千代の背中に回す。これで二人の距離は、0になった。

 気がつけばそばにいる。空気のように、意識しなくてもそこにいる存在。それが千代だった。千代の存在がなかったら、にーちゃんの一件で僕の人生はもっと悪い方向へ向かっていたのかもしれない。

 それに、沙奈先輩と出会えたことだって、僕の人生を見えない角度で支えてくれた千代の貢献あってのものだ。

 気がつけばそばにいる。これが僕の本当の救いな気がした。


「いつから、だったの?」

「ずっと前」

「なんで僕だったの?」

「覚えてない」


 千代が向けていた気持を一つ一つ汲み取っていく。僕と過ごしていながら、報われることのなかった気持ちに報いるように、きつく抱きしめた。

 僕も誰かに救われたいと願い続けていた。その救い人が、にーちゃんであり、沙奈先輩だった。

 もう一つ、僕が救える人がいることも知った。悠真と結衣、そして千代だ。

 自分が救われたい事と、自分が救える事、両方持っているのに、バランス良く保てない僕達は本当にわがままな生き物だ。

 でもいつか、僕はこの手紙を抵抗なく読み返す時が来るような気がした。


「契約、これで良かったの?」


 千代の気持ちを汲み取ったつもりの言葉だった。

 しかし、千代は口を尖らせて「千歳のエッチ……」と言った。


「まだだめ。今はハグだけで十分」

「うん、そうだね。ごめん」


 そう、僕と千代は始まったばかりだった。

 僕と千代の将来に救いがあるかなんてわからない。それでも、こうして抱き合えていることが事実なら、今の僕達は救われているのだろう。


 これからも、僕達は救われたいわがままの中で大人になってゆく。

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結局、救われないんだから「助けて!」とか言っても意味ないじゃん! 芦ヶ波 風瀬分 @nekonoyozorani

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