捌
それから、桃子と太陽は病室を後にした。日が沈んだので、刑事は少女を見送ることになった。空は、もう黒く染まっていて、空に飾っている星々がこの残酷な世界に美しい景色を生み出している。桃子は空を仰ぎ、いつも見ている粒がとても輝いて見えた。しかし、この
『今日は、お見舞いに来てくれてありがとう。これから、よろしく』
と、相木からのメールを受信した通知がスマホのロック画面に表示された。桃子は、すぐにロックを解除し、
『どうも致しまして。こちらこそ、よろしくね!』
と、親指を器用にスライドさせ、そう返信した。画面を切り、前を向く。スマホを両手で持ち、胸に当てる。メッセージの最後の九文字で胸が高まり、心からあたたかい何かが溢れ出す。この感情に特別な意味を持つ事を、桃子は、このあたたかさで知る。
一方、隣を歩いている大きな身体は、猫背で、俯いていた。太陽は、未だ目を覚まさない双子の事を思考回路の中心に置けば、徐々に他のカテゴリーの存在が薄らいでいく。もし、月夜と夜見がこのまま目覚めなかったら――これは何かの伏線なのか――いや、寧ろ目覚めたら何かが起こってしまうのか。思考の渦が続けば、螺旋状の如く、新たな思考を呼び、相木の心臓に、重く、苦しい重圧がかかる。
「あ、あの」
急に背中をちょんちょんと突かれ、後ろを振り返る。心配そうに顔を伺う桃子。
「大丈夫ですか?」大丈夫か、その言葉の意味に不快を覚える。
「え? あぁ、うん」適当に返事を返す。すると、そうですか、と眉を下げて微笑んだ時、違和感が生じる。「じゃあ、私はこの辺で」
この時、目線を外界に向ければ、我に帰った。桃子との距離は不自然に少し離れている。足底が道路の真ん中寄りの位置に置いている。つまり、呼び止められても気付いていなかった。こりゃ、お嬢ちゃんに気ィ遣わせたな、と脳内で呟けば、頸の上方を指先で搔く。
あぁ、分かった、と言って指を元の位置に戻せば、「心配してくれてありがとな」と口が無意識に動いた。後から追いついた意識が恥ずかしさを込み上げそうになった時、
「はい。こちらこそ、送ってくれてありがとうございました」
と言って、少女は頭を少し下げた。反射的に、「おう。気をつけてな」と口が動いた。少女が街灯の光のぼやけた淵を超え、暗闇の世界に消えるのを見届けた。
太陽と別れ、家まで残り数十歩の所。僅かな街灯が足元の頼りだ。スマホを取り出し、ライトを点灯するボタンを押した。地面にLEDの白色のライトが地面を照らす。それを確認し、目線を上げれば、覚束ない足取りで歩く細い素足が見える。目を上にずらす。桃子と同じぐらいの少女が病衣を着衣し、首を垂らし前髪を隠す。不気味さが地面から蔓の如く足から絡み、既視感が後を追うように込み上げてくる。下肢が震え、足底が動かない。桃子は、
「ど、どうしたの?」と、迷子の子供をあやす声で話しかける。口を動かすが、聞き取れない。「な、何て言ったの?」と聞くと、少女は口籠ってしまう。このままでは帰れない。試しに一歩踏み出す。少女が顔を上げる。白と黒の眼が桃子の動きを止める。
「この子、まさか……!」
一歩下がりながら、バッグを漁る。すると、少女は俊足でこちらに迫る。反射で左に身体を向ける。持ち前の運動能力で振り下ろす腕を避けた。
――速い! 人間の身体能力以上!
