玖
此処は、花咲町コスモス公園。咲き乱れる鮮やかな秋の桜が風に揺れ、わずかな街灯がそれらを照らし、面忘れさせるほど美しい。しかし、それを目に入れようともしない若者が二人。それは激しく、互いに身に寸鉄も帯びず、一歩も引かない目的のない個々の戦争が繰り広げられている。
空を突出させる四肢。
「……ッはァ!」
聖書を片手に避けながらも技を繰り出す。
「
すると、桃子の眼が黄色に光り、太い蔓が地面から勢いよく生える。それは身体を巻き付けるかのように意志ある蔓が少女に差し掛かる。しかし、それをかわし、それに足底を付けて空を飛び、桃子に向けて降下する。
「あぁーもうしつこいなぁ!
茎はから蕾が膨らみ、眼色と同じ紫色のコスモスの花が開花する。と、同時に水色に光る二十センチ程の球体が生まれる。そして、少女に向かって投げかける。すると、爆発が生じる。可憐な少女に例えられた聖書の技。この技は、その少女が流した涙が爆弾の球体となるというものだ。
「効いた……!?」
爆発の影響で曇り、少女の姿が見えない。まだ蔓は物体を捕らえていない。しかし、動いているのは分かる。空を切る人間離れの速さ。一瞬、煙の中から一人の影が見える。それを目で追いかける。速すぎて見えない。
「ア゛ッ!」その影が先回りし、頚椎、首の裏に太い針が刺さる痛み。それを反射で押さえる。直ぐに消えるが、また見失った。どうすればいい。どうすれば、捕らえられるのか。どうすれば、この状況を打破できないのか。思考が滞る、風を吹かせる技があればと。
「アイゼンルフトォォォォ!」
突風が吹き、目を腕で覆う。その間に、何かの衝撃が目の前で起こる。目を開ければ、そこには、相木の姿が。右手で殴り、あの影はもういない。その始終は、スローモーションのようにゆっくりと流れる。あ、ヤバい。言わずとも助けてくれる彼の姿が目に焼き付く。何だろう、安堵と共に溢れるこのあたたかさは。
「相木!?」
「大丈夫だったか?」
見惚れていた。息を上げ、汗を腕で拭う。その腕が包帯だったので、桃子は我に返った。
「というか、相木こそ大丈夫なの!?」
「あーうん。大丈夫だけど」
「病院は!? 病院から抜け出してきたの!?」
「うん。脱走してきた」
「何してんの!?」と、言葉を遮る一人の影と笑い声。「クププププププププ」
二人の会話が突如途切れる。言われなくても分かる、唯一の敵。
「あー面白いね! まさか、こんなことが見れるなんて!」
「何が面白いんだ」相木が低い声を発する。目が死んでいる。
「だってぇ、その人、あの
四つの眼球が一人の男に向けられる。愛惜による怒りと絶望に満ち溢れた一人の刑事、いや、たった一人の兄。
「ニャルラトォォォォォ!」
剣突く男は、走り出す。五メートルほど離れた距離を埋めようとするが、直ぐに覚束ない足取りとなる。「太陽兄ィ! ダメだって!」一回り大きい相木の脇を下から腕を通し、必死に抑える。
「おいお前! 月夜と夜見をどうする気だァ!」
「あぁ、あの
生贄、という言葉に背筋が寒くなる。桃子は、固唾を飲んだ。
「一体、何が目的なんだ!」太陽の憤りは納まらず、寧ろもどかしさで腹に据えかねている。
「目的だって?」崩れたように鼻で笑い、低く太い声色。眉を顰める。「創り直すんだよ、この腐った世界を」その眼は、死の色をしていた。「アイツが死んでなければ……」と、僅かに聞き取れる声。桃子はそれを聞き逃さなかった。ミナトに手を握られた時に流れ込んだ記憶が脳裏に蘇る。もしかして、以前の姿のニャルラトの隣に居た……。すると、目を剥く。
「だから、こっんな糞みたいな世界をォ、この、ボクが創り直すんだよ!!」
耳にうなりを生む。何故なら、少女が叫び始めたから。相木には聞き覚えのある、あの悲痛の叫び。
「あああああああぁぁぁぁぁぁぁぁ!」
と、同時に反射で創傷を押さえる。桃子は、背側の頚のズキズキとした痛みが走る。煙の中で攻撃を受けた時だと、桃子は思い出す。
「そうそうそう! 待ってたんだよ、この反応を!!」
まさか、あの影はニャルラトホテプによるものなのか。高みの見物の如く嘲笑うニャルラトホテプを睨む。
「桃子、大丈夫か!?」
「クプププププププ! 生贄ちゃんといい、モルモットといい、良い反応するよねェ! これは、期待できそうだ」
すると、叫び声は止み、少女はその場に倒れる。
「夜見ッ!」
「あーあー、倒れちゃったねー。ん~エネルギー切れかな~」
内心、ウゼェ、という言葉が吐露しそうになる。赤ちゃんをあやすような声。腹が立つ。
「あーもう面白くないなぁ~」すると、「おりゃっ! おりゃっ!」と倒れた夜見に二蹴り。腹部をけられ、その度に嗚咽が漏れる。「次は、首だよッ!」
堪忍袋の緒が切れる。
「ニャルラトォォォォォォォォォ!!」
相木の腕を振り払い、突進する。太陽が殴りかかる。しかし、夜見と同じく腹部を一蹴り。
「クッソォ……!」
その場に崩れる、一人の男。もう一度立ち上がり、また殴りかかる。「うおおおおお!!」
しかし、それも無念。中腰で立った低い位置で額を掴まれ、そのまま地に自由落下させる。「ガハッ!」
ついには、妹と同じ側臥位となる。憤りに身を任せて大きな拳を振った結果がこの有様。圧倒的な力の差を思い知らされる二人の能力者。まさに、蛇に睨まれた蛙だった。
手を交互に叩き、「あーそうだ。ちょっと言い忘れてた」と呟く。
「あの日は、もうすぐだよ」
嘲笑する、ニャルラトホテプ。
更に、恐怖が二人を襲う。
蘇る、あの日の記憶。
フッと笑い、太陽の顔を持ち上げる。「安心して。モルモットは直ぐに殺さないから」
嗚咽しながらも、「夜見は、どこ、だッ……!」
「あーもう片方の? 二号はね、まだ覚醒してないんだよ。大丈夫、一号も二号もこっちで預かってるだけだから」
「……ッ、名前で、言え!」と太陽が叫ぶと、「うるさい!」と言って、また地面に投げる。
また両手を交互に叩いて、貶す様に一息。
「それじゃ、じゃーね」
ニャルラトホテプは背を向けて、歩き出した。直ぐに闇に溶けて、月夜と共に消えた。
我に返った二人は、太陽に駆け寄る。
「太陽兄ィ、大丈夫!?」
立ち上がろうとするが、相木がそれを腕に手を乗せて止めるように促す。
「お、おう。すまんな。お前らも、大丈夫か?」
息が切れ、肺が拡大と縮小を繰り返す。
「大丈夫です」と桃子が息を切らしながら言う。すると、太陽は、桃子を見て目を開く。
「お、お嬢さん、お前……」
相木が桃子に顔を向ける。
「えっ?」相木も見開いている。「な、何ですか?」
相木が恐る恐る口を動かす。
「桃子の目が、白と黒になってる」
美しくも皮肉な生贄の象徴である黒と白のオッドアイが、あの日の記憶に眠る戦慄の記憶を呼び覚ますのであった。
続く。
秋桜【物リン】 倫華 @Tomo_1025
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