身体を傾けながら鞄の中を漁り、聖書を取って開ければ、体に能力解放のスイッチが入る。
「
素早く振り下ろす手と力強く蹴り上げる足。俊敏に攻撃を仕掛ける四肢。それを避けるためには、この技を使わなければ不可能だと瞬時に判断する。あまりにも速すぎて、避けることで精一杯だ。いくら、影に隠れて柔道を続けていた桃子でも、人間以上の力には、抗うことが出来ない。それに、ここは住宅街。桃子が攻撃をすれば、周辺に危害が及ぶかもしれない。ここは、攻防戦かつ耐久戦になるだろう。思考が巡れば、体は鈍る。
ブォン! と空を切る勢いで振りかざされる。危ない、急所である目の付近に拳が目の前に。更に、もう片方の腕が同じ勢いで次は腹を狙う。駄目だ、間に合わない! すると、鉛の如く思い拳が腹腔を圧迫される。
「ガハッ!」
その勢いのまま、後方へ飛ぶ。体が半回転し、側臥位となる。すぐに起き上がるが、後追いする痛みが痺れるが立ち上がる。何故なら、容赦なく腕が目の前に迫るから。
――避けるだけじゃ、何も始まらない! 隙を作らないと!
後ずさるように飛び、わざと距離を広く開けると、少女が勢いを付けて半回転しながら足を前に繰り出す。後ろ回し蹴りだろうか。少女が背を向けた。これだ、これくらいの隙があれば、いける。脚力で三歩ほどの距離を取れば、少女は身構え、右足を軸にして、振り返り乍ら足を上げる。後ろ回し蹴り。顔面に当たるか当たらないかのスレスレの足の裏。空振りをし、背を見せる。隙が生まれた。
すると、桃子の眼が黄色に変わる。地面から生える細い蔓が少女の体を巻き付ける。力を込めると、捕らえる蔓が更に強く締め付ける。
「
そう唱えると、茎が蕾を付ける。蕾は光に包まれながら揺れ、徐々に丸みを帯び、色を付けていく。
「開花〈オープン〉」
蕾が花開き、巻き付けた少女の茎に黄色のコスモスが露わになる。すると、少女の力が抜けていく。この技は、蔓を敵に巻き付け、黄色のコスモスの花を付け乍ら、相手の体力を奪い、最終的には眠らせる技だ。しかし、気が背いたら蔓は解けてしまう。
桃子は、少女が人形のように項垂れていて、身体に力が入っていない事を確認した。
すると、プルルルルと、黒電話の着信音が鳴る。スマホを取り出し、電話を取る。相手は、相木からだ。
「もしもし、お前今何処にいる?」その声は焦りを含ませていた。
「えっ、今は、家の近くだけど」
「そこら辺に俺らと同じぐらいの男の子か女の子いないか?」
「女の子いるよ。目が白と黒の」
「おいマジかよ!?」
「だから今、蔓で縛ってる。で? 相木はどうしたの?」
「太陽兄ィの双子が病院から脱走した」
「嘘でしょ!?」
「お前が縛ってるその子は、恐らく片方だ」
すると、茎がスルリと解く音が耳介に届く。「しまった!」
「どうした!?」と相木が言うのを妨げて、「目が覚めた!」と桃子が吐露する。「どうしよう、どうすればいい? 相木」蔓が緩み、少女の身体が地に落ちる。
「と、とりあえず、逃げろ! そこら辺に広い場所はないか? 公園とか」
桃子は瞬時に思い出す。「花咲町コスモス公園!」
「分かった。太陽兄ィに連絡する。それまで何とか耐えてくれ」
「分かった!」
画面の赤い電話を切るボタンを押して、カッと睨むように少女を眺める。この耐久攻防戦戦を制するためには、まずは、逃げよう。桃子は、目を閉じる。次に、息を吸う。そして、技を唱える。そうすれば、徐々に身体に力が漲る。筋力が増量し、心拍数が下がる。目を開け、また少女を睨む。よろよろと立ち上がり、桃子を睨む。
「鬼ごっこの後は、本気だすからね」
そうして、桃子はコスモス畑に逃げ足を風の如く、力強く地面を叩くのであった。
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